第26講 兄のすゝめ(その1)
突然だが、兄の話をしようと思う。
俺の兄は、俺より三つ上で、俺が中学に入学すると同時に高校に上がった。小学生の頃から医者になることを夢見て、大学も医療系に進むと高校に進学する以前から決めていた。学校が終わったら速攻で帰宅し、小説ばかり書いていた俺とは必ず何かが違った。
ただ、そんな俺を兄貴はたいへん可愛がってくれた。家族の誰よりも一緒にいてくれたし、昔から親代わりみたいな存在だった。
俺が小学五年くらいのある日、兄は「同級生が小説を書いていて、自分は書けないから書いてみないか?」というようなことを言ってきた。俺はすぐその気になり、その日のうちに短い小説にもなっていないようなお話を書き、見てもらった。
兄はたいそうおもしろがって、「お前が小説家になったら、新刊が出るたびに十冊ずつ買ってやる!」とまで言ってくれた。
俺が小説を書き始めると引きこもりがちになり、それまでいた友達の数も減っていったが、そんなことは気にしていなかった。だって、兄貴がいてくれたから。兄貴が俺の小説を読み、時には「もっとこうした方がいい」みたいにアドバイスもしてくれた。兄貴の勉強の合間に、俺は何度も自分で書いた小説を読んでもらっていた。そんな日々が、中学二年まで続いた。
あの日も俺は学校が終わると家に帰り、パソコンを持って兄が入院している病院へ行った。パソコンは母のお下がりだったが、兄のお下がりでもあったのだ。
「おぉ、ついに完結したか!」
兄はベッドの上で、嬉しそうに声を上げた。兄は半年前から、ガンと診断され、入院生活を送っていた。
「俺の自信作だぞ! 初めて恋愛要素も取り入れてみた。どうだ!」
得意気に言う俺。
兄は嫌な顔ひとつせず、パソコンを膝に乗せて俺がブログに載せている小説を読んだ。そんなことを言ったものの、俺は一抹の不安を抱きつつ兄の横顔を見守る。何故なら、兄は褒めてもくれるが、正直に言うのだ。いくら俺が可愛くて仕方がないと思っていても、話がつまらなければ「面白くない」とハッキリ言う。
内心ドキドキしながら、兄が顔を上げるのを待っていると、兄は画面から目を離して俺の目を捉えた。無意識に、俺は背筋をピンと張る。
「才人。これ、全部、自分で考えたのか?」
「あ……当たり前だよ!」
「面白いじゃないか。お前、やっぱり創作の才能があるな!」
その一言で、俺の心は有頂天になる。
「マジで?」
思わず、腰かけていた椅子から立ち上がる。
「あぁ。これ、友達とかにも読ませてみたらどうだ? 絶対、面白いって言ってくれる人が他にもいると思うけど」
「あ……うん……」
俺の煮え切らない返事を聞いた兄は、不思議そうに尋ねてきた。
「どうした? 何か嫌なことでもあったのか?」
「いや、そうじゃなくて……。俺の友達、全っ然本読まないんだ」
「まあ、そういうこともあるだろうよ。でも、これはお前にしか書けない、俺はそう思ったぞ」
「ありがとう」
こんなに褒めてもらったことなど、過去にあっただろうか。俺には思い出せなかった。
俺の学校で小説を読むやつといえば、優等生か、教室の隅で小さくなっている、いわゆる「ボッチくん」だけだと相場が決まっていた。俺が昼休みに自分の席で読書していると、教室の中で鬼ごっこをしているやつがあからさまに俺のことを指さして、たいそう嘲笑したような調子で、「うわ、本なんか読んでやんの! お前、陰キャかよ〜」ってなことを言うんだ。
はいはい、そうですよ。俺は陰キャですよ〜。と、心底言い返してやりたかった。しかも、それも一度や二度ではないのだった。
俺は、それが悔しくて仕方なかった。いつか見返してやる、そうとも思えた。だから尚更、俺は小説家になりたかった。
ただ、わかってくれるやつもその中にいることはいた。当時の一番の友人、鷹西は俺が小説を書いていることも知っていた。しかし、だからといって読んでくれたというわけでもない。
「俺、新しい小説、書いたんだ」
学校からの帰り道、俺が自然な感じを装って切り出すと、鷹西はこう言った。
「へえ、そうなの? まあ、頑張れ」
「今度こそ、読んでみてくれよ。感想が聞きたいんだよ」
「俺、漫画しか読まないもん」
「なんで小説読まないんだよ!」
「なんで? そんなもん、決まってるじゃねーか。面倒くさいからだよ。それ以外に理由とかあるか? 絵があるならまだいいけどさ、文字しか書いてないのに読めるかって話だよ」
「うぅ……なんで読まないんだ……読めば面白いのに……」
「自分で言うか? まあ、読んでくれそうな人探せよ」
そんな俺たちの脇を、二人連れの女子が追い越してきた。その時に、まるで俺がそこにいることをわかってたかのように、こんな会話が耳に飛び込んできた。
「知ってる? 小説書いてる人」
「噂になってるよね? うちの学年にもいるって。私はべつに本とか読まないから、あんまり興味ないけど」
「あ〜。ルビイちゃん、本読まなそうだもんね〜」
その二人は俺に気づかぬまま、そばを通り過ぎていった。ふと隣に目線を動かすと、鷹西が非常に気まずそうな顔をしている。
「……どうしたんだよ?」
「え? いや、東光、さっきのお前の話だぞ? 落ち込んでんのかな〜って思ってさ!」
「いつものことだ、そこまで気にしてない」
とは言ったものの、俺は内心メチャメチャ凹んでた。だって、すぐ近くで噂された挙げ句、ある意味批判的なこと言われたんだぜ?
すると、鷹西は閃いたように、上空を仰ぎながら言った。
「そうだ! あいつなら、読んでくれるんじゃね?」
「あいつって誰よ」
「うちのクラスの、川嶋。あいつ、優等生だから、小説とか結構読んでんじゃね?」
「そうかなぁ〜」
俺はあまり信用できなかった。俺の知る限り、本を読まないやつに馬鹿も優等生も関係ないからだ。
ふと前を見ると、十メートルくらい先に、一人の女子が歩いていた。
「お、噂をすれば川嶋じゃん」
鷹西が言った。彼は、彼女に俺の小説を勧めにいけというのだ。しかし正直、俺は気が乗らなかった。だが断ろうとする前に、鷹西が動いていた。
「お〜い、川嶋〜!」
手を振り上げ、駆け出していく。俺も急いで、それを追いかける。
川嶋は鷹西の声が聞こえたのか、立ち止まり、こちらを振り返った。吊目でロングヘアーという、俺の最も苦手とする顔つきをしている。言わずもがな、俺は彼女も苦手だった。しかし鷹西の言う通り、彼女は学年トップクラスの成績を収めており、俺たちのクラスでも多分一番賢かった。
「どうしたの?」
彼女がきいてくるので、これより先はお前が言えといった感じで、鷹西が肘で俺の腕を突っついてくる。
俺は内心、言いにくかったが、呼び止めておいて何もないのかと怒られそうな予感がしたので、自信を持ってこう切り出した。
「川嶋さんって、小説とか読む?」
「読むよ」
意外にも素直な口調で、彼女は答えた。これで一安心だ。
と、思いきや、次の俺の質問を聞いて、彼女は白けた顔になった。
「ライトノベルって知ってる? 俺、そういうの書いて、ネットに公開してるんだけど、今のとこあんまり読者いなくってさあ、よかったら読んで感想とか聞かせてくれたらなって思ってるんだ。うちのクラス、本読むやつ自体少なくて、読んでくれる人いないかなって思ってたんだよ。気が向いたらでいいからさ。ダメ……かな?」
「てんで幼稚」
「はい?」
「私が読むのって夏目漱石とか谷崎潤一郎とか、川端康成とかよ。そんな素人が書いてる小説なんか、読まないから。時間の無駄だし、馬鹿になりそう」
彼女は身を翻して、スタスタと歩いていく。俺の心の中の火山は火を噴いた。何だよ、あの人を見下したような態度! 天才が書いたものしか読まないってか? 本当にふざけてやがる。
鷹西は心配そうに声をかけてきたが、俺はそいつも無視して帰った。
なんでみんな……読んでくれないんだ! ラノベの良さがわからない、頭の古いやつらめ!
【用語解説】
・鬼ごっこ:中学の時、教室の中でするのが流行ってましたね。外でやれよと何度も思いました。
・陰キャ:陰キャラのこと。対義語は「陽キャ」。
・本を読まないやつ:この作品のテーマにもなっている部分。誇張しているところも大いにありますが、わりとガチでいましたからね、そういう人。




