96. 密会『天族の分前』
――某日ディビナス帝国にて。
人通りの少ない薄汚れた路地裏。日差しも届かない細道を進んだ先には、知る人ぞ知る酒場がある。魔道具により悪臭が撒き散らされ、一見すると廃墟にしか見えない無人の店内。
フードを深く被った男は、軽い足取りでその店内に足を踏み入れた。埃の被った丸テーブルの縁を指でなぞりながら、誰もいないカウンターの奥へと進んで行く。
カウンターの先には、使用された形跡のないキッチン――そして認識阻害の魔法をかけられた、地下へと続く細い長い木製階段があった。
男は僅かに口角を上げ、魔法で灯りを灯しながら階段を降って行く。キィキィと悲鳴をあげる階段になど気にも留めず歩みを進め見えてくるのは、これもまたボロボロな木製扉。
フードを深く被った男は五回ノックをした後、小声で呟く。
――天族様のご加護が在らん事を
扉がガチャリと音を立てる。この手順に合言葉を言わなければ辿り着けない――決して一般人では辿り着くことのできないこの帝国の暗部。
この酒場を人は【天族の分前】と呼ぶ。
フードを深く被った男は何の躊躇なく、その扉を開いた。
豪華なシャンデリアに照らされた店内。フードの男は周囲を見回し、お目当ての人物を見つけるとすぐさま歩みを速めた。
基本この酒場では素性を明かさぬ様、フードや仮面で顔を隠したり、魔法により認識阻害をかけることが多い。しかしそのお目当ての男に関しては、姿を偽ることもなく一人酒を嗜んでいた。
微かに揺れ続ける片膝と、周囲に漏れ出す禍々しい魔力。一見して機嫌の悪い様子のその男『アーサー・ベネット』にフードの男は、背後から指で肩をトントンと叩いた。
「お隣、よろしいですか?」
アーサーの返事を待たず、男は隣の席へと腰掛けた。しかしアーサーは咎めない。この男に殺意や怒りを向けたところで、この男の態度が変わらない事をアーサーは知っていた。
このフードの男の名は『プリシエラ』。それが真名であるのかも、どの様な立場の人間なのかもアーサーは知らない。
彼が斡旋してくれる『仕事』は通常の依頼〈クエスト〉とは比べ物にならない程、割りが良いのだ。アーサーとしても良い取引相手であり、下手な探りを入れて関係性を崩したくも無かった。
プリシエラは片肘を立てて頬杖をし、ニタリと口角を上げる。対するアーサーはグラスの中の黄金色の液体を転がしながら、深い嘆息を漏らした。
「聞きましたよ。『蠱毒の地下迷宮』を真正面から攻略された、とかぁ。いやはや、なんと素晴らしいことか。どうやら私も、貴方の実力を少々侮っていた様です」
大仰な身振り手振りで、冗談めかしく言い放つプリシエラ。普段のアーサーであれば「馬鹿にしているのか」と、額に青筋を立て怒りを露わにしていたところだ。
しかし眼前の胡散臭い男に、アーサーは緊張から全身が少し強張っていた。それは『本来のアーサー』では気がつけなかった違和感。この男と関わるのは危険だと、野生の本能が警鐘を鳴らし続けている。
表面上アーサーは平静を取り繕いつつ、興味もないと言う態度を示す様に視線を逸らした。
プリシエラはアーサーの反応をクスクスと笑う。
「そう警戒なさらないでくださいよ。私は貴方の力になりたいと、心から思っているのですよ?」
礼儀正しくも軽々しい様子は以前から全く変わりない。表情を見ずとも声調から伝わる胡散臭い雰囲気に、アーサーは眉根を寄せて見せた。
そうやって怪訝な態度を示しつつ、目端ではプリシエラの一挙手一投足に細心の注意を払い続ける。
男から漂う危険な香りを誤魔化す様に、アーサーは酒を口に含む。
「…………こんな場所で飲み仲間を探しに来たわけでもないだろう。さっさと要件を言え」
そしてプリシエラを横目で睨みつける。常人であれば、身を震わせ動けなくなってしまう強烈な威圧感。しかし彼にとっては微風と変わらない、とでも言う様に涼しい顔をしていた。
プリシエラは糸目から、僅かにその瞳を覗かせる。
「…………相変わらずせっかちな人だ。少しは私との会話を楽しみましょうよ。しかしまぁ、イラついてしまうお気持ちも分かります。S級への昇格の件は、本当に残念でしたねぇ。正面からの地下迷宮の攻略に加えて、S級の魔物擬〈ノンスター〉を討ち倒してA級のままとは、あのギルド長も見る目がない」
プリシエラはやれやれ、とでも言うようなジェスチャーをしながら首を振る。
実際、迷宮攻略に対する報酬は、あまりに釣り合わないものだった。それこそ迷宮探索の報酬に多少加算された程度であり、攻略に携わったメンバーからも不満の声も上がった。
しかしギルド長がその鋭い眼光だけで、その反発を一瞬にして黙らせたのだ。
迷宮攻略後、冒険者ギルドからのアーサーの信用は地に落ちていた。
本来迷宮『探索』の依頼〈クエスト〉であったのにも関わらず、勝手な判断で『攻略』作戦へと移行し犠牲者を出した。それだけに留まらず、B級ソロで活動している魔法使い『ケイシー』とB級冒険者パーティ『風の共縁者』に至っては迷宮攻略後、報酬すら受け取らずに姿をくらましている。
その現実が、冒険者アーサー・ベネットがいかに信用ならない人間であるかを露呈させたのだ。
アーサーの実力だけを鑑みれば、S級昇格も十分にあり得た。しかしギルド長は『国際魔物対策評議会』、通称『IMC』へアーサーのS級昇格を打診をすることはしなかった。
しかし『今のアーサー』は冒険者の階級等には執着していない。逆にS級という冒険者の頂点に位置してしまう事に、忌避感すら覚えていた。ただ決してその意思を表に出したりはしない。
地下迷宮にてアーサー・ベネットの肉体に入り込む事に成功した迷宮の王『魔素大百足〈スコルペンドラ・レックス〉』は、人間として振る舞う事にこの上なく慎重になっていた。
今のアーサーは最早アーサーではない。迷宮の王が外の世界で生きるための依代となっていたのだ。
本物のアーサーの意識は、既に無意識の底に沈んでいる。二度と浮上することはないが、完全に消えたわけではない。完全に彼の意識を上書いてしまえば、折角手に入れたアーサーの能力「超腕力」や、アーサーとしての記憶すら無くなってしまう。それは迷宮の王にとって、不都合極まりなかった。
プリシエラはアーサーの事情を知ってか知らぬか、いつもと変わらない胡散臭さで語り続ける。
「本当に困ったものですよねぇ。元々はユグコットルの大森林の異変を調査することが目的だったにもかかわらず、森を荒らした元凶の討伐依頼〈クエスト〉の情報が出た今も、後続承認の手続きを進めようともしないとは…………彼は頭が固すぎますね」
プリシエラはボソッと呟く。しかしそれこそ、今のアーサーにとっては重要な話だった。
ユグコットルの大森林を荒らした元凶の討伐。今回の迷宮攻略にて、その元凶が猫の魔物の仕業であることをアーサーは示した――事実は、迷宮の王が能力により赤小鬼〈ゴブリンロード〉を操り暴れていた影響であるのだが、迷宮の王が訂正しない限りこの事実が表に出ることはない。
アーサーに成り変わった迷宮の王としても、さっさとあの忌々しい猫にこの罪をなすり付け、あわよくばあの猫の肉体の略奪に動きたいと考えていた。この肉体で敵うか不安はあるものの、感じやすいあの猫を精神的に追い詰めることさえできれば、十二分にチャンスはあると踏んでいた。
アーサーの眉がピクリと反応して見せる。冒険者のアーサーとしての動きだけでは、あの猫を貶めるには手詰まりの状況ではあった。この男がもしも手を貸してくれるのならば、これ以上ないほど頼もしい。
「…………何か手がある、と?」
アーサーの食いつきに、プリシエラは口角を裂けんばかりに吊り上げた。その反応にアーサーは思わず眉を顰め、片頬をピクつかせ不快感を露わにした。
「えぇ実は私もあの魔物には興味がありましてねぇ! 『蠱毒の地下迷宮』を攻略したという野生の猫…………その脅威には私も早々に手を打つべきだと考えているのですがぁ、正式な依頼〈クエスト〉として事を運ぶのは、貴方の手札だけではほぼ不可能でしょう」
プリシエラはアーサーの反応を楽しむ様に、両肘をついてアーサーを覗き込む。その糸目から薄ら覗く瞳に、アーサーは更に不快感を滲ませた。
「あの猫が森を荒らしたという確固たる証拠もない。迷宮を攻略したというだけで、人間に被害があったわけではない。そして何よりも、太古からの自然遺産である『大聖樹〈ユグコットル〉』に手を出すなど、罰当たりも甚だしい。あの猫に手を出すにはもっと、それ相応の理由が必要になる」
プリシエラはごく当たり前のことを指摘する様に、アーサーへと言い放つ。以前までのアーサーならば、その高すぎる自尊心から眼前のグラスを叩き割り、剣を向けてやっていたかもしれない。
しかし今のアーサーは、冷静に現実を見れていた。アーサーはプリシエラに睨みを効かせながら、両腕を組む。暗に拒絶の意を示しつつ、牽制するにとどまった。
「…………貴様なら、もっと上手く事を運べると?」
「えぇ、はい。利害の一致というやつです。実はその猫には私も一杯食わされましてねぇ。私がずっと目をつけていた『玩具』を奪われてしまったのですよ。えぇ本当に不愉快な事にねぇぇ。そこで、私からちょっとした報復をしてやろうと思いましてねぇ。この事件、ご存知ですか?」
プリシエラは魔法空間に収納していた紙を取り出し、アーサーの眼前に散らばらせた。笑みは相変わらず崩さないが、苛ついているのか眉がピクピクと痙攣している。
アーサーは適当にその紙に目を通す。
「…………盗賊の馬車襲撃の件か」
その事件のことはアーサーも、噂程度に耳にしたことがあった。商人一家の乗り合わせた馬車が、盗賊の襲撃を受けた事件。ここ最近の森の荒れようを見て護衛もつけていた様だが、その対策も功を奏さず結局、生存者は一人もいなかったという。
アーサーは改めて紙を手に取りその詳細に目を通す。
そして思わず瞠目した。
そこには紛れもなく、あの馬車襲撃が『プリシエラの指導によって計画されたもの』であることが記載されていた。更に、襲撃の目的も暈されていない。能力者『ティナ・エイミス』を攫うために襲撃した、ということもはっきり書かれている。
アーサーは瞬時に思考を巡らせる。
これは何のために用意された書類なのか。そして何故こんな代物を躊躇いもなく見せたのか。
アーサーも自分が信用のおける人間とは思っていない。元のアーサーは自分の都合次第で、この男すら利用してやろうと言う精神を持っていた。良い取引相手であると思ってはいたが、仲間だとは思ったことはない。それはお互いにそうであると思っていた。
元のアーサーであったのならば、疑問に思うこともなかっただろう。しかし今のアーサーにとっては、不気味に思えてしかたがなかった。彼の違和感のある言動に、アーサーは密かに、背筋に冷たいものを覚えていた。
「この件、あんまり表沙汰にはしたくなかったんですがねぇ。襲撃に対する後処理も事前に取り決めてはいたのですがぁ、思わぬ横槍が入ってしまいまして…………欲しい『玩具』も手に入らず、大切な手駒も減らされて散々なのです」
「……何を心にも思ってない事を」
「まぁその代わりに、得られたこともあったので結果的には良かったんですがね。横槍を入れてくれた責任ぐらいは、取らせてあげないと気がすみませんよねぇ」
ドン引くアーサーを横目に、プリシエラは薄気味悪い笑い声を上げる。
しかしアーサーは目を眇めて、懐疑的な意思を露わにしていた。この事件をあの猫の仕業に仕立て上げるとして、解決しなければいけない大きな問題が残っていたのだ。
「……現場は魔法で荒らされていた。その証拠も残っているし、その事実も消しきれない程広まっているぞ。猫がやったと言うには、それこそ無茶だろう」
野生の猫が魔法なんて使えるわけがない。『事実がどうであれ』普通の人間はそう思う。
迷宮の王はあの猫が魔法を扱えることを知っている。そして仲間が魔毒に侵されただけで、迷宮の最奥まで潜り、魔石を奪う様なトチ狂った奴であることも知っている。だからこの襲撃についても、あの猫が横槍を入れたと言うことも、受け入れることはできた。
しかし今迷宮の王はアーサーとして振る舞う必要がある。この違和感を放っておくことは、眼前の奇妙な男に目をつけられかねないことだと、瞬時に理解した。
プリシエラは予想通りと言わんばかりに、笑みを深める。そしてまた、魔法空間から新しい一枚の紙を取り出した。その紙を見て、アーサーはその意図を全て理解した。
それは偽造された依頼〈クエスト〉の依頼書だった。
「もちろん『通常の依頼〈クエスト〉』としてならば、この事件の関連を示唆しても軽くあしらわれるだけでしょね………………しかし、もしもあの猫を殺さず無力化できたとしたらどうでしょうか? あの猫は確実に私の部下を手にかけている。そして確実に、その情報は『ステータス』に刻まれています。どれだけ奇妙な現実であろうとも、実物さえ手に入ればもはや関係ないのですよ」
「…………『裏依頼〈うらクエスト〉』か」
本来、A級以上の依頼〈クエスト〉は『国際魔物対策評議会〈IMC〉』の承認を必要とする。
主に『討伐が必要な魔物であるか』『依頼〈クエスト〉の脅威度は適切であるか』『報酬金について適切であるか』『討伐体制について適切であるか』を見定め、全て適正である判断された時に初めて依頼〈クエスト〉として冒険者ギルドへ降りるのだ。
一部例外として、緊急性の高い事例については、事後承認が認められるケースもあるのだが、それもギルド長からの代理承認が必要となるため、あまり推奨されるフローではない。
これもA級冒険者という、冒険者の中で一%程しか存在しない貴重な人材を使い潰さない様にするための取り決めである。
そして、その承認の流れを一切省いた脱法依頼――それが裏依頼〈うらクエスト〉である。
冒険者ギルドを通していないため、依頼主は主に資産の有り余る様な貴人からの依頼となる。通常の依頼〈クエスト〉と比べて、報酬は法外に高いがその分危険性も高く、バレれば確実に冒険者としての資格を失われる。
神妙な面持ちのアーサーに対して、プリシエラは仮面の様な薄気味悪い笑みを保ち続ける。
「あの猫が魔法まで使えるのかは、定かではありませんがぁ…………まぁあの『玩具』と出会ったのならば、会得していると考えて良いでしょう。例え会得してなくとも、あの豊富な技能ならば、もはや問題にはならないでしょうがね」
「…………貴様、あの猫の事をどこまで知っている?」
その瞬間プリシエラから笑みが消え、無表情な瞳がアーサーを射抜く。
「それはこちらのセリフなんですがねぇ? 貴方こそ迷宮の王の話を聞いただけで、直接出会ったわけではないのでしょう?」
踏み込んではいけないラインを踏み越えた事を、アーサーは瞬時に理解した。迷宮の王はあの猫と対峙していたために、奴の『技能の豊富さ』を知っていた。だからこそ、ほとんど反射的に聞き返してしまった。
言葉に詰まるアーサー。冷や汗を背に滲ませながら、誤魔化す様に威圧感を込めてプリシエラを睨みつける。
プリシエラはアーサーの視線に対して、一切怯むことはなかったが、何か諦めた様に大きく嘆息した。
「…………まぁ貴方の事情こそ私にはどうでも良い事。貴方はあの猫を捕獲し、晴れてS級冒険者の地位を得られる。そして私も、奪われた『玩具』とその猫が手に入れば何も文句はありません。悪い話ではないでしょう? もちろん、裏依頼〈うらクエスト〉の後処理は私の方で上手くやっておきますよ…………融通の効かないギルド長も、この際片付けてしまいましょう」
そして満足した様にプリシエラは席を立つ。
アーサーは振り向くことすらできなかった。
「…………決して殺さずに、持ち帰ってきてくださいね? さもないと、『玩具』になるのは貴方になってしまうかもしれませんよ? ではまた後日、詳細は追って知らせます」
プリシエラもアーサーの反応など見る気はなかった。アーサーは必ず、この猫討伐の話を受ける。そう確信していたし、アーサーがあの猫を討伐できるとは微塵も思っていなかった。
アーサーがあの猫の肉体を狙う様に、プリシエラも『今のアーサー』に目をつけていたのだ。あの猫の対処については、また『別の手段』を用意している。
酒場の外に出てプリシエラ一人薄ら笑いを浮かべた。暗闇に気味の悪い笑い声が響く。
これで全ての駒が配置に着いた。
数日後。この盤面が動き出すことなど、野生に生きる者達は知る由もなかった。
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