2
「さあ、ナイル行きましょう!」
朝食を食べ終わるや否や、早速出かける荷物を持って(準備そのものは既に昨夜のうちに終わっている)号令をかけた。
が、
「慌てずとも大丈夫ですよ。銀行が開くのは四の鐘が鳴ってからです。」
と、優雅に食後のお茶を飲みながらナイルは言った。
神殿の朝は早い。普通の人が起き始める二の鐘の頃には既に皆活動を開始している。ギルドは例外的に一日中開いているものの(通常通り、というわけではなく、夜の間は例えて言うなら郵便局のゆうゆう窓口のような感じらしい)、朝市を除けば一般人が働き始めるのも、普通の店が開くのも四の鐘が基準である。
特に銀行の場合、異世界でもその融通の利かなさは変わらないらしく、四の鐘から八の鐘までしかやっていないのだそうだ。これは、若干季節による変動はあるものの、地球の時間で言うところの大体九時から十五時に相当する。銀行システムを考えたのも始源の魔法使い本人ということだから、つい頭にあったイメージどおりに作ってしまったのかもしれない。彼はネット銀行やコンビニATMの便利さを忘れていたのだろうか……。
今はまだ三の鐘も鳴っていない。道理でナイルがいつもよりもゆっくりしているわけだ。
彼は私の貢献および世話以外にも神殿の仕事をいくつも抱えている。だから、普段は忙しそうにしているのだけれど、彼が最も優先されるのは私関連の仕事なので、今日は銀行へ行くことが最優先事項ということになる。つまり、彼にとって今の時間はたまにしか味わえないゆったりとした時間ということなのだろう。そんな彼を煩わせるのも気が引けたので、しぶしぶ客間のソファによじ登る。行儀が悪いのは承知の上だが、靴も脱いで足も椅子の上に上げて深く座り込んだ。
やはり、日本人としては床に座る空間がないというのは幾分寛ぎがたく感じるのだが、これも異文化として受け入れる他ないことなのだろう。いつか一人立ちした暁にはアウトラーシェンの数少ない畳職人が手がけたという和室付の部屋を借りたいものだ。そんな密かな夢を胸に秘め、あと一時間ほどある待ち時間を読書でつぶすことにした。
今日の本はこれだ。
"魔物図鑑 アウトラーシェン:エグザーダナ・アトルディア近郊"
意外にこれが面白かったりするのだ。
不気味な生命体の数々が多色刷りの詳細な挿絵付で紹介されている。女性には不人気とのことらしいが、今後必要になるだろうことを差し引いてみても、十分楽しめる本だと私は思う。幾分迫力には欠けるものの、携帯に便利なポケットサイズというのも嬉しい所だ。因みに原著の挿絵は肉筆画らしく、そのあまりの存在感に魔書の類と勘違いされたこともあったとか。
やがて三の鐘が鳴り、本を読んだりお茶を飲んだり、時折言葉を交わす他はお互い気ままに時間を過ごし、そろそろ四の鐘が鳴るんじゃないだろうかという頃に、ナイルが漸く重い腰を上げた。
「それでは、そろそろ行きましょうか。」
本をいつも使っている肩掛けのバッグに仕舞い、ソファから降りる。部屋に置いていっても良いのだけれど、銀行といえば待ち時間、というイメージが強いので念のためだ。一瞬、その表紙に目を向け、なんとも言えないような表情を浮かべたナイルだったが、結局何も言わなかった。
いつもギルドへ行く時間より大分遅くに神殿を出る。そういえば、週の半分をギルド、残りを神殿とそれ以外にどこにも今まで出かけたことが無い。ギルドに行くのはいつもほぼ同じ時間だから、この時間帯に街に出るのは今日でたったの2回目であることに気がついた。
1回目はギルドに登録に行ったときのことだ。前回買い物をしたのもそのときである(朝市のおじさん除く)。
「そういえば、銀行ってどこにあるんですか?」
いつもどおりの見慣れた、けれど少しだけ様子の違う道筋を辿りながら尋ねる。ギルドへ向かうのと同じ道を通っていくということは、ギルドの先にあるのだろうか?必要な場所意外にはまったくと言って良いほど出歩かないためか、今までそれらしき建物を見たことはない。だからこそ聞いたのだが、ナイルは不思議そうな顔をして私を見下ろした。
「ギルドの隣にあるのですが、今まで気がつかれませんでしたか?」
いーえ、まったく。毎日余所見してる余裕なんて全く有りませんでしたよ、と心の中だけで呟く。
全く以って、驚愕の事実である。週の半分通っていた建物の隣に目的の場所があったなんて、今の今まで知りもしなかった。大体表情で察してくれたのか、銀行についての説明を始めてくれた。
「銀行はもともとギルドが、始源の魔法使いが始めたものです。多額の報酬を手にしながら、その多くが定住場所を持たないギルド員たちの資産を安全に保管するというものがそもそもの始まりだったようです。
ギルドの規模が大きくなっていくに従い、融資なども行うようになり、やがては別個の機関として独立しましたが、最大の利用者がギルド及びギルド員であることに変わりは無く、今尚ギルドと銀行は強い繋がりを持っています。」
ああ、確かにそんなような話を講義でも聞いたような記憶が無いでもない。今、思い出したけど。
まだ貴方には関係の無い話かとは思いますが、と前置きをしてナイルは続ける。
「銀行組織は現在各国で独自の機関として成り立ち、通常は相互の取引はありません。
しかし、ギルド員の中には一国に留まらず、複数の国で活動する者も多く、そういった場合国を移動したからといって銀行が使えないというのは困りごとです。だからといって、資産を引き出し移動するのも手間がかかりますし、何より道中何も無いとは限りません。
そこで各国の銀行間を取り持つのがギルドです。予めギルドで手続きをしておけば他国の銀行も、口座を作成した国の銀行と同じように利用することが可能となります。」
なるほど。つまり、各国の銀行はギルドを通じて提携しているようなものか。
「この制度はギルド員だけでなく、各国を渡り歩く商人も利用していることが多いですね。今では寧ろ、そちらの利用者の方が増えているかもしれません。
そういう理由で、元が同じ組織だったためと、どちらかといえばこちらの要素が強いかもしれませんが、その利便性ゆえに大抵の場合ギルドと銀行は隣り合っているのです。場所によっては、今でも同じ建物の中に併設しているところもあるのですよ。」
「解説ありがとうございます。勉強になりました。」
「いえ、講義の時にもその辺りまで詳しく説明しておけば良かったですね。」
色々聞いてみるとなかなかに面白いものだ。
そうこうするうちに見慣れたギルドに到着。そういえば週末にギルドに来るのはひたすらギルドに通い詰めだった最初の一ヶ月以来だ。今日は週の末日なのだと思い出し、よくよく考えて見れば週末だろうが関係なく毎日やっているなんて、この世界の銀行の方が日本の銀行より融通が利くんだな、と思い直すことにした。尤も、公休日という概念の無い世界と比較すべきではないのかもしれないが。
四の鐘はまだ鳴らない。少しだけ、ギルドによっていくことになった。




