背負い、前を向け
ノアは背筋を伸ばしたまま、緊張で身体を固くする。
マイ。
テリー。
マリー。
そしてギール。
全員が、シゲ爺に自分でも気づいていないような部分まで指摘されている。
(僕は何を言われるんだ……?)
心臓の音が、妙に大きく感じられた。
その時、シゲ爺の視線がノアへ向く。
「最後に、ノア」
「はい!」
(来た!)
思わず声が裏返りそうになるのを堪え、ノアはさらに背筋を伸ばした。
だが、シゲ爺はすぐには言葉を続けなかった。
ホロディスプレイへ視線を戻し、白い三角――アルカノヴァの動きを静かに見つめている。
「……おぬしの戦い方には、迷いがあるの」
「え?」
予想していなかった言葉に、ノアの表情が止まった。
「動きそのものは悪くない。腕もある。機体の性能も、儂には測れぬほどじゃ。ゆえに、今のところ技量や機体について言うことはない」
シゲ爺はゆっくりと戦闘記録を進める。
アルカノヴァが敵陣を切り開く。
マイの後を追い、敵RFを次々と切り裂いていく。
その動きだけを見れば、迷いなどないように見えた。
「じゃが、最後の一撃。刃を振るう前に、何かを飲み込んだな」
「……はい」
ノアは小さく答える。
最後の一撃の直前、アルカノヴァの動きに、ほんのわずかな間があった。
戦闘全体から見れば、誤差とも言えるほどの時間。
だが、シゲ爺はその一瞬を見逃していなかった。
(そこまで分かるのか)
誰にも気づかれていないと思っていた。
あの時、一瞬だけ脳裏をよぎったもの。
これはゲームではない。
相手には命がある。
かつての自分が、何も考えずに奪ってきたもの。
それらを思い出し、それでも刃を振るうと決めた、あの一瞬。
ノアはゆっくりと肩を落とした。
「詳しいことは聞かぬ。誰にでも、背負っておるものはあるからの」
シゲ爺の声は静かだった。
だが、次に発せられた言葉には、戦場を生きてきた者の厳しさが込められていた。
「じゃが、迷えば死ぬ!」
その声に、ノアの肩がわずかに揺れる。
「戦場に出た以上、迷いで動きを止めるな! 己が止まれば、おぬしだけではなく、仲間まで死ぬことになる!」
「……」
ノアは何も答えられなかった。
(迷いを……なくす)
罪を忘れるわけではない。
過去を切り離すわけでもない。
それは、ノア自身も分かっているつもりだった。
自分が奪ってきた命も、犯してきた罪も忘れない。そのすべてを背負ったまま、それでも前へ進む。
そう決めたはずだ。
だからこそ、ノア・シンフォスという名を受け入れた。
もう一度生きるために。
今度こそ、自分の意思で進むために。
けれど、実際に命を奪うその瞬間になると、心のどこかで足が止まる。
分かっているつもりだった。
覚悟したつもりでもいた。
だが、背負うと決めることと、その重さに耐えながら戦い続けることは、同じではなかった。
(僕は……どうすればいい)
罪を忘れず、それでも戦場では迷わない。
その二つをどう両立すればいいのか。
ノアが答えを見つけられずにいると、シゲ爺は静かに息を吐いた。
「……捨てられぬのなら、きちんと背負え」
「え?」
ノアは顔を上げる。
そこにあったのは、厳しい師の顔ではなかった。
ただ静かに、ノアを見つめる老人の姿。
「無理に捨てる必要はない。忘れられぬもの、捨てられぬものならば、すべて背負えばよい」
シゲ爺はステッキへ手を伸ばし、その柄を静かに握る。
「背負い、それでも前へ進め」
ノアは何も言えなかった。
「過去が消えぬのなら、それでよい。じゃが、過去に足を掴まれ、今を失うな」
その言葉が、ゆっくりと胸の奥へ落ちていく。
「背負うと決めたのなら、迷うことなく背負え。そして前を向け。それがおぬしの道じゃろう」
「……はい」
ようやく出た声は、小さかった。
それでもノアは、しっかりと頷く。
「はい!」
今度は、先ほどよりも強く答えた。
シゲ爺はその返事を聞くと、満足そうに目を細める。
「うむ。ならばよい」
その一言で、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
だが、シゲ爺はそこで終わらせることなく、改めて全員を見渡す。
「毎回、同じことを指摘させるでないぞ。命は一つしかないからの。皆もじゃぞ。儂が何度、同じことを言ったと思っておる」
「申し訳ないです」
マリーが素直に頭を下げる。
「面目ない」
テリーも短く答え、深く頭を下げた。
「……うん」
マイも珍しく反論せず、正座したまま小さく頷く。
「はは……次は気を付けるよ」
ギールも苦笑しながら、素直に頭を下げた。
「うむ」
シゲ爺は一人一人の顔を確かめるように見てから、静かに頷く。
ノアは、そのやり取りを黙って見つめていた。
厳しい。
だが、誰かを責めるための言葉ではない。
次の戦いでも全員が生きて帰るために、シゲ爺は欠点を見逃さず、必要なら何度でも同じことを言う。
そういう人なのだろう。
そしてノアは、先ほど自分へ向けられた言葉を、胸の奥へ刻み込むようにもう一度噛み締めた。
「ノアよ」
「はい」
名前を呼ばれ、ノアは顔を上げた。
シゲ爺は先ほどまでの厳しい表情を少しだけ和らげている。
「厳しいことを言ったが、分かったかの?」
「はい。本当にありがとうございました」
ノアは真っ直ぐに答え、深く頭を下げた。
今すぐ迷いのすべてが消えるわけではない。
背負っているものが軽くなるわけでもない。
自分はもう、背負って進むと決めている。
だが今日、シゲ爺の言葉を聞いて、ようやく一つ気づいた。
背負うことと、過去に足を止められることは違う。
罪を忘れず、それでも戦場では前を向く。
まだ完全にできるとは言えない。
それでも、自分が選んだ道をどう歩けばいいのか、その形が少しだけ見えた気がしていた。
「うむうむ」
シゲ爺は満足そうに何度か頷く。
そして、先ほどまでの厳しい空気を切り替えるように、少し明るい声を出した。
「さて。では次じゃが、儂について何か物申したい者はおるかの?」
その瞬間。
誰も口を開かなかった。
マイは視線を逸らし、空になったジュースのコップを見つめる。
テリーは腕を組んだまま黙り込み、マリーは静かに紅茶を口にした。
ギールまで、どこか気まずそうにホロディスプレイへ視線を逃がしている。
(え……シゲ爺に?)
ノアも思わずシゲ爺の戦闘記録を思い出す。
戦場の後方から大型リニアカノンを構え、遠距離から敵戦艦を正確に撃ち抜く。
その間にも味方の背後を狙った敵RFを確実に処理し、必要に応じて自らの位置も変えていた。
(いや……何を言えばいいんだ?)
少なくとも、初めて一緒に戦ったノアには、指摘できる部分など思いつかなかった。
(え、シゲ爺に物申すって……言えないよな)
重い沈黙だけが、部屋の中に残った。
シゲ爺はしばらく待っていたものの、やがて小さくため息を吐いた。
「まったく……そこは、『もっと撃ち落とせたじゃろう』とか、『後ろに居座りすぎじゃ』とか、何か言うところじゃろうに」
シゲ爺は少し不満そうに眉を下げる。
だが、それでも返事はなかった。
むしろ今の発言で、さらに言いづらくなったようにさえ見える。
ノアは周囲の様子を見回しながら、心の中で小さく思った。
(それを本人に言える人が、ここにいるのかな……)




