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「ああ!いたっ!」
もともと今日はブラーシェ先生の授業の他はなかったため、迷うことなく帰宅することを選んだわけだが、校舎を出る間にいい加減聞きなれてしまった大声が耳に入った。聞き慣れはしたが、出来ることなら一対一では会いたくはない相手だ。その兄が一緒だと非常におとなしくなると言うのは最近知ったことだが。見たくはなかったが、目をやればバルドゥク家の次男がバッグを振り回して手を振っていた。残念ながらその兄の姿は近くにはないようだ。
そのまま気付かない振りをして通り過ぎてしまいたかったが、そんなことをすれば奴の事だ、大声で私の名を呼ぶだろう。それではせっかく、学校専用の偽名を使っている意味がない。仕方がないので、走りはしないがフェクトのほうへ足を向ける。私が気付いたことに気付いたフェクトは走りよってきたので、何かを言う前に手で口を塞いでやった。体格がまだ私のほうが若干背が高いからそれで抑えられるが、あと一年も経たずにこんなことは出来なくなるだろう。我に帰って手を引き剥がされる前に言うべきことだけは言う。
「廊下では静かにしましょうね。」
にっこりと言ってみれば、意外なほど素直にフェクトは首を縦に振った。手を離しても何も言わないフェクトに、次いでとばかりに、他の人には聞こえない程度に声を潜めつつ多少の威圧感を込めて言う。
「私の名前はルディアです。他の名前では呼ばないように。」
一応、私の立場と言うものを理解してはいるのか、そちらも黙って頷いた。
「言われなくても分かってる。」
大人ぶりたい少年特有の生意気さも滲ませつつも、以前までの悪戯小僧の片鱗は鳴りを潜めているようだ。
「っ……ルディアも学校に通うって聞いてたのに、どのクラスを見てもいないから探してたんだよ。」
早速名前を言い間違えそうになったようだが、声にはならなかったので、まあ良いだろう。
「生憎、私は初年の講義はとってません。受講しているのはほんの一部ですよ。」
「そう、なのか。」
「ええ、ですから貴方と同じ講義を受けることはないんじゃないでしょうかね。で、用件はなんですか?」
幾分残念そうな表情を浮かべるフェクトに、思わず気が緩みかけるが油断大敵だ。たとえどんなに外見が美少年だろうと、これはギルドで恐れられる悪戯大王その人なのだから。
「何で用があるって分かったんだよ?」
不思議そうな顔で聞いてくるが、そんなのは一目瞭然だ。
「用がない相手を探してまで声をかけたりしないでしょう、貴方は。」
そして、彼を使える人間は本当に限られてくる。案の定、フェクトは一通の手紙を出して私に渡した。
「兄ちゃんから伝言。とりあえず、読んでくれって。」
「そう、ありがとう。」
もしかしてこれが以前言っていた活動の勧誘なのだろうか。とりあえず、礼だけは言っておく。
「今日は何の授業だったんだ?」
先日、その兄も含めて三兄弟と買い物したときとは打って変わり、初めて会ったときのように今日のフェクトは良くしゃべるようだ。用件が済んだら戻るのかと思いきや、当たり前のように会話を続けてきた。別に答えられない質問でもなかったので気軽に答える。
「ブラーシェ先生の世界史……です。」
詳しい話をしようかとも思ったが、面倒なのでそれだけに留める。
「って言うと、九期目から受けられる奴? あれを好んで受けたがるのは物好きだけだ、って聞いたけど。」
「そうですね、その講義はお陰で今期からなくなりました。仕方がないので五期の講義に混ざって受けてきましたよ。」
「へえ、そうなのか。」
期と言うのは学期と学年が混ざったようなものだ。義務教育ではなく、誰もが一定期間学校に通えると言うわけではないので、一年を四期に区切った学期を基本単位をして講義が行われている。初等学校の基礎と呼ばれる全ての講義を普通に終えるには順調に進んで三年かかる。つまりは全十二期が基本的な構成だ。
当然試験に通らなければ次の期には進めないが、科目ごとに試験に通っていればその科目だけは次の期のものを受けられるようになっている。十二期全てを修了すれば、初等学校の卒業証明がもらえるが、ごくごく基本的な最初の八期、或いはそれより前の四期程度で辞めていってしまう生徒も多い。他にも私やユーリグのように必要だと思う科目だけ受講する生徒も少なくない。家庭環境や、その後の進路などにも寄るのでそこら辺は本当にバラバラだ。進路によって、と言うのも初等学校後に高等学校に進む生徒もいれば、初等学校中退後に神官になるための学校に行く、といった生徒もいるのだ。だから、通常小学校と言うと、最初の四期や八期だけを行う個人塾のようなものも多かったりする。そこで学んでからその上の各種専門学校へと進むわけだ。逆に、この学校のように高等学校へ進むことをメインとした学校は珍しい方だ。
その辺りの規則は大分ゆるい、と言うか自由度が高く出来ている。大体、アウトラーシェン国内ではどこも似たような教育システムになっているらしく、街から街を移動することがあっても、それまでの科目の受講修了証さえあれば、いつでもどこでも勉強の続きを行うことができるのだそうだ。因みに、授業料はかかるが入学金等はない。大きな学校だと、奨学金の制度があったりもするので、勉強することに関しては非常にいい環境を整えている国だと思う。
「で、ルディアはこの後どうするんだ?」
「勿論帰るんですよ。」
「えー!?」
「何です? 貴方も昇降口にいるのなら帰るんでしょう?」
何を驚くことがあるのかと聞いてみれば答えは簡単だった。
「いや、おれはこれからメシ。どうせならルディアも誘おうと思ったんだけどなぁ。」
どうやら外に食べに出るつもりでいたらしい。外とは言っても構外ではなく構内だ。食べ盛りの子供の胃袋を満たす為に様々な店があるらしい。勿論、大路の屋台街とは規模は比べ物にはならないが。中には大路からの出張店もあったりするようで、その誘いは、相手を除けばとても魅力的なものではあったが、残念だ。
「今日は講義後すぐ帰ると言って来てしまいましたからね。」
今頃きっと神殿の料理長が昼ご飯を用意してくれていることだろう。
屋台で食べる食事も嫌いではない――というかとても好きだ――が、神殿の食事も美味しいのだ。それに何より、護衛の人もそのつもりで待っているはずだ。
「そっか、じゃあ仕方ないよな……。なら明日はどうだ!?」
「明日、ですか?」
特に明日は問題ない。午前にグレイズ先生、午後にナゥブドゥカ先生の授業があるだけだ。まあ、その後夕方にブラーシェ先生の講義があるわけだが。とりあえず、昼休みには特にやるべきことはない、はずだ。
どうしようか迷っていると、後ろから名前を呼ばれた。この学校で私の名前を知っている相手と言えば目の前の一人を除けば3人で、内子供は一人だけだ。ならば、考えるまでもなく後ろにいる人物が誰だか分かった。まったく、どこの世界でも子供は大声で人を呼ぶものらしい。
「ユーリグ、貴方も昼食ですか?」
フェクトへの返事はとりあえず保留して、振り返る。
「も、ってことはルディアも?」
にぱーと言う効果音でも付きそうな良い笑顔だ。……おかしい。エルフっ子のはずなのに、何故か一瞬ユーリグにピンと立った犬耳とブンブン横に振れる尻尾が見えた気がした。
「残念ながら、私はこれから帰宅するところです。」
そう言えば、尻尾が垂れたような幻覚が……てっきりネコ属性かと思いきや、このこはワンコ属性だったか……。と言うか、何故こんなに懐かれている? いくら学校初日の初っ端に手助けしたとはいえ、ここまで懐かれるようなことをした記憶は無いのだが。
「そりゃ残念。オレまだ他に知り合いいなくってさ。一緒に食べられたら良いなぁ、と思って探してたんだけど。」
心底残念そうに言いながらも、私の後ろにいるフェクトを気にするように視線を向ける。フェクトもまた気にしている様子が背中越しにひしひしと感じ取れる。ここは私がお互いを紹介すべきなんだろうが、何故私がこんな事をせねばならんのだろうか。
「ユーリグ、後ろにいるのはフェクトです。知人の息子と言うか……友人の弟、と言うか、友人、と言うか。まあ、そういう関係です。」
何故かフェクトを友人と断言するのは憚られてつい遠回りな紹介になったが、どうもむくれているようだったので少しずつ修正してみると満足したようだった。私としてはまだフェクトとは友人、と言う気はしないのだが。あまりに年が違いすぎると言うか。まあ、そんなことはさておき。
「フェクト、こちらはユーリグです。同じく今日入学だそうです。」
ユーリグのことは紹介しようにもあまりに情報が少ない。そんな感じで終わらせてみれば。
「ルディアの友達のユーリグだ。宜しく、フェクト。」
何故かそうユーリグがフェクトに言った。私は君も友人と思っているわけではないんだけどなぁ。
「フェクトだ、こっちこそ宜しく。」
何だかお互い相手を見定めようとしているみたいだ。うん、男の子ってよく分からない。だからといって女の子のことなら分かるってわけじゃないけど。大学時代の友人には女失格の烙印押されたくらいだしね……。ああ、何か虚しくなってきた。
「さて、それじゃあ私は帰りますね。そうだ、食事の相手が欲しいなら、二人で行ってはどうですか? もう、知らない者同士って訳でもないでしょう?」
では、また。そう帰ろうとしたらフェクトに再び呼び止められた。
「ちょっと待った、結局明日は!?」
「あぁ、すみません、忘れてました。」
すっかり忘れていたことを言われて思い出す。さてどうしようか。食事の時間に子供のお守りというのもな、と思うと悩んでしまう。だが、私一人で屋台を見て回るのは効率が悪そうでもある。迷っていると追加の情報が耳に入る。
「兄ちゃんも一緒なんだけど!」
「セムがここに来るんですか?」
「うん、兄ちゃんも明日は学校あるって。本当は今日も来たかったらしいけど、今日は講義無いからってギルドに行ったよ。」
確かに一昨日ギルドで会った時は今日も仕事だと言っていた気がする。でも、そうか。明日はセムが来るのか。なら私が子守をしなくてもフェクトはおとなしくなるはずだ。でもって、彼なら美味しい店をよく知っていることだろう。
「分かりました、良いですよ。それなら、明日は一緒に食べましょう。」
「ん、兄ちゃんにも言っとく。」
「……なあ、そのとき俺も一緒にいれてくんない?」
フェクトとの話がまとまると、ユーリグが言ってきた。
「私は良いですよ。」
と言って、フェクトを見れば。
「おれも良いよ。じゃ、折角だし、今から一緒に屋台行こうぜ。」
「ありがと。」
ほっとした様に笑顔がこぼれたユーリグはかなり可愛かった。っていうか、知り合いいないって言ってたから実はかなり心細かったのかもしれない。あまりそういう風に見えないから気にしなかったけど、もっと気にかけてあげれば良かった。本当、私の対人スキルって低いなぁ。若干の後悔を胸に仕舞い、今度こそ別れの挨拶をすると学校を出た。話をしていた分、短くなってしまった昼休みを取り戻すかのように子供二人は校舎を飛び出していった。
因みに、セムからの手紙は予想には掠りもしない、お勧めの美味しい構内屋台リストだった。フェクトたちと一緒に回ってあげれば良かったな、と後悔したのは言うまでも無い。




