報告会とアルカノヴァ
顔に靴跡を残したままボガードを降りたノアは、そのままアドベンチャーの拠点であるオフィスへ戻ってきた。
戦闘後の疲労に加え、寝過ごしたうえに返事もしなかった失態。その結果として顔面に刻まれた靴跡は、今のノアの立場をこれ以上なく分かりやすく示していた。
マイは怒りを隠さないまま、定位置であるソファーの中心に陣取る。そして、そのままノアを鋭く睨みつけた。
自分が悪いと分かっているノアは、何も言えずにギールの横へ腰を下ろす。
テリーはマイの隣に座り、マイとノアを面白そうに見比べながらニヤニヤしていた。その顔には、娘の怒りを止める気などまるでない。
マリーはそのまま給湯室へ向かい、手際よく飲み物を用意する。こういう時でも慌てることなく、いつも通りの所作で場を整えていくあたりは、さすが母というべきだった。
ハンは整備のためドックに残っており、今は不在。
シゲ爺はのんびりとソファーの端に座ると、手にしていたステッキをソファーへ立てかける。そして背筋を伸ばし、年齢を感じさせない姿勢で静かに佇んだ。
「はい。お茶を用意したわ」
そこへ、マリーが人数分の飲み物を持ってくる。
ギールとテリーの前にはコーヒー。マイとノアにはジュース。シゲ爺には湯呑みに入った緑茶。そして、マリー自身は紅茶。
それぞれに飲み物が行き渡ると、ギールが口を開いた。
「じゃあ、できなかったデブリーフィングをやろうか。でも、その前に」
そう言ってギールが視線で促すと、ノアは立ち上がり、深く頭を下げた。
「今回は申し訳ございません」
「クソが!」
「うむ。クソだな」
「二人ともダメよ。でも、クソよね」
マグナム一家の息の合った非難が、容赦なくノアへ突き刺さる。
言葉だけならひどい。だが、妙な呼吸の合い方があるせいで、ただ怒鳴られているだけでは済まない圧があった。
ノアは返す言葉もなく、小さくなるしかない。
「仕方がない。初陣は緊張するもんじゃよ。ただし、二度目は許されんぞ」
シゲ爺は穏やかに擁護しつつも、釘を刺すことは忘れない。
その言い方は優しい。けれど、許す部分と許さない部分の線引きははっきりしていた。
「まあまあ、この辺で。誰でも経験あるよ」
「ギールはあめぇ!」
「まあ、甘いのは否定しないけどね」
慣れているはずのギールも、ふうとため息を吐いた。
「マイ。そうは言うけど、君、初陣の時……」
ギールがそこまで言った瞬間、その顔めがけてクッションが飛んできた。
「てめぇ! それ以上言うなよ! 言うなよ!」
「緊張しすぎて、パイロットスーツを汚したこと?」
「言うなよ~~~~っ!」
半泣きになったマイの絶叫と共に、さらにクッションがギールへ投げ込まれる。
ギールはそれを難なく受け止めつつ、テリーとマリーにも視線を向けた。
「テリー、マリー。二人もそこまでにしておいてよ。あまり酷いと、ノアが言わなくても俺からシゲルさんに報告するからね」
その瞬間、テリーとマリーの動きがピタリと止まった。
先ほどまでニヤニヤしていたテリーの顔から、分かりやすく余裕が消える。マリーも紅茶のカップを持ったまま、ほんのわずかに視線を逸らした。
(よほどシゲルさんが恐ろしいんだ)
ノアはその変わりようを見て、昔のシゲルがどれほど恐ろしかったのか、想像もつかなかった。
「ノア。君も次はダメだからね。アラームをかけるなり、対策はできたはずだから。次は気を付けよう」
「はい。すみませんでした」
ノアはもう一度、素直に頭を下げる。
戦闘で力を示すことと、仲間として当たり前の連絡をすることは別だ。そこを疎かにしたのは、自分の落ち度だった。
「じゃあ、ここまで。続けよう」
ギールは手を叩き、この話を終わらせる。
そしてノアに座るよう促すと、テリーとマリーへ、マイの機嫌を直しておいてくれと目線を送った。
テリーがマイの頭に手を伸ばそうとして、睨まれて引っ込める。マリーが代わりにジュースの位置を少しだけ近づけると、マイはむすっとした顔のままそれを受け取った。
何とか落ち着きを取り戻したマイを見て、ギールは報告を始める。
「さて、今回の収穫だけど、ジャイ・アン海賊団の壊滅。賞金は約2,000万Cだね」
「雑魚だったし、その程度か」
マイは涙を拭いながら、いつもの調子に戻っていく。
先ほどまで半泣きだったとは思えない切り替えの早さだったが、目元が少し赤いせいで完全には隠しきれていない。
「そうだね。でも、データを抜けたから、その内容次第ではボーナスもあるね」
「それは良かったの」
シゲ爺が両手で湯呑みを持ち、ゆっくりとお茶を飲む。
まるで縁側で日向ぼっこでもしているような仕草に、ノアはますますこの人物が分からなくなっていた。
戦場では全身武装のRFで正確な砲撃を行い、今は湯呑みを両手で包むようにして穏やかに茶を飲んでいる。その差が大きすぎて、どちらが本当の姿なのか掴めない。
(転生者なんだろうか。本当に分からないな)
そんなことを思っていると、マイからの視線に気づく。
ノアは焦りながら、慌てて話の内容に耳を傾けた。
「それで、こちらの損失だけど、損傷はボガードなし。ショットキルもなし。ヤマトもノワールもなし」
笑いの名残が残っていた空気を、マイの低い声が切り替えた。
「ギール。アルカノヴァは?」
マイの確認に、ギールはすぐに答えた。
「なし。全員無傷」
「チッ」
不服そうに舌打ちをするマイに、ギールは小さく咳払いをしてから、改めて念を押す。
「いいかい。アルカノヴァはLOシリーズ。これはシゲルさんから聞いているんだけど、アルカノヴァには自動修復もある。その価値は計り知れないからね。勝手なことはしないように」
「なんだよ、それ! おい、ノア! あれは何なんだよ! 自動修復に、勝手に武器は切り替わる。どこであんなの手に入れたんだよ! 本当に大丈夫なのかよ!」
マイの声には、怒りだけではないものが混じっていた。
理解できないものへの苛立ち。
そして、それを仲間が当然のように使っていることへの不安。
ギールは深いため息を吐いた。
「今、注意したばかりだよ」
マイは一度、ぐっと唇を噛む。
分かっている。
踏み込みすぎていることも、ギールが止めようとしていることも。
それでも、ただ「大丈夫」と言われただけでは安心できなかった。
「だけど!」
「あの」
そこで、ノアが小さく手を上げた。
決して大きな声ではない。
それでも、その場の空気を止めるには十分だった。
「アルカノヴァなんですが、あれはある人から託されました。その人のことを話すことはできません。ですが、アルカノヴァは大丈夫です」
ノアの表情には、静かな覚悟が宿っていた。
自身の背負った罪。
それを抱えたまま、託されたアルカノヴァ。
クロに託され、進むと誓った機体。
説明できないことはある。
話せないこともある。
けれど、それでもこの機体と共に進むと決めたのは、ノア自身だった。
だからこそ、ノアは目を逸らさない。
マイの疑いも、不安も、怒りも、正面から受け止めるように見つめ返した。
「……クソ! 何が大丈夫なんだよ。訳が分からない」
今まで見たことのないノアの真剣な表情に、マイはそれ以上何も言えなかった。
納得したわけではない。
けれど、軽く踏み込んでいい話ではないことだけは分かった。
マイは悔しそうに顔をしかめると、拗ねるようにクッションへ顔を埋める。
テリーとマリーも何か言いたげだったが、シゲルのお墨付きという大義名分がある以上、二人は何も言えなかった。
シゲ爺だけは、湯呑みを両手で包んだまま、静かに茶の香りを楽しんでいた。
その姿だけを見ると、まるでこの話題に興味がないようにも見えた。
だが、湯呑みを持つ指先は少しも揺れていない。
すべて分かっていて、あえて口を挟まない。そんな静けさがあった。
「そこまでにしよう。とにかく、戦闘被害はゼロ。ただ、消耗の激しいパーツがいくつかあったから、それは交換になるかもってハンから報告が上がってるね」
ギールは場の空気を切り替えるように、報告へ話を戻した。
「誰のだよ」
クッションから顔を上げて確認するマイに、ギールは苦笑しつつ、自分とマイを順に指差す。
「スラスター系がね」
「そこは仕方ねぇだろ。それは」
マイは不満そうに言いながらも、そこだけは否定しなかった。
ショットキルの戦い方は、高速で突っ込み、急制動し、無理やり方向を変えながら敵の懐へ飛び込むものだ。スラスターに負担がかからないはずがない。
ギールのノワールも同じだった。
派手さこそないが、戦場全体を見ながら細かく位置を変え、仲間の穴を埋める。その分、細かな姿勢制御と推進系への負荷は大きい。
「そうだね。俺たちの戦い方だと、どうしてもスラスター系の消耗が激しいからね。通常整備扱いかな」
ギールはそう言いつつ、端末を操作して軽く計算する。
ホロディスプレイに修理費と交換パーツの一覧が並び、ギールはそれを一つずつ確認していった。
「大丈夫。チームの整備費で余裕で賄えるから」
「ならいいけど。クソ! 最近替えたばっかだったのに、もう交換かよ」
マイは悔しそうに吐き捨てる。
だが、その声には先ほどまでの棘は少し薄れていた。
納得できないことは残っている。
アルカノヴァへの疑問も消えていない。
それでも今は、チームとして次の話へ進む。
そういう空気が、ようやく部屋の中に戻り始めていた。




