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マレビト来たりて 前編  作者: 安積
第6章 秘密の花園と変人の巣窟
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 一度見えてしまえば、何を悩んでいたのかと思うほどに簡単に精霊達とは意思の疎通が可能だった。もっとも、聞いたこと“のみ”には答えてもらえるものの、それ以外にはそれぞれの感情だけが撒き散らされている感じだが。それを理解するくらいには“会話”を続けた頃、地面? が動いた。私を半ば抱きこむように包み、浮いていた柔らかなその“地面”はスルスルと動き、状況を理解出来ないままに、足場を失った私は足先から水にゆっくりと沈んだ。


 地球に居た頃、泳ぎは決して苦手ではなかった。寧ろ水泳部に誘われたことがあるくらいには得意だった。けれど、まるで浮力が働かないかのように体が沈んでいく。


 普通だったら慌てて当然のその状況なのに、恐慌をきたすどころか安心して、今度こそ地面に足をつけたことに自分自身驚いた。その驚きはその水の中で呼吸が可能だったこと以上の驚きだった。


「なに、これ……?」


 思わず漏れた言葉を、まともにしゃべれたことにまた驚く。水の中のはずなのに全く問題なく話せてしまう。精霊達も、沈んだ私に付いてくるように水の中に降りてくる。


 降下してくる精霊達と共に長く大きな何かが近付いてきた。龍のようにも見えるが角やら髭のないそれは、一見、蛇のように見えた。だが、近付き頬に擦り寄ってきたそれに鱗はなく、全身が毛に包まれていた。その感触で、先ほどまで私を抱きとめていた“何か”である事が分かった。

 そして、それが周囲で光る精霊達と同じモノであることも。


「実体を持つ、精霊……?」


 それは周囲の精霊のように話すことはなかったが、肯定するかのように再び目を細めて擦り寄ってきた。実体のある精霊について講義で習ってはいたが、実物を目にするのは初めてだ。実体化することがある、というのが精霊を一つの種族であるとする根拠らしい。もっとも、実体化できるのは強い力を持つ精霊に限られ、滅多に遭遇できるものではないともいうが。何故そんな珍しい生き物がここに居るのかと不思議に思いながらも、撫でると気持ち良さそうにするそれを毛を指で梳く。

 暫くそうして、精霊たちの奏でる声を聞きながら、蛇に似た精霊を撫で続けた。うっかり、寝てしまいそうになった時に、はっと思い出した。ここに来るちょっと前の状況を。


 確か、私一人がこの廃園跡を含む古い屋敷の敷地内に閉じ込められたのではなかったか……。そして、心配する友人達を置いて、一人奥へと進んできたはず……。


「……やばい。」


 今が何時かは分からないが、確実に心配している。しかも、イドゥンさんが神殿に行っているかも、という状況だったはずだ。


 もしかして、数時間耐久説教タイム、確定だったりする、のか……?




 手が止まったことを抗議する様に頭を擡げた蛇もどきの視線を受けて硬直が解ける。バシリスクに睨まれて固まるならまだしも、その逆というのも情けない……。兎に角、今の状況を何とかしなければならない。こんな水没している状況じゃ、例えあの結界みたいなのが解かれていたとしても、皆はここに入ってこられないはずだ。

 何故こうなったかは問題じゃない。撫でるのを止めたことを謝りながら、恐らく唯一この状況を打破できるだろう――他の精霊たちでは力が弱すぎる――蛇もどきに尋ねる。


「この水、どうにかできる?」


“どうにか”という曖昧な言い方では意味が通じなかったのか、首を傾げる蛇もどきにもう一度、今度はもっと明確に聞いてみる。


「この水をなくして、他の人たちもここに来れるようにすることは出来る?」


 出来れば門の結界みたいなのも、と伝えれば理解したのか、高く首を擡げる。周囲の精霊たちも動き出す。


 ポン、と――音がしたわけではないが――一瞬にして辺りを水底に沈めていた水が一気に消え去った。不思議なことに、濡れていた筈の服も髪も体も全て乾いている。

 ふと、水滴が落ちてきたような感覚に上を向くと、春雨のように柔らかな細い雨がパラパラと降ってきた。空には虹が掛かっていて、それが煌めく大気と雨と相まって幻想的な美しさだ。

 うっとりと見上げた視線を下に戻せば、これで良いのか、とでも言いたげに首を傾げる……一瞬にして1mほどに縮んだ蛇もどき。精霊たちも先ほどまでの密度はない。


 もしかして、相当力が必要な他の見事をしてしまったのかと思えば、気にしないで、と言う声が聞こえてくる。聞こえてくる声に寄れば先程までの場の安定のために、必要な精霊の数だったらしい。もうその必要がないからそれぞれ大気に散らばって行ったのだと。

 そう話してくれている精霊たちが、ふと口を噤み――口、発声器官が彼らにあるかは不明である――、一斉にどこかへ移動しようかと逡巡したのが感じられた。それと前後するように見知った気配――気配なんて今まで分からなかったが、それが置いてきた友人達と、護衛と保護者であることがすぐに分かった――が急いで近付いてきているのが分かった。そういえば、ここの精霊たちは人が近付くと逃げてしまうのだと教えられていたことを、今更ながら思い出す。


「逃げないで!!」


 慌てて叫んだ言葉に、精霊たちが動きを止めた。驚いて明滅を繰り返す彼らに、静かに語りかけるように頼む。自分で事態を説明する自信がないのと、彼らがいれば怒られないかも、なんて打算は……ない、ないったらない。


「大丈夫だから。彼らは私の友人達。ただ、貴方達と話をしたいだけ。ここに、居てもらえる――?」


『……あなたが、望むなら』


「ありがとう。」


 暫く、相談でもしているのか明滅していた光が静まると、その場に留まることを決めてくれた彼らに感謝する。精霊たちが、笑うかのようにざわめいた。

 いつの間にかマフラーみたいに緩く首というか肩に巻きつき、擦り寄る蛇もどきの頭を撫でていると、やがて走ってくる友人達の姿が見えた。




 頭一つ抜きん出るように、一人突出してやって来たのはセムだ。何故そんなに早いのかと思えば、見えるようになった今だから分かるが、精霊を身に纏わせている。その後ろを追ってくるのはナイルで、こちらもまた精霊の補助があるようだ。私を視認すると、更にスピードを上げ、私の名を叫ぶセムに、とりあえず無事だと伝える為に手を振った。

 それでもスピードを緩めずやって来る彼が、ふいに減速した。耳を澄ませば珍しく悪態をついているらしい彼の様子に、どうやら精霊が急に力を貸すのをやめたらしいと分かった。自力だけで走ってくる彼のスピードはそれでも速かったが、私の元にたどり着く直前で、精霊の助力を最後まで得られたらしいナイルが追いつき、セムの首根っこを捕まえて止まった。


「だから、心配する必要はないと言っただろう。」


 セムを窘めている様子から、ナイルは彼を止める為に急いでいたらしい。てっきり、私を心配してるか、怒ってるかのどちらかで飛ばしているのかと思ったが、違ったらしい。しかも、その口調からすればどうも何かを知っている感じだ。

 ……が、首根っこを捕まえられ、強制的に急停止させられたセムは激しく咳き込んでいて、ナイルの言葉を聴く余裕はないようだ。それに構わず、呆れを多分に含んだため息を漏らしつつ、ナイルは言葉を継いでいる。口調が、いつもの彼ではなく、かつてギルドで一度だけ聞いたものになっている。

 ギルドでかなりの有望株とされているセムを簡単にあしらうなんて、実はナイルは強かったみたいだ。まあ、純粋に年齢差、経験差もあるのだろうけれど。様々な驚きをもって二人を見ていると、セムに言いたいだけ言ったのか、ナイルは掴んでいた襟首を離すとこちらに視線を向けた。

 どさっと何かが(何かではなく、落されたのはセムなのは明白だ)落ちる音と共に、多分、これを殺気やらと称すのだろうと思える怒りの感情が放出され、それに精霊たちが怯えるように私の後ろに下がったが、ナイルが視線は私に向けたまま、後ろ手で何事かをしたら、セムから放たれていた殺気のようなものは霧散した。

 ナイルは何事もなかったかのように私と私の周囲、特に精霊たちと蛇もどきをじっくり眺めると口を開いた。


「どうやら、無事、目的を果たしたみたいですね。」


 おめでとうございます、と微笑む声は優しかった。ナイルは私に結構甘いほうだけれど、それでもその表情は滅多に見られないような優しさに満ちている。その目は、時々私に向ける、私を通して別の誰かを見ているようなときの視線によく似ていた。


「ナイル……?」


 一体、彼は何を知っているのだろう。彼の言葉の真意を知りたくて名を呼んだ。ナイルは、分かっているとでも言うかのように一つ首肯すると、話し始めた。


「ここは、貴女の為に用意された仮の聖域の一つだったのですよ。」

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