境界の記憶
そうしてノアは、コントローラーや物理キーボード、思考操作デバイスなど、気になった周辺機器を一通り買い揃えた。
購入した商品は数が多く、すべて持ち歩くにはかさばる。そこで店の配送システムを利用し、自宅へまとめて送ってもらうことにした。
端末に配送先を入力し、受け取りに必要な認証情報を登録する。最後に表示された注文内容と到着予定時刻を確認して手続きを終えると、ノアは満足そうに息を吐いた。
「これでよし、と」
店を出ると、通路の近くでウェンとマイが待っていた。
「ごめん。お待たせ」
「待たせすぎだ、このボケ」
戻ってきたノアに、マイが開口一番に怒鳴る。
「マイちゃん、言いすぎだよ」
ウェンは苦笑を浮かべながら、たしなめるようにマイの肩に手を置いた。
「だってよ。配送手続きだけで、どんだけ時間かかってんだよ」
「初めて使ったんだから仕方ないだろ。それに、商品の配送先を間違えたら困るし」
「そんなもん、端末が確認してくれるだろ」
「分かってるけど、念のために確認したんだよ」
文句を言うマイと、それを笑いながら宥めるウェン。
その二人を見ていると、ノアの胸にあった僅かな緊張が、不思議と薄れていった。
先ほどまでは、自分の知らない常識を笑われたことに少し恥ずかしさを感じていた。だが、マイの遠慮のない態度も、ウェンの柔らかな笑顔も、今ではどこか心地よい。
自分も二人と一緒にいてもいいのだと思えるだけで、自然と肩から力が抜けていった。
「じゃあ、次は服を見に行こうか」
ウェンの言葉に、ノアは素直に頷く。
「うん。二人に案内をお願いするよ」
「任せて。服を扱ってる店も、この中にいくつかあるから」
「私は別に服なんか興味ねぇけどな」
そう言いながらも、マイは先頭を歩き始める。
結局は付き合ってくれるらしい。
三人で衣料品区画へ向かう途中、ノアは先ほど見たゲーム用の周辺機器を思い返し、ふと疑問を口にした。
「そういえばなんだけど、没入型のゲームってないのかな?」
「没入型?」
ウェンがノアへ顔を向ける。
「うん。身体を動かすとか、思考で操作するだけじゃなくて、精神そのものをゲームへ接続するようなもの。自分がゲームの世界へ入り込んで、登場人物と一体化したみたいに動けるゲームってないの?」
ノアの問いかけに、マイは呆れたように眉を寄せた。
「おめぇ……本当に何も知らねぇんだな」
「またその反応?」
ノアは少し顔を引きつらせる。
「知らないから聞いてるんだよ。そんなにおかしな質問なの?」
「おかしいっていうか、常識だろ」
「だから、僕にはその常識がないんだって」
二人が言い合いそうになるのを見て、ウェンが苦笑しながら口を挟んだ。
「昔はあったみたいだよ。ノアが言ったような、精神をゲームへ接続して、その世界へ完全に入り込む形式のものが」
「やっぱり、あったんだ」
ノアの表情が僅かに明るくなる。
だが、ウェンはすぐに首を横へ振った。
「でも、今はもう廃止されてるの」
「どうして?」
「危険だから」
その答えに、ノアは足を止めかけた。
「危険?」
「うん。接続したまま現実へ戻ってこられなくなる人が続出したみたい」
ウェンは少し表情を曇らせながら、説明を続ける。
「精神とゲーム側の情報がうまく切り離せなくなったり、自分が現実にいるのか、ゲームの中にいるのか分からなくなったり……色々な事故が起きたって聞いたことがある」
「そんなことが……」
「接続を解除しても、長時間意識を取り戻さなかった人もいたし、そのまま亡くなった人も多かったみたい。それで危険性が問題になって、全面的に廃止されたの」
先ほどまでゲームへの期待を浮かべていたノアの顔から、次第に笑みが消えていく。
精神をゲームへ接続し、その世界で本当に生きているような体験を得る。
夢の技術だと思っていた。
だが、「現実との境界を失う」という言葉に触れた瞬間、ノアの記憶の奥に沈んでいた感覚が、微かに蘇った。
(……ゲームを起動した時)
転生する前のこと。
記憶の大半は失われているが、その時の出来事だけは、断片的に残っていた。
父親に頼み、買ってもらったフルダイブ式のVRゲーム。
専用のヘッドセットを被り、首に思考検知装置を取り付けた。そして期待に胸を膨らませながら、ゲームを起動した。
その直後。
鋭い痛みが全身を貫いた。
(あの時……何かが切れたような気がした)
意識の奥で、それまで自分を現実へ繋ぎ止めていた何かが、静かに途切れたような感覚。
だが、痛みの後に現れたのは、何もない白い空間だった。
そこにいた老人から、二度目の生に興味があるかと尋ねられた。
ノアはそれをゲームのチュートリアルだと思い込み、早く先へ進みたいという気持ちだけで答えた。
自分の姿を作り、名前を決め、スキルと専用機を与えられた。
そして、最後に言われた言葉。
『すべてを壊せ。お前はゲームの主人公だ』
その言葉を疑うことなく受け入れ、自分はこの世界をゲームだと思い込んだ。
いや、思い込まされていた。
ゲームと現実の境界を失い、そこに生きている者たちをNPCだと決めつけた。傷つけても、命を奪っても、それはゲームの中で起きている出来事にすぎないと信じていた。
(僕も……現実に戻れなくなった一人だったのかもしれない)
正確には、戻れなくなったのではない。
あの痛みが走った時点で、すでに元の世界で死んでいた可能性が高い。
そして、自分が死んだことにも気づかないまま、この世界へ転生させられた。
神による精神干渉があったことも分かっている。
それでも、すべてを神のせいにすることはできなかった。
破壊することに興奮し、強くなることに喜びを感じていた。その感情まで、すべて偽物だったとは思えない。
だからこそ、自分が犯した罪は消えない。
ウェンの話を聞くうちに、胸の奥に重いものが沈んでいく。
夢のような技術。
ゲームと現実の境目を失った人々。
そして、ゲームを起動した直後に何かが切れ、そのまま元の世界で命を失ったのかもしれない自分。
あまりにも似ている。
「……ノア?」
隣から名前を呼ばれ、ノアは我に返った。
ウェンが心配そうに顔を覗き込んでいる。マイも先ほどまでの呆れた表情を消し、不思議そうにこちらを見ていた。
「どうしたの? 急に黙って」
「……ううん。何でもない」
転生者であることも、神に精神を干渉されていたことも、二人に話すわけにはいかない。
ノアは胸に沈んだものを隠すように、僅かに笑みを作った。
「ただ、少し怖い技術だなって思っただけ」
「そうだね。便利でも、命を失ったら意味がないから」
ウェンの言葉に、ノアは静かに頷く。
「……そうだね」
ゲームは楽しいものだ。
少なくとも、今度はそうであってほしい。
現実から逃げ込むためでも、他者の命を弄ぶためでもない。ただ純粋に、遊びとして楽しめるものであってほしかった。
ノアは胸の奥に蘇った記憶を静かに押し込み、ウェンとマイの隣を歩き続けた。




