買い物の誘い
ノアの家であるシゲルの避難所へ着くと、正面には向かわず、そのまま建物の裏手へ回った。
巨大なコンテナをいくつも繋げたような無骨な外観。
初めてここへ来た時には、この建物を本当に家と呼んでいいのか疑問に思ったものだ。
だが今では、ここが自分の帰る場所になっている。
裏手へ回ると、以前ノアが玄関だと思い込んでいた扉が、ひっそりと壁際に佇んでいた。
だが、その扉はダミーだ。
鍵を差し込んで回しても、扉そのものは開かない。
ノアはシゲルから渡された物理式の鍵を手にしたまま、その横にある無機質な金属パネルへ視線を向けた。
「確か、この辺だったよな……」
指先でパネルの継ぎ目を探る。
一度場所を知っているとはいえ、本物の鍵穴は外から簡単に見つけられないよう巧妙に隠されていた。
しばらく指を這わせ、ようやく小さな窪みを見つける。
「あった。相変わらず見つけにくいな」
ノアは苦笑しながら鍵を差し込み、ゆっくりと回した。
小さな音が響く。
直後、壁の一部が重々しく横へスライドし、その奥から本物の入口である重厚な防音扉が姿を現した。
「毎回これだからな。秘密基地みたいで面白いけど」
そんなことを呟きながら、ノアは防音扉を潜る。
すると、足元に設置された簡易除塵装置が起動し、衣服や靴に付着した埃を風で吹き飛ばしていった。
舞い上がった細かな埃は周囲の吸入口へ吸い込まれ、短い時間で除塵が終わる。
ノアは近くのボタンを押して入口を閉じると、小さな制作スペースを抜け、その奥にある居住区の内扉へ向かった。
扉の前で靴を脱ぎ、厚みのある扉を開いて室内へ入る。
「ふぅ~~~」
家へ帰ってきた安心感と共に、長い息が自然と漏れた。
壁のスイッチを押す。
天井の照明が柔らかく灯り、同時に空調が静かに作動を始めた。
窓は一つもない。
外の景色を見ることもできず、外から中を覗かれることもない密閉された空間。
まさに避難所。
初めてここへ来た時には、その徹底した造りに驚いた。
だが今では、この閉ざされた静かな空間が、ノアにとって不思議と心地よいものになっていた。
「さて、これからどうしよう」
ノアはソファーへ腰を下ろし、背もたれへ身体を預けながら天井を眺める。
一週間の休み。
この休みをどう使うか、まだ何も決めていない。
「今のこの部屋に、足りないもの……」
そう呟きながら身体を起こし、改めて室内を見回した。
生活に必要な家具や家電は揃っている。
食事にも困らない。
だが、ノアにとって、まだここには楽しみと呼べるものがなかった。
自分がこの世界へ来るきっかけとなったもの。
そして、過去の記憶がほとんど残っていない中で、唯一、自分が好きだったと覚えているもの。
――ゲーム。
ノアは端末を開き、現在の所持金を確認する。
しばらく表示された金額を眺めた後、ソファーから立ち上がった。
「モニターとゲーム。買いに行こうかな」
そう口にすると、少しだけ気持ちが弾んだ。
ゲーム。
かつての自分にとって、それは現実から目を逸らすための場所でもあった。
だが、今は違う。
今度はただ、純粋にゲームとして楽しんでみたい。
「よし。買いに行こう」
思い立ったノアは、すぐに行動へ移そうとする。
だが、そこでふと足を止めた。
「……そうだ。まだコロニーのこと、よく分からないんだよな」
ゲームやモニターを売っている店がどこにあるのか。
どの辺りへ行けばいいのか。
このコロニーで暮らし始めてまだ日の浅いノアには、何も分からない。
少し考えた後、一人の顔が頭に浮かんだ。
「そうだ。ウェンに案内してもらおう」
そう決めると、ノアは再び端末を開き、ウェンへ連絡を取るために操作を始めた。
少しだけ文章を考えた後、メッセージを打ち込んでいく。
『ウェン。急で申し訳ないんだけど、今から買い物に行けないかな? まだコロニーの店とか、よく分からなくて。良かったら一緒に色々見て回れないかな? 手が空いていたらでいいんだけど、どうかな?』
「……こんな感じでいいかな」
内容を一度だけ読み返し、そのまま送信する。
メッセージが送られたことを確認すると、ノアは端末をソファーの上へ置いた。
「返事が来るまでに、トイレに行っておこう」
そう呟き、その場を離れる。
一方、その頃。
重低音のロックミュージックが鳴り響く店内で、ウェンはカウンターの中に立ち、商品を磨いていた。
手に持った商品を柔らかな布で丁寧に拭きながら、汚れが残っていないか角度を変えて確認していく。
そんな時だった。
カウンターの上に置いていた端末へ、メッセージの着信が入る。
「誰からだろう?」
ウェンは磨いていた商品をそっと置き、端末を手に取ると、ホロディスプレイに表示された名前へ視線を向けた。
「……ノア?」
少しだけ目を見開きながら、届いたメッセージを開く。
そこに書かれていたのは、まだコロニーの店について詳しくないこと。
そして、一緒に色々な店を見て回らないかという誘いだった。
「えっ!?」
思わず大きな声が出た。
その瞬間、ウェンの頬が一気に熱くなる。
(えっ、待って。これって……買い物? 二人で色々見て回るってこと?)
もう一度、メッセージへ目を落とす。
『良かったら一緒に色々見て回れないかな?』
間違いなく、そう書かれている。
(これって、もしかして……デートの誘い!?)
胸が大きく跳ねた。
(いや、違う! 違うよね? だって、コロニーの店が分からないから案内してほしいってことだし。でも、二人で色々見て回るって……それってどうなんだろう? 普通? 普通なの?)
考えれば考えるほど、分からなくなる。
ただ買い物へ行くだけ。
ただ街を案内するだけ。
そう思えばいいはずなのに、ノアと二人で並んで店を見て回る姿を想像した途端、胸の鼓動がさらに速くなった。
「どうしよう……」
嬉しい。
けれど、恥ずかしい。
それなのに、すぐに返事をしたい気持ちもある。
嬉しさと恥ずかしさ、それに期待までが一度に押し寄せ、ウェンの頭の中をかき回していく。
(落ち着いて。普通に返事すればいいだけだから。『いいよ』って。それだけでいいんだから)
そう自分へ言い聞かせる。
だが、いざ返信画面を開くと、今度は指が止まった。
(『いいよ』だけだと冷たいかな? でも、『ぜひ行きたい』だと喜びすぎてるみたいだし……どう返せばいいの!?)
「何を驚いてる?」
「ひゃっ!?」
突然、背後から声を掛けられ、ウェンは慌ててホロディスプレイを閉じ、端末を胸元へ抱え込むように隠した。
慌てて振り返る。
そこには、店の奥から出てきたスミスが立っていた。
ウェンの驚いた声は、店内に響き渡る重低音のロックミュージックにも負けず、奥にいたスミスの耳までしっかり届いていたらしい。
「いや、その……何でもない!」
慌ててそう答えるウェンに、スミスはわずかに眉を上げる。
「何でもない奴は、そんな声を出さないだろ」
「本当に何でもないから!」
ウェンは端末を隠すように、身体を少し横へ向けた。
だが、顔が赤くなっていることまでは隠せない。
スミスはそんなウェンの様子を、じっと見つめていた。




