待ちきれない二人
そして夕方――と言うには、あまりにも早い時間。
ノアはすでに、待ち合わせ場所である〈中華一筋〉近くのエアバス停の前に立っていた。
ウェンとの約束を決めてからというもの、どうしても落ち着いていられなかったのだ。家の中を何度も行ったり来たりし、座っては立ち上がり、端末で時間を確認しては、まだ早いとソファーへ戻る。
そんなことを繰り返しているうちに、待っていること自体がもどかしくなり、結局は予定よりも遥かに早く家を出てしまった。
「いや、早すぎだろ。まだ三時を過ぎたところだぞ」
端末に表示された時刻を見て、ノアは自分自身へ呆れたように突っ込む。
約束の六時までは、まだ三時間近くも残っている。それなのに、すでに待ち合わせ場所で待っている自分がいる。
「何してるんだ、僕は……」
思わずため息を吐くが、今さら家へ戻る気にもなれなかった。
エアバス停の周囲を歩いて時間を潰そうか。それとも、近くの店を少し見て回るか。そんなことを考えていた時、遠くから一人の少女が近づいてくるのが目に入った。
腰まで届く長い金髪が、歩くたびに柔らかく揺れている。
身にまとっているのは、淡い青色のワンピース。軽やかな布地が少女の動きに合わせてなびき、すらりとした身体の線を上品に引き立てていた。
(綺麗な人だな……)
思わず目を奪われた直後、ノアは我に返る。
(いやいやいや! 僕は何を見てるんだ! 失礼すぎるだろ!)
慌てて視線を逸らし、時間を確認するふりをして端末を開く。
だが、視界の端では、こちらへ近づいてくる少女の姿を追ってしまっていた。
(いや、見ない方がいいって。でも、どうしてこっちに来るんだろう……)
どうにも気になってしまう。
だが、その少女がウェンだということに、この時のノアはまだ気づいていなかった。
そしてウェンもまた、ノアと同じように、約束の時間まで大人しく待ってはいられなかったのである。
少し前。
〈ロック・ボム〉のカウンターでウェンが店番をしていると、店の奥から出てきたスミスが唐突に声を掛けた。
「俺が店番する。友達と買い物に行ってこい」
「えっ?」
予想もしていなかった言葉に、ウェンは磨いていたビームライフルから顔を上げた。
「どうして?」
「……はぁ。自分で気づいてないのか」
スミスは呆れたようにため息を吐くと、店内を映している監視カメラの一つを指差した。
「俺は裏で仕事をしていたが、さっきから時計を気にしすぎだ。何度確認すれば気が済むんだ」
「えっ……」
言われて初めて、ウェンは自分の行動を振り返った。
(うそ! 私、そんなに見てた!?)
確かに、先ほどから時間が気になって仕方がなかった。
作業をしながらも、約束の時間まであとどれくらいかと時計へ目を向け、少し経つとまた確認する。それを無意識のうちに、何度も繰り返していたらしい。
「早く行きたいなら、そう言え」
スミスは腕を組み、ウェンを真っ直ぐに見る。
「その友達……で合ってるよな?」
「と、友達だよ!」
反射的に声が大きくなった。
その反応にスミスはわずかに眉を上げたが、それ以上は追及しなかった。
「遊びに行きたいなら、遠慮せずに言えばいい」
「でも、まだ店を閉める時間じゃないし……」
「本来なら、お前はまだ遊んでいてもいい歳だ」
スミスの声は普段と変わらず低く、ぶっきらぼうだった。
それでも、その言葉の奥には娘を気遣う感情が滲んでいる。
「いつも仕事をしているんだ。たまには息抜きをしてこい。それに……」
そこで言葉を切ると、スミスはカウンターの上へ視線を落とした。
そこには、新たに中古で仕入れた四丁のビームライフルが並べられている。
本来なら、すでにすべての点検と清掃が終わっていてもおかしくない時間だった。
だが、磨き終わっているのは一丁だけ。
しかも、その一丁だけが不自然なほど念入りに磨き上げられ、店内の照明を反射して眩しいほどの光沢を放っている。
「いつまで経っても終わらん」
「……え?」
ウェンは手元のビームライフルと、まだ手をつけていない残り三丁を見比べた。
そこでようやく、自分が同じ一丁ばかりを延々と磨いていたことに気づく。
(うそ……何してるの、私!)
ノアからの誘いが頭から離れず、作業へまったく集中できていなかった。
表面を磨き終えたことにも気づかず、同じ箇所へ何度も布を滑らせていたらしい。
「代われ」
スミスはそう告げると、ウェンが返事をする前にカウンターの内側へ入ってきた。
「……うん。でも、本当にいいの?」
「いい。上の空で武器を扱われる方が危ない」
短く答えたスミスは、半ば強引にウェンから作業を引き継ぐ。
「楽しんでこい」
その言葉を聞き、ウェンは少しだけ目を見開いた。
スミスは何事もなかったように、磨き上げられたビームライフルを手に取って状態を確認する。
「……磨きすぎだな」
「うっ……」
小さく呻くウェンを気にすることなく、スミスは次の一丁を手に取った。
布にメンテナンスオイルを染み込ませ、慣れた手つきで銃身を磨き始める。その動きには無駄がなく、ウェンが長い時間をかけても一丁しか終わらなかった作業を、淡々と進めていく。
「……ありがとう」
ウェンは少し照れくさそうに、それでも素直に礼を伝えた。
「構わない」
スミスは手を止めることなく、短く答える。
その横顔をしばらく見つめた後、ウェンは端末を握り締め、急いで出掛ける準備を始めた。
(このままの格好で行くのは、さすがに失礼かな……でも、急に可愛い服を着ていったら、変に思われるかもしれないし……)
いつもの服で行くべきか、それとも少しくらいお洒落をするべきか。
悩みに悩んだ末、ウェンは意を決した。
「……よし」
久しぶりにお洒落をしよう。
普段のポニーテールを解き、長い金髪へ丁寧に櫛を通す。いつもより時間をかけて髪を整えた後、滅多に着ることのない淡い青色のワンピースを取り出した。
身体へ当てながら鏡を見つめる。
(……大丈夫だよね?)
自問しながらも、胸の奥では期待と不安が入り混じり、鼓動が落ち着かない。
それでもウェンはワンピースに袖を通し、鏡の前で何度も髪や服装を確かめながら、出掛ける準備を進めていった。
鏡の前に立つウェンは、誰が見ても恋する乙女そのものだった。




