98. たった一つの道導 その①
僕達はお母さんの元から離れて、族長様の元へ向かった。人間達がこの村に攻め込んで来ている今、いつまでもお母さんの優しさに縋ってはいられない。最前線では今も、仲間達が足止めをしてくれているんだ――全身全霊、その命をかかけて。
今は一秒すら惜しい。僕はまた早まり始めた鼓動を抑制しながら、足の回転を速める。
――キン
その時、背中の上から魔法の発動音が聞こえた。そうして徐々に広がっていく暖かな空気。淡い色した白光のベールが、優しくこの村を覆い包んでいく。そしてキラキラと輝く光の粒子が、雪の様に降り注がれていった。
これは時たま、ティナが僕に使ってくれる『精神を落ち着かせる魔法』だ。光のベールが広がるに連れて、村に漂っていた『混乱』と『恐怖』の臭いも薄らいでいく。きっとみんなも、この美しい景色に目を奪われてるのだろう。
効果範囲は目視できるだけでも、半径数百メートル。更にこの広範囲魔法、おそらく今の状況に適した効果に魔法をアレンジしている様にも感じられた。
僕はこの魔法に当てられると、いつも激しい眠気に襲われて意識を手放してしまうのだ。けれど今、全然眠気は感じない。頭にかかった靄が晴れて、気持ちよく目覚めた朝の様なスッキリとした気分だ。
使い慣れている魔法とは言え、魔法効果すら自在に定義し直して、更に村を覆うほどの大規模な魔法を展開させた。ここ最近ティナは、魔法についてとても熱心に勉強をしていた。きっとこの魔法も、その努力の賜物なんだろう。
それにこの魔法は、亡くなったティナのお母さんが得意にしてた魔法。今僕や村のみんなが、この魔法に救われている。その事実が、僕の目頭を熱くさせた。
それと同時に、僕の決意は更に強固になった。ティナの両親が命をかけて守り抜いた命。僕が預かり継いだティナの命。
僕が責任を持って、彼女を護りきる。
僕は降り注ぐ光の中、心に希望を抱いて族長様の元を目指した。
「族長様ッ! お話があるんですが、今お時間よろしいですね!?」
そうして目的地へと辿り着いた僕は、勢いそのまま族長様へと駆け寄る。族長様は獣人姿で、憂いを帯びた顔つきで村の外に広がる森林を眺めていた。
僕はティナを背中から降ろして、族長様に併せていつもの獣人姿に変化する。
族長様は僕の言葉に、頭の猫耳をピクリと反応させて、ゆったりとした動きで僕達へと体を向けた。
振り向き様に見せたその顔には、分かりやすい作り笑いが仮面の様に貼り付けられていた。
「レイにティナっ……! 来てくれたのか。もちろん、お主らの力を貸してもらえるのならば、これ程ありがたい事はないっ……」
族長様は静かに拳を握りしめていた。「上感覚」がなくても伝わる、やるせない想い。
族長様はこれまで、ティナのことを気にかけてくれていた。ティナの将来のことはもちろん、お父さんと同じく人間の動きにも目を光らせてくれていた。だからこそ、何の手を打てずこの事態を迎えてしまったことに、僕以上に責任を感じてしまってるんだと思う。
僕はティナに視線を流した。ティナはすぐに僕の視線に気がついて、ニッコリと微笑みながら、力強く頷いてみせた。まだ十三歳の少女がするにはあまりにも凛々しいその顔に、僕のお母さんの面影とも重なって見えた。
ティナは族長様向かって、一歩前へと踏み込んだ。
「族長様、私達は大丈夫です。族長様がこれまで手を尽くしてくれていたことは、私も知ってます。だからあまり、気に病まないでください。私は、レイや族長様、村のみんなの支えがあったから、生きたいって思える様になったんです。だから私にも、みんなを救う手助けをさせてください。お願いしますっ……!」
深々と礼をするティナに、族長様は目を見開いていた。けれど次の瞬間には、貼り付けていた作り笑顔は剥がれ、いつもの優しい族長様の顔になっていた。
族長様はゆっくりとティナへと近づいて、ティナの肩にポンと手を乗せる。
「…………ありがとう、顔をお上げ。ティナよ、やはり君は強い子だ。儂も君の勇気に応えられる様、死力を尽くそう」
族長様の言葉に顔を上げるティナ。ティナはいつもの優しい族長様の声を聞いて、柔らかく微笑んだ。
ティナは本当にすごいと思う。どんな困難な現実を前にしても、決して諦めず僕たちに勇気を与えようとしてくれる。もしも僕がティナの立場だったなら、とっくの昔に折れてしまっていたことだろう。
僕は族長へ視線を流した。
今はそんな自嘲をしている暇はない。ティナがせっかく場を整えてくれたんだ。僕が後ろばかり向いてどうする。
今はこれからの対策を打つためにも状況の知っておかなきゃいけない。族長様ならきっと、僕たちより詳しい状況を把握しているはずだ。
族長様は僕からの視線の意味を理解したのか、静かに頷いてくれた。そして族長様はそのまま、村の外に広がる広大な森林へと視線を流した。
「レイにティナよ。今、この村には「冒険者」と呼ばれる人間が攻め込もうとしている。その数は十人。帝国兵の身なりではなかったと報告を受けている。今は村の戦士達を派遣し『足止め』をさせておるが、あまり悠長にはしておれん状況だ」
「この村にみんなを留まらせ続けるのは悪手でしょうね。下から火でも放たれでもしたら、僕達は逃げ場を無くします。北の森のゴブリンの縄張りに助けを求めたとしても、多少の延命にしかならないでしょうし」
族長様も僕と同じ意見ではあるみたいで、静かに頷いてくれた。
「その通り。流石、分かっておるな。少なからずこの森――いいや。この帝国から逃れられなければ、我々の安寧は戻らないだろう。しかしこの村で暮らす猫は総数、数百はくだらん。そして、まだ己自身で身を守れない子猫も多い。老猫など国を跨いだ大移動に耐えられる体力はなかろうな」
族長様は万策尽きていると言いたげに、苦虫を噛み潰した様に眉間に皺を寄せていた。確かに今の状況は、はっきり言って最悪だ。村に留まるのもダメ。かと言って、逃げるのにも無理がある。
僕たちが社会を形成していないただの野生の魔物だったなら、それぞれが散会し生存率を上げるのが最善だったことだろう。
しかし族長様はその選択は絶対しない。族長様はきっと、自分の命を賭してでも村のみんなを守ろうとすることだろう。それほど族長様が責任感と優しさのある猫だってことを、僕はよく知っている。
僕はこれまでこの村に多くの恩を受けてきた。族長様が守り抜いたこの村があったこそ、今の僕がある。
今こそ、その恩を返す時だ。
「族長様、僕から一つ提案があるのですが。よろしいですか?」
僕は族長様へと一歩前へと踏み出す。ティナが勇気を持って一歩を踏み出した様に。
ティナと族長様の視線が僕へと流れる。この話をするために僕はここに来たのだ。今更、この決意が揺らぐことはない。
族長様は僕の瞳を見ると、一つ息をついた。
「良かろう。なんでも言うてみぃ」
「はい、ありがとうございます。それで早速、みんなで人間の危機から逃れる方法なんですけど、聖級魔法「瞬間転移〈テレポート〉」を使うのはどうでしょうか? というか、それしかみんなが助かる方法はないと思ってます」
聖級上位の魔法「瞬間転移〈テレポート〉」。
それは名の通り、「モノや生物を一瞬で別の場所に転移させる魔法」だ。以前ティナが使った「上回復〈グレーターヒール〉」は聖級下位の魔法。それよりももっと技量のいる魔法ではあるけど、今のティナなら扱えると、僕は確信していた。
族長様は長い顎髭を撫でながら、眉根を寄せる。
「…………確かに、ティナの能力「魔導者」ならば「瞬間転移〈テレポート〉」の魔法陣を構築することは可能かもしれん。しかし、この村の皆を転移させるとなれば、相応の魔力も必要となる。儂とレイとティナ、それに村の皆の魔力を合わせたって、足りはしなかろうて」
以前、ティナが「上回復〈グレーターヒール〉」を使った時、魔力消費が激しすぎて、立てなくなるぐらい疲弊してしまったことがある。たった一度の聖級下位でその反動だ。聖級上位の魔法ならば、もっと大きな反動が返ってくることは想像に難くない。しかも数百匹の猫を転移させるとなれば、非現実的だとあしらわれても仕方ないのかもしれない。
しかしその魔力問題については、既に解決策が浮かんでいる。僕は口角を上げて、胸を張って見せた。
「それは心配に及びません! この村にはあるじゃないですか。そんな莫大な魔力を補填できる『魔石』っていう便利アイテムがね。あの魔石のチカラを利用すれば、「瞬間転移〈テレポート〉」の魔力ぐらいは補えるはずです。ティナも力を貸してくれると言ってくれてますし、族長様「固有加護」も加われば、どんな魔法だって再現できると思うんです!」
僕があの性格の悪い迷宮から持ち帰ってきた『魔石』。その魔石には、僕の感覚ですら計りきれない程の魔力が秘められている。もちろん魔石の魔力を用いるのは、そう簡単なことじゃない。それ相応の技量がいることなんだろうけど、それでも僕にはもう一つの確証があった。
それは同じく迷宮内で拾った『魔法の杖』だ。あの杖は僕が迷宮から脱出する時に、確かに瞬間転移〈テレポート〉を使っていた。あの時の僕は当然、魔法知識なんてなかった。それにもかかわらず、まるで杖に意志があったかの様に、僕とゴブリンを地上に転移させてくれた。
もしこの杖をティナが使ったとしたら。そして族長様が能力で補助してくれたら。更に僕の「上感覚」まで加われば、安全な場所への転移ぐらい容易いことだろう。
族長様は僕の提案に、唸り声を上げていた。
「…………なるほど。魔石から魔力を抽出し、魔法を行使する、とな。それ相応の技量は必要となろうが、確かに我々ならば、不可能ではないのやもしれん。それが村の皆が助かる唯一の道なのかもしれんが…………しかし意外よな。レイならば、『手っ取り早く人間を制圧し、片付けてしまおう』、と言った話を持ちかけてくると思っておったわ」
なんとか理解を得られたけど、族長様はこれまで意図して触れてこなかったその『禁じ手』に触れた。
もちろんそれが『この襲撃』に対する、一番手っ取り早い解決策ではあるんだろう。けれど冷静になった今、それが諸刃の剣だってことを僕も重々理解していた。
「正直、人間が攻めてくると耳にした時は、真っ先に僕が最前線に出て、向かい来る人間全員迎え撃ってやろうとも思いました…………でも、それはあまりに危険すぎる。例えこの襲撃をチカラを持って制圧したとしたら、人間達は確実に「化猫は危険生物だ!」というレッテルを貼って、もっと大規模な討伐作戦に移行する事でしょう。そして最悪、この村すら無関係な化猫達に危害が加える可能性だって考えられる…………今すぐ反撃してやりたい気持ちはありますけど、僕のせいで世界の猫達に危険が及ぶ事だけは、したくなかったんです」
これはこの世界でよくある『魔物討伐』なんだろう。人間にとって害をなしうる魔物を討伐する――言い方を取り繕わなければ、単なる害獣駆除と言える。
だとしたらどうだろうか。もしもこの害獣駆除を成そうとする冒険者達を返討ちにしてしまったとして、人間達はそれで諦めてくれるのだろうか――いいや、そんな事は絶対にありえない。
それこそ人間達を返討ちにした危険生物として、さらに強力な戦力を投入して来るに違いない。そしてまたそれを返り討ちにしてしまえば、更に危険な魔物として認定される。その繰り返しだ。
きっとこのサイクルは僕を殺すまで止まる事はないし、僕が返討ちにする度に、この世界に生きる化猫達の立場は悪くなる一方だろう。
やられっぱなしなのは正直悔しい。けれど僕のせいで、世界の無害な化猫たちが虐げられる未来だけは、迎えたくはなかった。
「…………そうか。ありがとうレイ」
族長様は僕の言葉を静かに聞いていた。族長様だって理解してくれている。だからこそ族長様も『足止め』として戦士達を向かわせているのだ。
この足止めはきっと、無犠牲ではいられない。僕だって心苦しい。村の戦士達は皆見知った顔だ。僕に対してあまり良い顔をしない猫もいたけど、それでも確かに仲間なんだ。どんな猫だって、僕は死んでほしくない。
けれどそれは叶わぬ理想なのだ。
沈み込む僕に族長様は、優しく頭を撫でてくれた。そして優しい声調でティナへと呼びかける。
「ティナよ。先ほどの転移の話を、村の仲間達に伝えてはもらえないかな?」
「ッ! もちろんです。必要ならこの森全域にいる化猫族全員に伝えられる、と思います。やってみせます!」
ティナは力強くそう答えて見せた。それは間違いなく、僕を励ます意図もあるんだと思う。ティナからの心配な想いが、僕の心にも染み渡る。
今は手の伸ばせる範囲のことをどうにかしなきゃいけない。理性では理解はできても、それでも僕は心のどこかで希望を探ってしまっていた。
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