第十章 10
「大丈夫か、面倒なのに捕まったな」
かけられた声にハッとして顔を上げる。
近づく人の気配にダンが戻って来たのかと思ったら現れたのは茜色のマントを纏う男の人だった。
貴族然とした姿の若い男の人は流れる様な仕草で片腕を前にかかげた。
すると白い鳥はピュイとひと鳴きしてその男の人へと飛んでいくと定位置とばかりにその腕に乗る。
「あなたの鳥さんでしたか、助けていただいてありがとうございます」
「いや、こいつが勝手にしたことだから気にするな。急に光の柱が立ったので来てみればこんなところに“場”が出来るとは……。だがもう消えるな」
「え?」
男の人が言うように花壇の光が収まると共に咲いたはずの花たちがまた元の枯れたような姿に戻っていた。
目覚めたもののまた眠りにつくかのように。
花が咲いたと喜んだアディリシアはがっかりするだろうけれど私はどこかホッとしていた。
確かめる様に腕の中の妹を抱きしめる手に力を込める。
「……っ」
突然ピリッと頬に痛みがはしった。
すると頬だけでなくところどころ手や腕にも同じような刺激がおきる、そこには先ほどの蝶の粉が貼り付いてキラめいていた。
「早く水で流した方が良い。大黒紫蝶の鱗粉は長く付いていると火傷の様な症状が出るぞ」
「大変じゃないですかお嬢様」
「ああ、ハンカチではうまく取れません」
「ちょっ、二人は自分の事も気にして!」
リタもミレアも同じようにキラキラの粉を張り付けているのに二人ともハンカチで少しでも私やアディリシアに着いた粉を払おうとしてくれた。
細かい粉だからお風呂に入った方が早いかもしれない。
「アディ?」
深く抱き込んでいたのでアディリシアにはそんなに鱗粉がかかっていないと思うのだけど念のためとアディリシアの体を少し離すとその体はぐにゃりと項垂れいた。
「アディ、どうしたの」
慌てて体を支え直して顔を覗き込むと真っ赤な顔で苦しそうに眉を寄せて目を閉じている。
自分の体温が急激に下がっていくのを感じた。
「大変、ひどい熱だわ。急にどうして……」
額に当てた手に高熱が伝わる、今日はずいぶんと調子が良さそうだったのに。
アディリシアは薄く口を開けてはくはくと苦しそうに息をしていた。
「アディ、アディ聞こえる?」
返事がない上に反応した様子すらない、意識がないのかもしれない。
まさかこんなにも急変するなんて。
「お嬢様、落ち着いて。一旦離宮へ戻りましょう」
「え、ええ。そうね」
早く離宮へ戻って、お父さまとセドリックおじ様に連絡しないと……。
両手でアディリシアを抱きしめたまま立ち上がろうとしたところで目の前に影が落ちる。
「見せてみろ」
先程のマントの男の人が目の前に屈みこみアディリシアに手を伸ばした。
こんなに近くまで来ていたことに全く気付かなかったせいかビクリと一瞬身構えてしまう。
「お気になさらずに通りすがりの方」
リタが警戒を匂わせながら私たちを守るようにさり気なく男の人の手を払おうとするがそれを気にも留めず男の人はそっとアディリシアの額に手を乗せた。
そのひどく丁寧な手付きにおそらく害意は無いのだろうと察して警戒を解く。
「……医術師でいらっしゃるのですか?」
「静かに」
有無を言わせぬ物言いと真剣な眼差しに思わず口をつぐむ。
私たちが見守る中、男の人はそして耳の後ろ首元と手を滑らせていき力の入っていない腕を持ち上げると小さな手を自分の掌に乗せた。
熱が出始めてからいつの間にか変わってしまった貝殻のような虹色の爪をじっと見つめた後、その人はボソリと呟いた。
「……この娘か」
「え?」
言葉の意味がわからずにいると男の人が顔を上げ、正面から私と見合った。
少し癖のある髪と切れ長の青い瞳に強い眼差しが何処か異国めいていた感じを醸し出している。
なぜだろうか、既視感というか初めて会った気がしない。
相手もそう思ったのだろうかハッとした表情で口を開く。
「お前……」
「お……うえ……どこ、ですかー」
生け垣の向こうから聞こえた誰かを呼ぶ声に男の人は振り返る。
チッと舌打ちをした後、白い鳥に声を掛けた。
「シロ、あいつを連れてこい」
「ピュイ」
後ろに控えていた白い鳥はシロと言うらしい、頭の良い鳥なのか言葉を理解して誰かを迎えに飛びたって行った。
「うわっお前どこから……わかったわかった行くから」
直ぐに声の主と合流できたのかひと悶着しながらもガサガサと生け垣をかき分けて声の主が大きな鞄と共に姿を現す。
聞いたことのある声にもしかしてと思ったその人が驚いてこちらを見ていた。
「え、ルディ?」
「アレン」
現れたのは今朝も会った薬術師のローブを纏う幼馴染のアレンだった。
頭にはシロが鎮座していて長い尻尾を揺らしている。
アレンは私たちの様子に目を見張るも直ぐに駆け寄って来てくれた。
「ルディどうしたの何が……」
「アレン早く来い!俺の鞄を開けろ」
「もう、その言い方なんとかしてくださいよ。はい」
「中から白と赤の瓶を出せ」
「アレン?あの、この方は」
「ええと」
「アレン、早くしろ」
「はいはいどうぞ、ごめんルディあとでちゃんと言うから」
アレンは困ったようにしながらも男の人の指示通り鞄を開き中身を取り出した。
男の人は先に白の瓶を取ると何度か上下に振った後私たち三人に視線を向けた。
「嬢ちゃんら口を閉じてな」
「……っ」
「ひゃっ……」
「きゃ……」
言い終わった瞬間には冷たい水が私たち三人に降り注いでいた。
返事をする間もない。
ポタポタとしたたる水滴を眺めながら呆然とする私たちの代わりにアレンが声を上げてくれた。
「な、何してるんですかいきなり!」
「うるさいなお前は。大黒紫蝶の鱗粉を浴びていたから応急処置だよ。それより問題はこのチビだ」
「アディまた熱が?」
アレンがアディリシアの様子を見て顔色を変える。
男の人は赤い瓶を手に取り、まさかアディリシアにかけるのではと心配したが今度は違った。
瓶の中の液体をハンカチに染み込ませるとアディリシアの口元に当てる。
「軽くでいいから押さえていろ、鼻は塞ぐなよ」
「は、はい」
すーっとするような爽快な香りが液体から漂ってくる。
言われるままに押さえているとしばらくして苦しそうな呼吸が少し落ち着いてきたようだった、眉間の皺も解れている。
その間も男の人は鞄から何かを出していた。
「これとこれとこれでいけるか」
腕輪の様な装飾品とも見える物に丸い宝石みたいな欠片をはめ込んでいく。
魔法石だろうか。
そしてそれをアディリシアの腕に通したが……
パンッ
宝石が一瞬で砕けて消えた。
直ぐにもう一度別の石をはめて試すも同じ様に一瞬で砕けてしまう。
「嘘だろ」
苦い顔で男の人は舌打ちをすると自分の纏うマントを外した。
「離宮へ戻ると言ったな、近くか」
「は、はい」
「戻るまでで良い、このチビを俺に託せるか」
男の人は私の目を見て問いかける。
マントを腕に広げ持つ姿は託せるならここにアディリシアを乗せろと言外に言っていた。
奪い取ることはせずに私の判断を待ってくれているのは気を使ってくれているのだろうか。
会ったばかりの人だけれどアレンの知り合いだ、それに先程の呟き……。
「お願いします」
私はアディリシアをそっと男の人に託した。
男の人はマントをアディリシアの体に巻き付けると何事かを呟く。
するとマントの生地に不思議な文様が浮かび上がり、アディリシアの体が淡い光を帯びる。
それを見届けると男の人はアディリシアを抱え直して立ち上がった。
「場所は?」
「こちらです」
リタが案内するように先に立つ。
続くべく立ち上がろうとするとアレンが手を差し出してくれた。
「ルディ、手を」
「ありが……」
その手を取ろうとして自分の手にまだ鱗粉が付いている事に気付いた。
触れることを躊躇って手を引くとアレンの方から追いかけるように私の手を掴んだ
「粉がつくわ」
「そんなこと気にしない。手を取ってくれない方が傷つく」
本当に傷ついたような表情で言うものだからついその手を握り返してしまった。
「ありがとうアレン」
「うん」
「お嬢様、急ぎましょう」
「ええ」
ミレアに促され、先を行くリタたちを追いかける。
離宮へと急ぎ戻るその間、アレンはずっと私の手を繋いでいてくれた。




