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小学校みたいな外観とは言っても、その受講方式は大学のそれに近い。クラスがあるわけではなく、受講する講義は自由に選択できる。沈黙に耐えかねて少年に話しかけてみれば、彼は算術を学びに来たとのことだった。因みに、私の今日の受講予定はアウトラーシェン史だ。
ユーリグ少年と分かれ、一人目的の部屋を目指す。今日受講を予定していた歴史は、神殿でも教えてもらっていた教師の講義である為、初めての場所とはいえ緊張はあまりない。神殿での最後の授業の際に講義前に尋ねる様言われた研究室に向かった。余裕を持って神殿を出たつもりだったが、思わぬアクシデントで時間を食ってしまった為、微妙に早足気味に廊下を進み、何とか予鈴の前に研究室へと辿りついた。ノックをすれば誰何の声がかかり、それに答えると中へ入るよう言われた。
静かに引き戸を開ければ、薄暗くあまり広いとはいえない室内の両側面はぎゅうぎゅうに詰まった本棚が占領し、そこに入りきらなかったのだろう本の塔ががただでさえ狭くなっている室内に林立していた。多少は予想していたが、予想を軽く上回るその様子に思わず腰が引ける。
「どうしたの? 入っておいで。」
「あ……はい。」
よく小説なんかでそういうとんでもない部屋を生み出す人間というのが描かれるが、生でそれを見たのは初めてだ。実際にそういう人物と部屋にお目にかかれたことに妙な感慨を抱きつつも、どうやって部屋に入るか、と考えていると本のことは気にしないで入るように勧められる。そうは言われても、仮にも本好きのオタクであった身としては本を手荒に扱う気にはなれず、一歩一歩注しながら足を進めた。
日当たりのいい窓辺(逆に言えばそこにしか光が当たってないともいえる)に置かれた机まで何とか近付くと、書類に目を落していた教師が顔を上げた。
「ごめんねアトルディア、呼び出しちゃって。」
「いえ……。」
呼び出されたことそのものは特に気にしていなかったので言葉を濁す。
「ブラーシェ先生、それで一体話ってなんですか?」
「うん、実はさ、本当は今期も講義をやるはずだったんだけどね、受講生が君しかいないんでここでの講義なくなっちゃたんだよ。」
「は?」
「あまりにも僕の講義はマニアックすぎるとかでね、初等学校向けじゃないって言われてさ。」
一応それでも講義継続の申請は出したんだけどね、と先ほどまで見ていた書類を渡された。そこには簡単に言えば初等学校で難解な講義を続けることは認められないという内容が小難しい言葉で回りくどく書かれていた。しかも、日付は今日だ。講義初日に中止が決定とは一体どういうことか、と思わず握りつぶしそうになった書類をすっと指の間から引き抜かれる。
「こういうわけなんだよ、怒りたい気持ちは分かるけど破かないでね。校長の無茶の証拠として取って置くんだから。」
いかにも腹黒そうな笑顔でブラーシェ先生は引き出しの一つにその紙を丁寧に仕舞うと、鍵をかけた。その引き出しに似たような紙が幾枚も有った様に見えたのはきっと気のせいだろう。
「で、話って言うのはこれからのことなんだ。あ、勿論講義自体はするんだよ。ただ、場所と時間が変わっちゃったから、一応君にどうするか聞いておこうと思ってね。」
「どういった候補があるのか、教えていただけますか?」
「うん、まずはね――」
1.ブラーシェ先生が担当することになった初等学校向け世界史概論を復習がてら受講する。
2.時間は遅くなるものの、高等学校、或いは魔法学校で行われる当初受講予定だった講義を受ける。
3.両方受ける。
4.両方受けない。(他の講義を受ける。)
5.両方受けない。(今日は休みにする。)
ブラーシェ先生から提示されたのはその5つの候補だった。2に関しては高等学校と魔法学校で同じ講義を時間と曜日を変えて行うので都合の良いほうを選べば良いとの事だ。
「えーと、高等学校の講義はいつですか?」
「ん?今日は魔法学校での講義が午後からだから、明日の夕方だね。それは毎週変わらないよ。」
ナイルやアカシェからは魔法学校にはあまり近付くなといわれている。ならば、選べるのは一つだ。
「……それでは、3で。」
そもそも今日は歴史の授業一択のつもりだったから、何もしなくては後は帰るだけになってしまう。復習するのも悪くはないし。何せに詰め込んだだけで繰り返し覚えたわけではないのだから。
「魔法学校と高等学校なら?」
「高等学校で。」
「ん、了解。それじゃ、いまから歴史概論初級の講義に行きますか。荷物持ち、手伝ってもらえる?」
「分かりました。」
そうして、大きな地図を抱えて先生の後を付いていった。
ブラーシェ先生についていったの教室は、見るからに普通の教室だった。私のように特定の科目だけ受講する学生も多いが、逆に基礎教養科目を決められた時間割にあわせてクラス単位で受講する人たちもそれなりにいるらしい。ここはそういった教室の一つのようで、科目ごとの履修生は基礎科目に限ってはそこに混ざって講義を受けると言う形のようだ。先生に続いて教室に入り、持たされた地図を広げ黒板に張るのを手伝う。同じように先生が運んだ年表でも繰り返す。何故、自分で張らないのかと言えば、下を押さえることは出来ても、上には手が届かないと言う切実な理由からだ。必死になって押さえていると、見かねた背の高めな同級生が手伝ってくれた。ありがとう、と礼を言えばどうしたしましてとその同級生は席へと戻った。
私も席に着こうと後ろを振り向けば、今まさに座ろうとしている手伝ってくれた彼を含む十五人ほどの十歳前後と思われる子供たちが席についていて、授業を受ける体制になっていた。十歳前後といっても、この世界基準でのそれだ。私の感覚的には小学校高学年、或いは中学程度のようにも見える。ギリギリ私の身長だとここに混ざっていても違和感がないか、といった程度に収まっているのが救いだ。残念ながらその中でも小さい方ではあるが。とりあえず、見知った顔がそこにはないことに安堵し、手伝うことはもうないと判断すると自分の荷物をまとめて教室の後ろへと移動し、一番奥の空いている席に座りノートと鉛筆を机に広げた。生徒達の間を通るときに注目されはしたが、まあ然程気にすることでもないだろう。新学期の授業初日に教師と連れ立ってくる科目履修生がいたらなら、余程他者に無関心でない限りそれを気にしない方がおかしい。
そうこうしているうちに本鈴がなり、ブラーシェ先生は教壇に立ち軽く自己紹介をし、授業を開始した。
こうしてみるとやはり先生なのだな、と思う。神殿で個別指導してもらっていたときは、どうもその若い外見からかバイトの家庭教師っぽい雰囲気が強かった。いや、家庭教師に習ったことなんてないからあくまでイメージなのだけれど。
ブラーシェ先生は若くは見えるが、実際には純粋なヒト種ではない、魔力特性の高い長命種の血が混ざっているため二十代前半、下手をしたら十代後半にも見える外見とは裏腹に既に齢二百を超えている。そして広く渡り人に関する研究を行っている歴史家でもある。そういう経歴からマレビトに詳しいと言う実績を買われ、私の教師役の一人に選ばれたという経緯がある。私がこの学校に通うことが決まったのも、彼がベルガディナルの専任の講師であるということが大きかった。
今日の講義内容は初日と言うこともあってか、アウトラーシェン、中でもここエグザーダナに焦点を当てるようだ。既に学んだ、当たり障りのない表層的な事象のみを抜き出して簡単にこの町の歴史と、それに絡めてアウトラーシェンの建国までの経緯を簡単に解説していく。私に教えたときには横道に逸れがちだったこの街で最も有名な精霊アトルディアについてや、建国の英雄王、竜殺しの英雄、始源の魔法使い、などの複数の二つ名を持つ日本出身のマレビトについてもさらりと流して、現代に至る神族が生まれた経緯を語っていく。幼い生徒達はその話と判所を必死にノートに書き写している。私はと言えば、既に学んでいることでもあり、横道に逸れることのない講義に若干の物足りなさを感じつつ、要点となる箇所だけをノートにとっていった。
こうして普通とされる授業を聞いていれば、彼が本来この場で教えるつもりでいたものが、禁止された理由が分からなくもない。ブラーシェ先生が本来担当していた、マニアックと評された世界史も前期生までは基礎科目の一つだったという。
となると、彼の講義を基礎科目として行うわけにはいかないというのは納得がいくものだった。私が学ぶつもりでいたのは、渡り人とこの世界との関連についてを中心とした世界史であり、それを基礎教養とするのは大きな問題が有るような気がする。何と言うか、確かにそれもまた正史といえるのだろうが、偏りがあるのだ。渡り人を中心にして世界史を見ると、どうしても渡り人としての視点が入る。私自身が渡り人であるからこそ言える事だが、それはこの世界に生きる人の視点とはやはり異なったものなのだ。この世界に住む人たちも元を辿れば渡り人の子孫であるのだが、当人とこの世界で生まれ育ったその子孫とではやはり同じ世界に生きてはいても、見え方は異なる。その偏った視点から見た歴史を、この世界に生まれ育った人が基礎として学ぶにはやはり不適切であると言える。
そして、どのような渡り人がいつ来たかということを詳しく知るということは、この世界の神々が世界をどのような方向へと導こうとしているかを読み解く鍵ともなる。それは最早神学の研究の域にも入ると言え、やはり子供や初めて歴史を学ぶ人間に勧められる領域ではないだろう。
途中に数度の休憩を挟みつつ、午前中いっぱいの講義は終了した。
最初の休憩時にはちらちらとこちらを伺う視線を向けていた生徒達も、二度目となると近付き始め、三度めに何人かの生徒に声をかけられると、一気に質問攻めにあい掛けたが、無難に答えるに留めたお陰で人見知りすると認識されたようだった。その為か、授業終了後、開始前と同じく先生の手伝いに借り出されても何も聞かれはしなかった。
子供特有の姦しさから解放されてホッと一息ついていると、ブラーシェ先生に苦笑された。
「外見ではそれほど違いはないように見えるけど、やっぱり子供相手は苦手みたいだね?」
「貴方に言われたくはありません。先生は十代の若者と一緒に平気でいられるんですか?」
意趣返しにそう言ってみれば、
「僕は平気だよ。外見だけでなく、精神も若いつもりだから。でもね、どうも相手が嫌がるんだよね。こんな外見だからね、たまに絡まれるんだけど、最終的には向こうから逃げてっちゃう。逃げるくらいなら最初から絡んでこなければいいのにね。」
そうにっこりと微笑まれた。嫌がる相手の気持ちも分からなくはない。見た目が似たようなものでも、中身が老獪な狸爺ときたら、一緒にいたくはないだろう。この世界、どうも美形も多いようだが腹黒と呼びたくなるような人物も非常に多いようだ。思わず零れかけた溜め息をそっと留めた。たとえ腹黒だろうと何だろうと優秀な教師には違いない。
「それでは、明日の午後またここに来れば良いですか?」
とりあえずは、今後の予定だ。目的の講義は明日の午後からのはずだ。
「ん? ああ、そうだね、明日は他には何の授業の予定があるの?」
「えーと、グレイズ先生の『異種間コミュニケーション初級』とナ…ナブドゥカ?先生の『今すぐできる精霊交流術』です。」
「ナゥブドゥカ、だよ。舌噛みそうな名前だよね。それにしても僕が言うのもなんだけど、そりゃまた、随分マニアックな選択したね。彼らの講義が残って、僕の講義がなくなるのって、随分不公平だと思うんだよね。」
マニアック度では絶対同レベルだよ、そう愚痴るが、まあ、それは需要と供給の問題だろう。
「歴史を知ってるかどうかは生活に密着していないからじゃないですかね。」
異種間コミュニケーションも精霊交流も、歴史と比べたら大分生活に密着した内容だ。なんせこの世界には様々な種が入り混じっているのだから。そして精霊の加護なんてものが実在しているにもかかわらず、私のようにその存在を認識できないものもそれなりにいる。そういう者にとっては必須科目だと思うのだが。
「まあ、それもそうなんだけどね。何か納得いかないというかね……。っていうか、君、まだ精霊見れてないの?」
それだけすごい加護を持ってて?そんな風に呆れ顔で見られても見れないものは見れないもので仕方がないと思うのだ。
「見えないし、声も聞こえませんよ。だからこその授業選択です。ただ私の部屋の周りの緑の繁殖力が旺盛なのと、水をあげると成長が著しいと言う点でしか、加護の存在を認知できません。それにしたって気のせい、で済まそうと思えば済ませる範囲ですし。」
「いや、あれを気のせいで済ませるのはよっぽど図太くないと無理でしょ。」
私の部屋を知っているからこその言葉だろうが、たとえ他の部屋の前に比べて2倍以上成長スピードが速かろうが、そんなものは気にしなければないのと同じだ。まあ、庭師の職人さんには手間をかけさせてしまって少し悪いとは思うが。
「じゃあ、私の精神はきっと先生が呆れ返る位図太いんですよ。」
「あぁあ、最初にあった頃はまだ神経質っぽかったのに。これだから開き直ったマレビトは怖いんだよね。」
溜め息混じりだが、明らかに軽口のそれだ。
「まだこれで、ぜんぜん割り切れてなんかいませんよ。本当に割り切ったら、きっと呆れるくらいじゃ済まなくっちゃうんじゃないですか?」
軽口には軽口で。そんな会話の応酬を繰り返した末に、脱線した話を元に戻す。
「で、明日はいつ頃来ればいいんです?」
「あ、そうだったね。とりあえず講義が終わって、特に用事がなければそのまま来ても良いよ。何か用があるなら、十の鐘で高等学校のほうへ行くから、それまでに来てくれれば問題ない。」
何か質問は、と聞かれても特に何もなかったので首を振る。
「それから、高等学校での講義ってものあるけど、日没までには終わるけど、帰りは遅くなるからちゃんとその辺は神殿の方に伝えておいてね。後になって高等神祇官殿に文句を言われるのはごめんだよ?」
「高等…?」
「ナイル坊やの事だよ。君の過保護な守人。」
「ああ、そういえばそんな役職でしたっけ?」
そして、やっぱり貴方もナイルのこと坊や呼ばわりなんですね……。まさか、クレオねーさんこのヒトと同じくらいな年だなんて、ことはないよね?
「ちゃんと、その辺も授業で説明してあげるけどさ、自分の守人のことくらいもっと知っておこうよ。」
覚えていないのは事実だが、本気で呆れられてしまった為、流石にばつが悪くなりそのまま逃げるように帰途に着いた。




