第十章 09
「もう、勝手に一人で先に行ってはダメでしょう」
「おねえさまぁ」
「アディ?」
悲し気な声に怒るのも忘れて視線を合わせる様にしゃがみ込む。
今にも溢れそうなほど瞳を潤ませた妹は小さな指をある方向へ向けた。
「おはな……」
「お花?」
アディリシアの視線の先をたどるとすぐ側に敷石で囲われた花壇があった。
だがその花壇には枯れたような灰茶色の草花が並んでいる。
かろうじで蕾のような状態のもののも茎をしならせて下を向いてしまっていた。
乾いていて触れたらポロポロと崩れてしまいそうだ。
「おはなげんきないの。おねえさま、おはなげんきないとちょうちょこない?」
「蝶々?うーん、そうねぇ」
ちらりと周りを見回すも蝶らしき姿は見えない。
先ほどアディリシアが追いかけていた蝶はどこかへ行ってしまったようだ。
「アディリシアお嬢様、お花が見たいのでしたら私が後ほどお持ち致しますよ」
ミレアが柔らかい笑顔でそう提案してくれるもののアディリシアは違うとばかりに首を振る。
そしてまた枯れた草花を泣きそうな顔で見つめている、この花壇がそんなに気になるのか蝶々が見たいからなのか……。
なんとか悲しい気持ちを払ってあげたい。
そっと小さな体を抱き寄せる。
「アディ、この花壇の事はあとでマリおばさまに聞いてみましょう?それと蝶々が見たかったら温室へ行く許可を貰って見に行きましょう、きっと蝶々がいるはずよ」
薬術院の側に温室があったはずだ、様々な植物を育てていていろんな蝶が飛び交っていると前にアレンが言っていたのを思い出した。
アディリシアのところへと飛んで来た紫色の蝶もいるかもしれない。
「ね、今日はもうお部屋へ戻……」
ガサリ
突然の生け垣をかき分ける葉擦れの音にリタとミレアが私たちの前に身構えて立った。
ガサガサと音が近づき生け垣から人が姿を現した。
「おや、珍しい。話し声がすると思ったらこんなところに人が来るとは」
現れたのは庭師と思われる装いの初老の男の人だった。
知った顔なのかリタたちも警戒を解く。
男の人は最初こそ驚いた顔をしたもののニコニコと笑顔を浮かべて帽子を取り、丁寧にお辞儀をしてくれた。
「驚かせてしまいましたね、私は庭師のダンと申します」
「ルディア・アスターフォードと申します、こちらは妹のアディリシアです。ごめんなさい、勝手に入ってはいけない場所だったかしら」
「ははっ、そんなことありませんよ。それにそのローブは妃殿下のお客人でいらっしゃいましょう。お好きなところをゆっくり散策してくだされ」
「ありがとうございます」
「花でしたらこの先の方に見頃の庭園がございますよ。ご案内しましょうか」
枯れた花壇を前にする私たちにダンが気を効かせて提案してくれた。
あまり遠くへ行くのは気が進まないけれどアディリシアの気分転換になるのならやぶさかではない。
「アディどうする?お花を見に行く?」
「……」
しばらく黙り込んだ後、アディリシアはゆるく首を振った。
そしてまた視線を目の前の花壇へと向ける。
花が大好きなアディリシアは枯れた草花を見て悲しい気持ちになってしまったのだろうか。
「ねぇダン、この花壇は手を入れていないのかしら」
客人が訪れるかもしれない場所の花壇を枯れた状態のままにしておくなんて考えにくい。
見たことがない草花のようだし何か理由があるのかもしれない。
「この花壇は少々特殊なものでわしらが何かしようとしても人の手がはいらないのですわ。さすがにこの姿は可哀想なので歴代の庭師がいろいろと試みてはいるのですが……」
「歴代の……」
「随分と昔から、伝え聞いた話ではこの花壇は何代か前のお妃様が遠い母国から取り寄せた草花でそのお妃様が亡くなられてからこの状態なのだという事です」
ダンの話によるとなんとかしようとした庭師たちが調べて貰った魔術師様の話では敷石には魔力が込められて人の手入れを阻んでいるとか、薬術師様の話では草花は眠りについているだけで枯れてないとか……とにかく不思議な花壇なのだそうだ。
「それに、ここに来るまでに生け垣が迷路の様にあったでしょう?なにか不思議な力が働いているのかこの花壇に辿り着く人がいるのは稀なんですよ、わしら庭師なんかは別ですが」
よくここに辿り着きましたねとダンは笑ったが私は何かが頭に引っかかるのを感じた。
偶然ここに来た訳じゃない、私たちはアディリシアを追いかけてここに辿り着いた。
そのアディリシアは目にした蝶を追いかけていた、そして稀にしか辿り着けないような場所へと来るなんてまるで何かに誘われたかのようにさえ思える。
アディリシアがしきりのこの花壇を気にしているのも気になる、何か私のわからないものを感じ取っているのだろうか。
ざわめく思考の渦にとらわれ無いようにアディリシアを抱き寄せる。
もうここを離れよう。
「アディ、今日はもう戻りましょう」
私の言葉に小さく頷くとアディリシアは一歩前に踏み出し敷石の上にしゃがみ込んだ。
「……おはなさん、またね。はやくさいてね」
そう呟くように言ってアディリシアが屈み込んで萎れている花に“ちょん”と指先が触れた瞬間、ぶわりと空気が揺れた様な気がした。
目の錯覚かと瞬きした後、まるで夢でもみているかのように淡い光が花たちを駆け巡り輝きに包まれると一斉に花開きだした。
光の柱が立ち、辺りを眩しく照らす光景は幻想的で目を奪われるものだった。
息を飲む光景に私はどこか冷静な頭の片隅でゾーイ様の言葉を思い出す。
『魔力の使い方の基本は意志を心で思い描く事だ。なしたいと思う事を魔力によって具現化する事を魔術と言う』
今アディリシアは花を咲かせたいと自然と願ってしまったのだろう。
それは無意識下で行われた魔術。
「なんと、奇跡だ」
ダンは驚いて腰を抜かしていた。
リタもミレアも驚いた顔で言葉を失っている。
「おねえさま!おはなさいた」
「アディ」
私は喜ぶアディリシアを思わず抱き寄せていた。
咲いた白銀の花々……それはデニス様の銀の花にどこか似ていた。
「長年眠っていた花壇が目を覚ますとは……こりゃ他の庭師に知らせてこないと」
ダンが目を丸くしたままフラフラと立ち去るのが見えた。
人が集まる前にこの場を立ち去りたい。
「アディ」
「あ、ちょうちょ」
どこからともなくふわりと風に乗って蝶が花壇の中へと飛んで来るとまた別のところから続くように蝶が集まってきた。
キラキラとした花たちの上にふわりふわりと色とりどりの蝶たちが舞う。
いつの間に現れたのか大きな紫の羽根を持つ蝶がアディリシアの側を飛んでいた。
「あ、この蝶々ですわ。アディリシアお嬢様のところへ遊びにいらした蝶々、もう少し小さかったような気がしますけれど」
ミレアが指差す紫の蝶は他の蝶よりもひと回り大きな羽をしていた。
捕まえようとするかのように伸ばしたアディリシアの小さな手を自分の手で包み込む。
この蝶に触れてはいけないような気がしたのだ。
「おねえさま?」
キョトンと見上げてくるアディリシアになんて言ったらいいのか考えていると突然リタが大きな声をあげた。
「お嬢様!」
視線を向けるとリタが上の方を指差している。
その先を辿り見上げれば上空から沢山の蝶々が舞い降りて来ていた。
何処から現れているのか蝶たちは数を増やし紫の蝶を中心に私たちに向けて降りて来ているように見える。
明らかに普通の蝶の行動ではない。
「アディリシア」
掬い上げる様にアディリシアを抱き込んで立ち上がり花壇から離れようとした瞬間、目の前に蝶が一斉に集まり行く手を阻む。
見たこともない程の数の蝶に囲われてゾワリと寒気がした。
キラキラと反射する粉は鱗粉だろうか。
蝶と共に片手でそれを払うとピリリッと小さな痛みが走った。
払っても払っても蝶が集まってくる。
リタやミレアもなんとかしよう日傘や扇で応戦するも小さな蝶相手に埒が明かない。
しまいにリタはまた何処からかナイフを取り出して振り回しているがひらりと躱されるばかりだ。
たぶんこの蝶たちはアディリシアを狙っている。
それが分かるのかアディリシアもギュッと私にしがみついていた。
「もう!離れて」
堪らず自分の中の掛け金を外して風を巻き起こした。
勢い良く蝶たちが風に巻き上げられるもののまた直ぐに戻ってくる。
その僅かな隙を付いてリタがナイフを紫の蝶に向かって投げた。
シュッと羽を掠めたものの致命傷にはならない。
近づく蝶を振り払う手に風を巻きつけて抱き込んだアディリシアに触らせまいとするが防戦一方。
ピューイ
張り付く鱗粉に目を開けるのも難しくなってきた頃、思わぬ救いの手が現れた。
ザッと蝶を割って入ったのは、尾の長い白い鳥だった。
「白い、鳥?」
その鳥は長い尻尾で蝶たちを払いながら紫の蝶に向かってスピードを上げたかと思うとパクンと蝶をその口の中に収めた。
とたんに他の蝶たちの統率が乱れ私たちから離れていく。
やはりあの紫の蝶が何かしていたのだろう。
あっけない終わりに気が抜けてペタリとしゃがみ込んでしまった。
ピューイピュイイー
白い鳥がぐるぐると空を旋回しながら目の前に降りてきた。
すでに蝶は霧散している。
私たちを助けてくれた白い鳥はつぶらな瞳の愛らしい顔をしているが長い尾はまるで蛇のようで見たことのない不思議な鳥だった。
「アディ痛いところは無い?」
しがみつたままのアディリシアが小さく頷く、もう大丈夫だと背中をポンポンと撫でた。
「お嬢様大丈夫ですか」
「お怪我は」
「平気よ、ビックリしたわね。ありがとう白い鳥さん助かったわ」
「ピュイ」
人懐っこい鳥なのかそっと手を差し出すとツンツンと嘴を当てた後、撫でてもいいよとばかりに首を下げたのでお礼を込めて柔らかな羽根に触れさせてもらった。




