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97. かけがえのない平穏


 僕たち化猫族の平穏は、突如として崩れ去った。


 その報告が入るまでは、いつもと変わらない穏やかな一日だった。

 村の子猫たちとじゃれあったり。暖かな日差しに当てらながら、ティナと一緒にお昼寝をしたり。ティナに撫でられながら他愛のない話をしたり。村で困っている猫がいれば、率先して猫の手を貸してあげたり。

 

 この村での思い出を作っておきたかったんだ。僕は近い内にこの村から旅立って、また違った環境で生きていく事になるだろうから。この村での生活は好きだけど、それ以上に僕は、将来ティナを一人にする選択をしたくなかったから。



 それにお父さんが探ってくれている帝国側の動向も、ここ最近は何の変化もなかった。僕がティナを助けたあの一件――馬車襲撃の事件に化猫が関与していると言った噂も、今のところ流れていないらしい。事件現場が魔法で荒らされてしまったものだから、人間としても犯人特定はお手上げ状態なのだろう。


 だからこそこれを一つの区切りとして、この事件の噂がなくなるまではこの村に留まろうと考えていた。僕たちがこの村を離れた後で動きがあったらとしたら、それこそ僕は自分の判断を一生悔やむと思うから。

 けれど帝国側もこの事件がとりだたされるのは好ましくはないはずなのだ。なにしろこれを深掘ってしまえば、『帝国兵がティナの家族を殺した事実』が明るみになりかねないんだから。

 人の噂も七十五日とはよく言ったもの。だから少なくともあと三ヶ月ぐらいはゆっくりして、それで何もなければ後はティナの想いに任せようと、そう考えていた。



 もっとじっくり考える時間があるものだって、思っていたんだ。

 今日という日を迎えるまでは――

 


 何の前触れもなかった。それはティナと二人でお喋りしていた時のこと。僕は村の外に漂うとある感情のニオイを嗅ぎ取った。今まで嗅いだことのない、胸に不安が込み上げてくるようなニオイだった。


 嫌な予感がして僕は思わず、ティナの家の窓から外へと飛び出した。そして僕が周囲を確認しようとしたのと同時――地上の森に狩りに出ていた戦士達が、傷だらけになりながら村へと帰還した。

 荒々しい息遣いに、動揺を隠せず震える瞳孔。毛が逆立ち膨らんだ尻尾。明らかな異常事態に、僕の心臓が大きく脈打った。



 彼らは村中を駆け回りながら、村の猫達へこう呼びかけていた。



『人間だッ!! 南西方向より人間共が現在この村に向かって進行中ッ! 闘える者は今すぐ加勢に迎え! それ以外は族長様の指示に従い、避難の準備を整える様にッ! 繰り返す!――』

 

 

 血の気が引いて、頭が真っ白になった。いつも暖かな感情に満たされていたこの村が、徐々に混乱と恐怖に侵食されていく。子猫だけじゃない、いつもは穏やかな大人の猫達も、あまりの事態に狼狽えて全身の毛を逆立てていた。



 眩暈がする。現実が受け止められなくて、僕は少しの間、茫然として立ち尽くしてしまった。

 けれど隣で震えるティナに気いて、僕は我に帰る。


 人間がこの村を襲撃する理由。案の定、目的はティナ――いいや、ティナの能力「魔導者」を手中に納めるためだろう。いったいどこでティナの情報を掴んだのか。それも気になるところではあるけど、そんな事考えても仕方ない。


 実際に今攻めこまれているんだから、今考えるべきは『なぜこうなったのか』じゃない。『これからどう動くか』だ。

 何よりティナは今、責任を感じてしまっている。けれど僕も心拍がありえないほど上がってるせいで、頭を冷静に回せない。心が乱れて「上感覚」の制御が厳かになってるのか、ティナにどう声をかけてあげたらいいかも考えられなくなっていた。

 


 僕は技能『変化』により、ティナを背中に乗せられるぐらいに身体を肥大化させた。ティナは驚いた様に一瞬目を丸くしたけど、僕の意図を覚ってすぐ僕の背中に乗ってくれた。

 ティナの身体は、微かに震えていた。

 

 

 僕はティナがしがみついたのを確認しつつ思考する。

 きっと今お父さんは最前線で人間達の相手をしているはずだ。お父さんの実力なら、人間相手でも上手く立ち回れる。それは息子の僕が一番よく理解している。



 それなら、まず僕が向かうべき先は――


 

『お母さん! みんなを連れて早く逃げてッ! 僕は残るッ。残らなきゃいけないから……ッ』



 僕はまず、お母さんの元へ向かった。人間への対処に出向く前に、家族の安全だけは確認しておきたかった。


 いつもなら僕の姿を見ると駆け寄ってくる弟妹達も、村に漂う異様な空気感に怯えて、四匹みんなお母さんに身を埋めていた。僕はやるせない思いに、ギシリと強く歯を噛み締めた。

 僕がもっとしっかり対策できていれば、ティナにもみんなにも、こんな不安を味合わせないで済んだのに。



 焦りを見せる僕に対して、お母さんは力強く頷く。


 

『分かった。貴方もこの村の戦士だもの。止めないわ。大丈夫、この子達のことは任せて。私が必ず守りきるから』



 その意思と瞳には一切の揺らぎはない。いつも通りの変わらない、凛々しいお母さんがそこにはいた。


 でもだからこそ思ってしまう。前もってもっと打てる手立てがあったんじゃないかって。元人間だって言うのに、人間の欲望を甘く見て、こんな事態にまで発展させてしまった。それは紛れもない、僕の見通しの甘さのせいだ。



 僕は苦悶の顔を見せない様に俯いた。みんなを安心させるために顔を見せに来たっていうのに、自分の心の弱さに内心でため息が出る。


 お母さんは沈んだ僕の姿を見ても、強気は姿勢は決して崩さなかった。


 

『レイ。貴方一匹で責任を背負う必要なんてないわ。過去をいくら悔いても現実は変わらない。今はみんなで力を合わせて、人間達に立ち向かう必要がある。分かるわね?』


『…………ごめんなさい。いや、ありがとうお母さん。少し、冷静になるよ』

 


 お母さんからの強い想いに僕は顔を上げた。やっぱりこう言う時、一番頼りになるのはお母さんだ。能力なんてなくても、僕の気持ちを分かってくれる。僕の心を支えてくれる。


 僕は深く息を吸って、ゆっくりと吐く。周囲の空気感に流されちゃダメだ。今世の僕には「上感覚」っていう便利な能力がある。そして多種族から覚えた多彩な『技能』もあって、ここ最近『魔法』だって覚えたんだ。

 こんなに切れる手札が多ければ、今からだってどうにでも出来るはず。先手を取らなかったからと自暴自棄になっちゃいけない。



 やっと理性が感情に追いついたのか、僕の早まった心拍が少しだけ落ち着いた気がした。しかし同時に、ティナの異変にも気がつく。感情を乱してしまっていたせいか、ティナの変化に気づけなかった。

 ティナの心拍は、僕以上に早まっていた。呼吸だって過呼吸気味で、肩だって震わせている。

 でも決してそれは『恐怖』しているわけじゃない。



 この感情を言葉で表すなら『後悔』と『懺悔』。

 ティナは僕の背からゆっくり降りると、小さく呻き声を漏らし始めた。

 

 

『…………ごめんなさいっ。私がいるから、私のせいでこの村がっ……!』


 

 ティナは目に涙を溜めて、胸の前で手を握りしめる。ティナは人でありながら、この村や猫の仲間達を愛してくれていた。やっと見つけた、安心して生きていける自分の居場所。それを自分の手で壊してしまったんだと、そう思ってしまってるのだろう。


 僕は咄嗟に『ティナのせいじゃない』って伝えようとしたけれど、ふとお母さんからの視線に気がついた。いつもと同じ、凛々しくて力強いお母さんの瞳だ。


 僕は出かかった言葉を飲み込み、黙って引き下がる。僕の気持ちが凹んだ時、慰めてくれたのはいつもお母さんだった。僕以上の適役がいるのなら、僕が前に出て自我を出す必要なんてない。


 お母さんはティナに向けて、ゆっくりと瞬きをして見せた。どこまでも柔らかい顔つきで、真綿で包み込んだ様な視線をティナへ向けていた。



『そんな悲しい顔をしないで。この村で貴女を責める様な猫なんて、一匹だっていないわ。貴女はただ生きる道を選んで、私たちは貴女を受け入れた。仲間として、家族として、そして守るべき子供としてね』



 お母さんから伝わる本心に、ティナは涙を溢した。それを手で拭おうとするけど、一度流れた始めた涙は止まることを知らない。

 僕のお母さんはいつからか、ティナに対しても『お母さん』として接する様になっていた。この暖かい気持ちは、ティナにはきっと染み入るものだと思う。


 お母さんは相変わらずの柔らかい顔つきで、言葉を続けた。



『生きることが罪だなんて思わないで。貴女が生きてくれたから、この村は以前よりもずっと豊かになった。貴女は私たちに沢山の幸せを与えてくれた。だから私達にも、その恩返しをさせて。この村にはとても頼りになる猫が沢山居る。心配しないで、きっと何とかなるから』


『……お母さんっ!』



 ティナはモフモフの猫のお母さんに抱きついた。もう限界だったんだろう。血も繋がってない、種族だって違う。でも、確かにここには親子としての関係が築かれていた。

 僕もつられて泣きそうになったけど、必死で堪えた。ここで僕まで泣き出したら、この後絶対に動けなくなる。というかティナが泣き止んでも、僕の方が泣き続ける自信があった。


 僕は顔をフルフル振って、気持ちを整える。お母さんに会いに来たのは正解だった。お陰で村のみんなを安全に避難させる名案も閃いた。

 僕は今度こそ、覚悟を決めてお母さんへと視線を流す。お母さんは僕の視線に気がつくと、ゆっくりと瞬きを返してくれた。



『お母さん。みんなのことは頼みました。それにティナも、できれば村のみんなを避難させるのに協力してほしい。今はティナの力が必要なんだ』



 僕の言葉に、ティナはお母さんへ埋めていた顔を上げた。目元は赤く腫れていて、顔はぐちゃぐちゃに濡れていた。それでもその瞳には、希望の意思が宿っていた。

 やっぱりティナは強い子だ。僕も自然と顔が緩む。



『…………っ分かった。私もここに残ってっ……みんなの手助けするっ、したいっ』



 吃逆しゃっくりしながら、ティナは袖で目元を擦る。そして僕へと決意のこもった視線を流した。

 いつもより潤ったその翡翠色の瞳は、いつもに増して綺麗で、気高さすら感じられた。



 基本的になんでも再現出来る僕の能力「上感覚」。そして基本的な魔法ならなんでも再現出来るティナの能力「魔導者」。僕たち二人が合わされば、この世界で不可能なことなんてない。僕はそう確信していた。

 僕はティナにゆっくりと瞬きを返して、力強く頷いて見せた。悔やんだり悲しんだりするのは、この事が済んだ後だ。



『ありがとうティナ。レイ。あなた達は、私の自慢の子よ』



 お母さんは僕たちを優しい目で眺めていた。見ているだけで安心できるお母さんの優しい顔。決して事態が大きく好転したわけじゃない。それでも、その言葉だけ僕たちの心には、少しだけ平穏を取り戻していた。


最後までお読みいただきありがとうございます!


もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!


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