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マレビト来たりて 前編  作者: 安積
第3章 同胞の足跡と、初めての魔法
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「つかぬ事を窺いますが、事務職の方が帰省されたのはいつですか?」


 積み上げられた書類の束を前に、思わずため息が出そうだ。


「確か間もなく一月経つんじゃないかしら?」


「その間、誰が処理すべき書類の担当を?」


「皆で少しずつ、やってはいたのだけれどね……。何せ、私を含めてここにいる人たちのほとんどがギルド員上がりでしょ。つまりは……。」


 溜息をつく憂えるクレオさんの影で、ガタイの良い兄さん方が肩身を狭そうにそのでかい体を縮こめているのが見えた。


「……書類仕事は苦手なんですね。」


「残念ながらね。これが|大蚯蚓≪サンドワーム≫の群れだったならなんて事ないんだけど。」


 あんたらも脳筋共のお仲間か、とは口が裂けても言えない。こぼれそうになる溜息を堪えながら、若干覚えた頭痛を振り払うように首を振った。

 因みに、大蚯蚓とはエグザーダナの外輪に広がる砂漠に現れる俗に言うところの魔物のような存在だ。実態は、蚯蚓の名の如く土地を豊かにしてくれもするのだが、その反面、増えると家畜や畑の作物まで食べるために農村部を襲うので時折駆除される。その巨大さと増えると群れる性質から、それなりの経験がないと駆除も大変らしい。何せ確実にしとめなければ切った先から分裂するのだから。

 閑話休題。

 今、私の目の前にあるのは大蚯蚓ではなく、積み上げられた書類だ。


「で、間もなく上半期の締めの時期になるのでこれを何とか処理したい、と。」


「そういうこと。少しでも遅くなったり、計算間違いがあるとミリーが怒るのよ。」


 ミリー、誰の事だろうかと思うそばからすぐに思い出した。ギルドに登録に来たときに支部長の部屋にいた若い女性が確かミリアナ・ファレルといった筈だ。


「……ああ、ファレルさんですか。」


「そ、あの娘可愛い顔して性格とってもキツイのよね。」


 提出書類が期日に間に合わなかった上にミスがあれば誰でも怒るでしょうよ、ともやはり言えはしない。やると決まったからには、腹をくくって取り組むしかあるまい。


「それでは、始めるとしましょうか。」




 私が処理すべき書類は、ギルドで扱った、或いは現在扱っている依頼の詳細――依頼内容、いつ依頼されていつ受理されたか、報酬、請け負ったのは誰か、依頼達成にかかった日数、報酬の支払い状況、損害などの有無、またその補償の有無など――を一日毎、一週毎、一月毎に纏めなおすという単純な事務作業だ。通常こういう仕事は一介のギルド員に回ってくるべきではないと思うのだけれど、別段これといった守秘義務やらもなく、逆にこれで良いのか、と疑問に思う。やってみれば分かることだが、個人情報が駄々漏れだ。

 例えば、依頼者を秘匿している依頼もいくつかあったりするのだが、これを見れば、それらも丸分かりである。他にもギルドだけを収入源としている人の収入も分ってしまう。勿論、言いふらすつもりもないから問題ないといえば無いのだが、何となく釈然としないものを覚える。

 まあ、秘匿されている依頼者名は別としても、大概依頼内容が報酬金額と共に公に張り出されているわけだし、それを誰が請けたかなんてその場で見ていれば分る事で、そこから調べようと思えばギルド員たちの各収入なんて、やる気と根気と時間さえあれば誰にでも簡単に割り出せるのだ。そう考えれば、隠す意味もあまりないのだと思い至った。そもそもこの世界まだプライバシーの概念もほぼ無く、個人情報保護についても関心は低いようだ。

 その一方で、様々な情報が金銭でやり取りされているのだから不思議なものだ。それともそれ故なのか。情報が金になるのだから何の利も無いところで好き勝手に喋りまわる、ということも無いのかもしれなかった。

 とりあえず、全ての書類を依頼された順に日ごとにまとめていく。いつどんな依頼があったのか、それを調べて情報を収集していけば、農畜産業に関する仕事など季節性のものなどは来年いつごろ依頼が来るのか、どのような仕事にどれだけ需要があるのか、そういうことを知るのに優れた資料となる。ギルドだとて持ち込まれる依頼を待っているだけではなく、積極的に依頼を請けているからこそこれだけの発展を遂げたのだ。

 だからこれらの書類をまとめるのはギルドの経営上とても大切な事後との一つであるのだが……肝心のギルドの職員がこういう仕事を苦手としているってどうなんだろう。揉め事があったとき、それを現場の人が抑えられないのでは意味が無いから、それなりの技術のある人が表の職員を勤めるとしても、こういう裏方仕事の人はもっと事務仕事に強い人を入れても良いと思うのだ。

 というか、入れなきゃ駄目だろう、これは。支部長がこんな職場の割りに随分とオフィスワーカー系の雰囲気がする人だなと思ったが、ああいう人で無いとこういう職場を支えることは出来ないのかもしれない。トップまで脳筋だったらまともな運営は難しそうだ。


 途中、食事を取りながら書類をまとめて数時間。切りのいいところまで進めて、今日の仕事はそこで終わりとなった。まだ半分も終わっていないが、ある程度分類しまとめたので、少しはすっきりとした感じだ。片付き具合に比例して私の脳の疲労度は高くなっているけれど。

 やっていた事は単純な事務作業とは言え、これが意外と頭を使う。何より計算が面倒くさい。何が面倒なのかといえば、この世界は十進法ではなく十二進法が基本だと言うことだ。初めての買い物のときも思わず間違いそうになったし、今でも気を抜くとつい十進法で考えてしまう。

 だが、それでも、日本の義務教育と今ではほぼ義務といっても過言ではないくらい高い進学率となっている高校での教育には感謝せねばなるまい。既に卒業してから四年が経過しているが、計十二年の教育期間は伊達ではない。計算を続けるうちに慣れてくれば、特に問題なく仕事をこなす事が出来た。もっとも、これも単純な四則演算のみに限られたことだからこそ、ではあるのだが。

 疲れる仕事ではあったが、それでも久々の頭脳労働はある意味で心地よい疲労を齎した。たまにはこういう仕事も良いと思う。慣れない十二進法のお陰で気を抜く事も出来ず、結果的に今夜試す魔法に気を取られて失敗する、という事も無かった。漸く今になって魔法の事が気になって仕方がなくなってきている。帰り道で転んだりしないように注意が必要そうだ。


 帰り支度を済ませていると、丁度カウンターに見覚えのある顔が見えた。珍しい時間に、珍しい場所で、珍しい人。その人はいつもだったらこの時間にこの場所にはいないはずだ。そしてそのカウンターには用が無い筈だろう。

 よくあるRPGや小説でそうであるように、ここでも窓口のカウンターは用途別に分かれている。分かれている、とは言っても郵便局の窓口が郵便と金融とに分かれているような程度だが、一応は依頼の発注と依頼の受注、換金などに分割されている。小さな支部だとそういう区別は無いようだが、ある程度以上の大きさの支部ではそのようになっているそうだ。私はここ以外の支部を見たことが無いのでその真偽は不明だが、こんな事で嘘をついても意味がないので真実なんだろうと思う。

 そこ、依頼の発注のための窓口にいたのは"熱砂の風"のフェルディモータだ。依頼を受けるならまだしも、依頼をするだなんて彼には珍しいことだ。何かあったのだろうか、と窓口の方へ行こうとして足を止めた。そのまま踵を返し、裏口へと向かう。

 どうやら、彼は今日は"熱砂の風"としてきたのではなく、バルドゥク家の家長として依頼に来ていたらしい。その後ろには、この界隈でのクソガキの代名詞たる彼の二番目の息子、フェクトがうろうろしていた。見つかれば最後、何をされるか分らないというのはもう身に沁みて分っている。どうにかこうにか彼に見つかることなく無事にギルドを抜け出し、帰路へと着いた。


 なんだが、最後の最後で冷や汗をかく羽目になった。

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