休暇の始まり
「まあ、この辺で。今日は解散にしよう」
ギールがそう言って手を叩き、今回のデブリーフィングを締めに入る。
「ハンには俺から連絡しておくから。次の依頼は状況次第かな」
「おい! もうしばらく休みでいいだろ! ハンターの応援も来たんだろ!」
マイがすかさず声を張り上げ、ギールを睨みつける。
ようやく終わったと思ったところで、次の依頼を匂わせるような言葉を聞かされたのが気に入らないらしい。
「そうだね……」
ギールは少し考え込むように腕を組む。
「俺もギルドマスターの仕事があるし、機体の整備状況にもよるけど……一週間ほど休みにしようか」
「よっし! 今度こそ絶対だぞ!」
マイは勢いよく拳を握りしめる。
「はいはい。じゃあ、ここまで」
ギールがそう締めると、それぞれが帰り支度を始めた。
シゲ爺は湯呑みに残っていたお茶をゆっくりと飲み干す。空になった湯呑みを静かにテーブルへ置くと、ソファーへ立てかけていたステッキを手に取り、そのまま何事もなかったようにオフィスを後にした。
「母さん、父さん。帰ろうぜ!」
マイは待ってましたとばかりにソファーから飛び降り、そのまま出口へ向かおうとする。
だが。
「マイちゃん」
背後から聞こえた穏やかな声に、その足が止まった。
マリーが静かに微笑みながら、すっと足元の硬い床を指差している。
その様子を見たテリーは、少し苦笑しただけだった。
助け舟を出す気はないらしい。
テリーはソファーに座ったまま腕を組み、マイの行く末を静かに見守っている。
「……え?」
マイは一度、指差された床を見る。
そして、恐る恐る顔を上げ、マリーを見た。
母は微笑んでいる。
いつもと変わらない、優しそうな笑顔。
だが、その笑みの奥には、隠しきれない怒りが覗いていた。
「あの……母さん?」
「何かしら?」
「いや、その……帰るんじゃないのか?」
マイが恐る恐る尋ねる。
すると、マリーは笑みを崩すことなく答えた。
「私は言ったわよね。家に帰ったら、わかってるわねって」
「でも、ここは家じゃないし……」
マイはわずかな希望にすがるように反論する。
「そうね」
マリーはあっさりと認めた。
その瞬間、マイの表情がほんの少しだけ明るくなる。
だが。
「でも、別に変わらないわよ。家でも、ここでも」
「えっ」
マイの顔から、再び希望が消えた。
そんな娘の様子を気にすることなく、マリーは穏やかな笑みを浮かべたまま、ギールとノアへ視線を向ける。
「ギール、ノア。ここは私たちが最後に締めておくから、もう帰っていいわよ」
「え?」
ノアが思わず声を漏らす。
だが、マリーはその反応に構うことなく、今度はテリーへ顔を向けた。
「あなた。コップの片付けを頼んでもいい?」
「ああ、分かった」
テリーは短く答えると、腕を組んでいた姿勢を解いてソファーから立ち上がり、テーブルの上に並んでいるコーヒーカップやグラスなどを、慣れた手つきで一か所へまとめ始める。
「じゃあ、俺たちは行くよ。ノア、行こう」
「あ、はい。……でも」
ギールに促されて立ち上がりながらも、ノアはどうしても気になり、マイの方へ視線を向けた。
その瞬間、目が合った。
マイは何も言わない。
だが、その視線が何を訴えているのか、ノアにはすぐに分かった。
(助けてって言ってる……)
いつもの鋭い目つきは、どこへ行ったのか。
今のマイの瞳には、最後の希望をノアへ託すような必死さが浮かんでおり、ノアは思わず足を止める。
「その……」
少しくらい、助け舟を出してもいいのではないか。
そう思った瞬間、マリーと目が合った。
彼女は笑っている。
穏やかに。
優しく。
けれど、その瞳だけは、はっきりと告げていた。
――帰りなさい。
「し、失礼します」
ノアはすぐさま頭を下げた。
「おいっ!」
背後からマイの声が飛んできたが、振り返らない。
いや、振り返れない。
「じゃあ、またね」
いつものやり取りなのか、すべてを悟ったような顔をしているギールは、苦笑を浮かべながら手を振る。
ノアもその後に続き、二人はそそくさとオフィスを後にした。
閉まっていく扉の隙間から最後に見えたのは、こちらへ縋るような視線を向けるマイの姿。
そして、その隣で変わらず微笑んでいるマリーだった。
(ごめん、マイ……僕には無理だ)
心の中で謝罪しながら、ノアはギールと共に階段を下りていく。
先ほどまでのデブリーフィングで張り詰めていた緊張が抜けたからだろうか。
階段を一段ずつ下りるたびに、一連の出来事がようやく終わったのだという実感が、少しずつ湧いてくる。
「……良かったんですかね?」
ノアは少し気になり、前を歩くギールへ問いかけた。
その瞬間。
「マイちゃん! そこに正座!」
「待って! 母さん! 話を――」
オフィスの方から、マリーとマイの声が響き、ノアは思わず足を止め、階段の上を振り返った。
「……助けなくて良かったんですか?」
「いいの、いいの」
ギールは苦笑しながら軽く手を振った。
「親子の問題に首を突っ込むと、こっちまで巻き込まれるからね」
「なるほど……」
納得していいのか分からない。
それでも、先ほどのマリーの笑顔を思い出すと、ノアには反論できなかった。
ギールもそれ以上は気にする様子を見せず、話題を切り替えるようにノアへ尋ねる。
「それより、ノア。この後はどうする? 俺はこれから食事に行こうと思ってるけど」
「僕は、一旦家に帰ろうかと思っています」
「そうか」
ギールは小さく頷く。
「まあ、一週間は休みにするつもりだから、ゆっくりするといいよ。また集合する時は連絡するから」
「分かりました」
ノアは素直に頷くと、そっと自分の手を見つめ、静かに握り締めた。
初めての依頼。
初めての仲間との戦闘。
そして、シゲ爺から受けた言葉。
短い間に起きたことは、あまりにも多かった。
まずは一度、家に帰ろう。
そう考えながら、ノアはギールと共に階段を下り、しばらく歩いたところで別れた。
一人になったノアは、家へ向かうエアバスに乗り込む。
窓の外を流れていくコロニーの街並みをぼんやりと眺めながら、座席へ身体を預けた。
いろいろと考えたいことはあったが、今はまだ頭の中でうまくまとまらない。
やがてエアバスが家の近くにある停留所へ到着すると、ノアは座席から立ち上がり、そのまま車外へ降りた。
久しぶりに一人になった気がする。
ノアは周囲の景色を見渡しながら、うーんと大きく腕を伸ばした。




