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エピローグ:未来の収支は、必ず黒字にしてみせます

エピローグ:未来の収支は、必ず黒字にしてみせます


 春だった。


 長い冬を越えた王都には、やわらかな陽光が降り注いでいる。


 中央大通りには露店が並び、焼き菓子の甘い香りと花屋の瑞々しい匂いが風に乗って流れていた。新しく整備された魔導路面車が静かな駆動音を響かせ、人々は明るい表情で行き交っている。


「王都、本当に変わりましたねぇ」


 窓の外を眺めながら、リナが感心したように言った。


 王立魔導銀行の専用馬車は、揺れも少なく滑るように街を進んでいく。内部には淡い香木の香りが漂い、座席には柔らかな深緑のクッションが敷かれていた。


 向かいに座るアルテミシアは、膝の上で書類をめくっている。


 今日は淡い灰紫色のドレスに、白金の刺繍入りジャケットを羽織っていた。以前より装飾は控えめだが、その分だけ洗練されている。


「北部炭鉱の収益率、昨年比で十八%改善です」


「総裁の改革のおかげですね」


「現場の労働環境改善が大きいわ」


 さらりと答えながら、アルテミシアは窓の外へ目を向けた。


 広場では子どもたちが笑いながら走り回っている。


 露店では揚げ菓子が油の中でじゅわじゅわと音を立て、果実酒を売る店先には若い恋人たちが並んでいた。


 昔の王都は、もっと疲れていた。


 税負担と不景気で、人々の顔には余裕がなかった。


 けれど今は違う。


 数字が改善すれば、人の生活も変わる。


 それを実感するたび、アルテミシアは少しだけ胸が温かくなる。


 馬車が王城前広場へ止まった。


 本日は春季国家予算会議。


 王族、大臣、各機関責任者が集まる重要会議だ。


 扉が開き、春風がふわりと流れ込む。


 花の匂い。


 若葉の匂い。


 遠くで噴水の水音も聞こえていた。


「アルテミシア総裁!」


 若い文官たちが慌てて頭を下げる。


「本日の資料、すでに会議室へ!」


「ありがとうございます」


 以前なら、“若い女”というだけで侮る視線も多かった。


 だが今は違う。


 誰もが彼女の能力を知っている。


 王立魔導銀行を再建し、王国財政を黒字化し、崩壊寸前だった地方経済まで立て直した女。


 それが今のアルテミシアだった。


 回廊を歩いていると、後ろから聞き慣れた声がした。


「相変わらず忙しそうだな」


 振り返る。


 王太子レオニードだった。


 今日は濃紺の軍装を纏い、肩章の金糸が陽光を受けて輝いている。


「殿下」


「朝食は取ったか?」


「一応は」


「“一応”か」


 呆れたように笑われる。


「また書類を読みながらスープだけ飲んだんじゃないだろうな」


 図星だった。


 リナがすぐに口を挟む。


「その通りです! パンも半分しか召し上がっていません!」


「リナ」


「だって本当じゃないですか!」


 レオニードが肩を震わせて笑う。


「総裁殿、国家予算も大事だが、君自身が倒れたら元も子もないぞ」


「善処します」


「それ、絶対しない返事だな」


 穏やかな笑い声。


 その空気が妙に心地よくて、アルテミシアは少しだけ目を細めた。


 昔、自分はいつも張り詰めていた。


 失敗できない。


 赤字を出せない。


 誰かを支えなければいけない。


 そんな焦燥ばかり抱えていた。


 でも今は違う。


 隣には、ちゃんと努力を認めてくれる人たちがいる。


「そういえば」


 レオニードが何気ない調子で言った。


「北方炭鉱から報告が来ていた」


 アルテミシアの足は止まらない。


「そうですか」


「聞かないのか?」


「業務に関係ありませんので」


 即答だった。


 レオニードは少しだけ笑う。


「徹底しているな」


「不要な情報を増やすと、判断を誤ります」


 それだけ言って、アルテミシアは会議室の扉へ手をかけた。


 だが、その瞬間。


 窓の外から春風が吹き込む。


 白い花びらがひらりと舞った。


 アルテミシアはふと空を見上げる。


 青い。


 どこまでも。


 昔、自分は狭い世界だけを見ていた。


 一つの伯爵家。


 一人の婚約者。


 その小さな場所へ、自分の人生全部を注ぎ込んでいた。


 でも本当は、もっと広い世界があったのだ。


 数字で人を救える場所。


 契約で未来を守れる場所。


 自分の能力を必要としてくれる場所。


「総裁?」


 リナが不思議そうに首を傾げる。


 アルテミシアは静かに微笑んだ。


「行きましょう」


「はい!」


 大扉が開く。


 巨大な円卓。


 積み上げられた国家予算書。


 王国の未来を決める会議。


 重責はある。


 けれど、不思議と怖くなかった。


 もう彼女は、自分の価値を誰かに委ねたりしない。


 過去は終わった。


 帳簿から消した項目は、二度と戻らない。


 だからこそ、前を向ける。


 アルテミシアは席へ着き、新しい予算書を開いた。


 インクの香りが静かに広がる。


 そして彼女は、迷いなくペンを取った。




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