赤い愛車
「えっと……その『暴走爆音』というのは?」
あまりにも物騒な呼び名が気になり、ノアは遠慮がちに尋ねた。
「ノア、いいから」
マリーは慌てて言葉を遮り、それ以上は聞かないでほしいと目で訴えてきた。しかし、シュウは昔を知る者らしい呆れを滲ませながら、肩を竦めた。
「いいも何もないだろう。ノア君、昔、このコロニーには複数の暴走チームがあったんだ。マリーは、そのうちの一つを率いていた」
「暴走チームを……マリーさんが率いていたんですか?」
マリーが昔、夜のコロニーをバイクで走り回っていたことは、以前、本人から聞いている。
だが、その時は少しばかり羽目を外していた程度の話だと思っていた。
まさか複数あった暴走チームの一つを率い、治安局から異名で呼ばれるほどだったとは思っていなかった。想像していた以上に本格的な過去を知り、ノアは驚きながらマリーを見つめた。
「夜になると仲間を引き連れてバイクで走り回り、路地裏までエンジン音を響かせていたんだ。何度、私たちが手を焼かされたことか」
「シュウ警部! 昔の話は、もういいですから!」
マリーは顔を赤くしながら、シュウの言葉を止めようと一歩踏み出した。普段の落ち着いた姿からは考えられないほど慌てており、昔のことをこれ以上知られるのが、よほど恥ずかしいらしい。
そんなマリーの様子を眺め、シュウは懐かしさを含んだ笑みを浮かべた。
「まあ、詳しい話はやめておこう。ただ、子供もいるんだ。いい加減、速度は抑えろよ」
「分かっています。今回は、その……少し急いでいただけです」
「毎回、そう言っている気がするがな」
シュウは苦笑しながら踵を返し、治安局本部の奥へ戻ろうとした。
「では、ノア君。ギールへの届け物、頼んだよ。マリーも、またな」
「えっ、あ、はい。ありがとうございました」
「ちょっと、シュウ警部! ノアに変なことを吹き込まないでくださいよ!」
マリーの抗議を背中で受けながら、シュウは片手を軽く上げた。振り返ることなく、楽しそうに笑いながら治安局本部の奥へ戻っていく。その姿からは、マリーとの付き合いが決して浅くないことが伝わってきた。
やがて、シュウの姿が治安局本部の奥へ消えると、残された二人の間に、何とも言えない沈黙が落ちた。
マリーは頬を赤くしたまま視線を逸らし、ノアもどのような言葉を掛けるべきか迷ってしまった。
以前に聞いていた話よりも、遥かに本格的な過去だった。
暴走チームを率い、治安局を何度も困らせていた頃の話は気になったものの、今のマリーに改めて尋ねる勇気はなかった。
「あ、では僕は、ギールさんのところに戻りますね」
この気まずい空気から抜け出すように、ノアはポケットに収めた端末を確かめながら、そう告げた。
「えっ、ギールに何か用があるの?」
マリーはまだ少し赤みの残る顔を上げ、ノアに尋ねる。
「はい。シュウさんから預かったデータを届けるように頼まれています」
「そう。届け先はギルドよね?」
「はい。でも、どうしてですか?」
「それなら、私が送っていくわ」
予想していなかった申し出に、ノアは目を瞬かせた。
「いいんですか?」
「もちろんよ。マイにご飯を奢ってくれたお礼」
先ほどまでの恥ずかしそうな表情を消し、マリーはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。その笑顔には、娘が世話になった相手へきちんと礼を返そうとする、母親らしい温かさがあった。
「そんなに気にしなくてもよかったんですけど」
「駄目よ。マイはあの性格だから、自分からきちんとお礼を言えていないでしょう?」
「まあ……ジュースを用意してくれたりはしましたけど」
「それとこれとは別よ。ほら、行きましょう」
マリーはそう言うと、ノアを促しながら正面玄関に向かって歩き始めた。
ノアもその隣を歩きながら、穏やかな横顔を盗み見た。先ほど聞いた異名が、どうしても頭から離れなかった。
(でも、『暴走爆音のマリー』って……どれほど派手に走り回っていたんだろう)
詳しく聞かない方がよいと思う一方で、ノアの中には新たな疑問が膨らんでいた。
マリーに案内され、治安局本部の駐車区画に停められたエアカーへ近づく。だが、その車両が視界に入った途端、ノアは思わず足を止めた。
「これは……」
一目見ただけで、家族三人で使うための車両ではないことが分かった。
車内に見える座席は、運転席と助手席の二つだけ。テリーやマイまで一緒に乗ることはできず、どうやらマリーが個人で使っている車両らしい。
それ以上にノアの目を引いたのは、車体に施された数々の改造だった。
周囲に並ぶ一般的なエアカーと比べ、赤い車体は流れるように細く絞り込まれ、見るからに速度を重視したスポーティーな形状をしている。
さらに、通常の浮遊走行だけでなく、タイヤを使った地上走行にも切り替えられるらしく、車体には幅の広いタイヤが取り付けられていた。
今は浮遊機構を停止しているため、赤い車体は四本のタイヤで地面に接している。
しかも、車高は異様なほど低く抑えられていた。僅かな段差でも底を擦ってしまうのではないかと、ノアが心配になるほどだった。
低く構えた赤い車体に、二人乗りの狭い座席。浮遊走行と地上走行のどちらでも速く走るために整えられたような外観を見ていると、先ほどシュウから聞かされた『暴走爆音のマリー』という異名が、再び頭に浮かんできた。
(もしかして、こういう車が好きなのか……)
「どうしたの?」
足を止めたノアに気づき、マリーが不思議そうに振り返った。
「マリーさん、その……ほかのエアカーとは随分違うなと思って」
なるべく失礼にならないよう言葉を選びながら、ノアは改めて赤い車体を眺めた。
「家族で乗るには座席も二つしかありませんし、それに、エアカーなのにタイヤまで付いてますよね?」
「ああ、これ?」
マリーはノアが驚いている理由に気づくと、どこか誇らしげに車体に手を添えた。
「ふふっ。ハンに改造してもらったの」
「ハンさんが……」
その名前を聞いた瞬間、ノアは妙に納得してしまった。
機械の性能を引き出すことに妥協せず、必要とあれば大胆な改造も施す整備士。ハンならば、浮遊走行と地上走行を両立させながら、速度性能まで高めるという難しい注文にも、一切の妥協を許さなかったのだろう。
「もちろん、合法の範囲でよ」
マリーは念を押すように人差し指を立て、穏やかな笑顔で付け加えた。
「……合法の範囲なんですね」
「ええ。自動運転にも切り替えられるし、手動でも走れるわ。改造申請も、きちんと通してあるの」
マリーは自慢の愛車を見つめながら、誇らしそうに胸を張った。
だが、つい先ほど速度違反による反則金の手続きを終えたばかりである。
ノアはそのことを口には出さず、赤い改造エアカーを見つめながら曖昧に頷いた。




