95. 心からの理解者 その②
レイのお母さんからの想いが私の心に染み渡る。
レイは決して、私を一人にしない――その言葉は咄嗟に出た慰めの言葉じゃない。レイのお母さんの輝く瞳はどこまでも真っ直ぐで、それが本心から出た意思なんだって私に確信させてくれた。その瞳の輝きは、私の心にかかっていた疑心暗鬼の靄をすっかり晴らしてくれた。
『ありがとうございます。レイのお母さんにそう言ってもらえると、とても心強いです…………でも』
レイのお母さんは静かに首を振る。私が何を思ってるのかは、言葉にしなくてもわかっているみたいだ。この鋭さ、流石はレイのお母さんだと思う。
レイが私を一人にしない、という事――それはつまり、レイがこの村を離れて、家族の元を離れて地上の世界で暮らすことを意味している。こんなに家族のことを想い、理解しているお母さんが、レイと離れ離れになることを心苦しく思わないわけないって、そう思っていた。
でもレイのお母さんは私のそんな心配に対して、穏やかな笑みを浮かべていた。
『気にしなくていいのよ。例え貴女と出会わなくても、あの子はこの村から巣立ったことでしょうから。母親としては、貴女が近くにいてくれる分、安心できるわ』
『そんな私なんて! いつもレイに助けられてばっかりで…………いえでもっ。もしレイが私と同じ道を選んでくれたら、その時は。期待に応えられる様に私、頑張ります……!』
私は咄嗟に思い直して、力強く宣言してみせた。
そしてゆっくりとした瞬きを返す。それは猫としての信頼の意。
私が弱気になっちゃダメだ。レイのお母さんは私を信じてくれてる。それなのに、私が不安な気持ちばっかり表に出してたら、レイのお母さんだって不安になってしまう。
今私ができる事。それは後ろを向いて不安がる事じゃない。自信がなくなっていい。先の未来に確証が持て無くたっていい。私がレイを支えられる様に、しっかりと前を向く。まずはそこから始めないと、足踏みしてても進むことはできない。
レイのお母さんは私の強がりを見透かしている様に、優しい笑みをさらに深めてくれた。
『ふふっ、その意気よ…………あの子、表面上は明るく振る舞って見せてるけど、とても心の弱い繊細な子だから。これからも大切にしてあげてね』
レイのお母さんは目を細めながら、私の顔にトンと額を擦り付けた。まるで私のことを本当の娘みたいに扱ってくれてるみたい。心も体も暖かくしてくれるレイのお母さんに、私は更に身を寄せる。フワフワした柔らかい身体。サラサラで肌触りのいい、濁りのない白色の毛並み。とても心地が良い。
『…………レイのあの暖かさだったり、賢いところはお母さん譲りでもあるんですね…………私もこれから、「お母さん」って…………呼んでも、いいですか?』
レイのお母さんは私の言葉に目を丸くした。でも直ぐに表情を緩めて、私の顔の瞳を見つめる。
そして、ゆっくりと瞬きを返してくれた。
『えぇ、もちろん。貴女がそう思ってくれたのなら、こんなに光栄な事はないわね…………でも、私から貴女に教えられる事は、きっとそんなに多くないと思う。だって貴女は、もう立派な一人の人間なんだもの。貴女のご両親もきっと、愛に溢れた素敵な人だったんでしょうね』
今でも思い出せる、私のお母さんとお父さん。今はもうこの世にはいない両親。その姿が、思い出が、私の脳裏にフラッシュバックする。
私の頬に涙が垂れる。少しでも気を抜くと、声を上げて泣き喚いてしまいそうになる。でも必死に抑えた。
この線が切れてしまったら、私はこの感情の濁流に流されて止められなくなる。せっかくレイ達が楽しんでるのに、私が泣いて心配させるわけにはいかない。
自分が今悲しいのか嬉しいのかも分からない。でも不思議と、不安な気持ちではなかった。
『……っありがとう…………ございますっ…………』
震えた言葉を返した私に、レイのお母さんは母親としての顔を向けてくれていた。そして私にそっと、顔を擦り付ける。まるで泣いてる子供を慰める様に。その仕草にまた、私の涙腺が緩んだ。
『私ももっと、貴女に見習われる母親にならないといけないわね…………レイが貴女に入れ込んでしまう気持ちもよく分かるわ。猫との付き合い方に関してだけは、ここままの貴女で居て欲しい。私もレイもかなり癖ありだから、そこだけはあんまり見習わないでね……』
『…………? そう、ですかね。お母さんと話していて、全然そうは思いませんけど…………レイも村の仲間達からすごい信頼されてて、そう言う対猫? 関係は上手くやってそうって思ってた』
私は止まらない涙を拭いながら、過去の出来事を思い返す。
以前――私の家を作るために、この村の猫達に声をかけた時の事。まだ村に馴染みのない人間の私の声かけに、この村の動ける猫達のほとんどは手を貸してくれた。それも全部レイの人望、ならぬ猫望あってのことだった。
それにレイと村を歩いていても、みんな気さくに話しかけてくれる。逆にレイの方が一部の猫達に、苦手意識を持ってるのは確かだけど。でも合う合わないはどうしてもあるものだし、お母さんが問題に思う様なことはないと感じる。
お母さんは私に頭を擦るのをやめて、遠くで遊ぶレイ達に視線を移した。その視線には哀愁すら漂っていた。
『それはまぁレイと一緒に村を回っていれば、そう思うのも無理はないわね。あの子もあの子で、色々と大変なのよ…………あの子の年齢は知ってる?』
『は、はい。信じ難いですけど…………五歳、なんですよね、まだ』
そう、レイは私よりもずっと年下。それなのにレイは私の知らないことをいっぱい知っている。それに頭の回転だって、人間の大人顔負けぐらいに早い思う。それも全部、能力「上感覚」のおかげだと――レイが抱える秘密を打ち明けてもらうまでは――そう思う事にしてる。
お母さんは相変わらず遠い目をしながら、レイのことを眺めていた。
『えぇ、私も驚いたものよ。一歳にも満たない子猫が『ステータス』を使ったり。遊び感覚で空蜂〈スカイビー〉を狩ったりね』
『空蜂〈スカイビー〉ってあの、『復讐蜂』ですよね? こ、この村大丈夫だったんですか?』
あまりの事に思わず涙すら引っ込む。
空蜂〈スカイビー〉という魔物は私でも知ってる。こちらから手を出さなければ危害は加えてこないし、単体であればあまり強くない。
でもこの蜂の恐ろしいところは、単体の強さじゃない。集団としての強さだって言う。
この蜂は『仲間に危害を加えられた時、周囲にいる同族が一斉に、その危害を加えた対象を死ぬまで追い続ける』という性質を持ってる。私はその光景を見たことはないけど。曰く、数千数万もの蜂達が雲の様に空を覆い、まるで黒い滝の様に地上に降り注ぐと言う。
そんな蜂をレイはたった一歳で手を出してしまったという。レイならきっと、その辺のことは感覚で分かっていそうだけど、どうしても心配になってしまった。
お母さんは私に視線を戻すと、少し困った様な顔で軽く嘆息した。
『えぇ。あの子、あの時空蜂〈スカイビー〉の性質も理解した上で仕留めたとは言ってたけど…………今思えば、絶対仕留めた後にあの性質に気がついたんでしょうね。でも、この村は族長様の能力で守られているから、これと言った問題はなかったけど』
族長様の能力は「固有加護」。この村に族長様は結界を張っていると言っていたし、そのおかげだったのだろう。族長様がいてくれてほんとうに良かった。過去のことながら、私はそっと胸を撫で下ろす。
それに今の話を聞いて、お母さんが私をレイの近くに置いておきたいと思う理由も、なんとなく分かった気がする。
お母さんは深く目を瞑ったかと思うと、ゆっくりとまた子供達へと視線を流した。
『そして地上に降りる様になってからはとんとん拍子で成長していったわね。正に、またたびを得た猫の如くね…………私もそれなりに子猫を見てきたけど、ここまですごい子には会ったことがないわ。順当に育てば、獣国の頂点にすら立てると思う』
その言葉には希望が込められている反面、お母さんの表情には徐々に影が差していた。
そしてお母さんは少しだけ眉を顰めて、語り続けた。
『でも、そんなあの子の成長に目鯨を立てる仲間もいないわけじゃなかったの。悲しいけれど当然よね…………持って生まれた「能力」があって、切込隊長の血を引いていて優遇もされる。能力を持たない猫にとって、こんな疎ましい存在はなかったでしょうね。これまで積み重ねて来た努力を、たった五歳の子猫に否定されてしまうのだから…………それで以前、大きな揉め事を起こしたりもしてね』
『…………レイなら確かに。正面からぶつかっちゃいそうですね』
私から見たレイはとても優しいし賢い。でもそれと同じぐらい、頑固な一面があるのも知ってる。レイは同族――というより猫のことが大好きだから、ある程度この村の仲間から反発を受けても耐えると思う。でも、もしも一線を越えてしまったとしたら、レイは絶対に引かないし、徹底的に叩きのめすと思う。私もこの世界の全ては知らないけど、レイほど怒らせたら怖い猫はいないと思ってる。
お母さんはなんとなく察した私の顔を見て、深く頷いた。
『ええ。けれどこの村では仲間間での決闘は禁止されてるから、最終的には狩りでの勝負となったわ。レイ一匹に対して、レイに嫌悪を抱いていた大人の猫五匹。レイが挑発に乗って獲物の数と質で勝負したんだけど…………』
『その勝負を挑んだ猫さんがどれぐらい強いかは分からないですけど、レイが勝っちゃったんですね』
お母さんの歯切れの悪さからなんとなく、結末まで察してしまった。確かにレイの能力なら、全然あり得る話だ。それもきっと自分の身を削りに削って、相当無理をしたことだろう。
お母さんは今度は二度、深く頷いてみせて、過去のことながら大きな嘆息を漏らしていた。
『ええ。それも圧倒的な差をつけてね。普段狩っている牙大蛇〈ファングスネーク〉に尖爪烏〈クローレイブン〉。そして、この村の戦士長の黒ですら手こずると言わしめる血飢熊〈ブラッディベア〉に黒突猪〈ブラックラッシュボア〉まで狩ってね。レイは技能『食貯蓄』で獲物を体に溜め込んで、この村に持ち帰ってきたわ。ご想像の通り、体も傷だらけでね…………そして、勝負を仕掛けてきた仲間に、こう言い放ってみせたわ――』
***
『僕の生まれが恵まれてるのは、その通りだよ。でもだからこそ僕はっ、この万能な能力に見劣りしないようにっ、能力を制御できる様に努力もしてっ…………この村の戦士として早く役に立てる様に必死に頑張ってきたんだっ! その成果が、今ここに転がる獲物だっ!! …………僕に恨み言ぶつけてる暇があるなら、少しは自分を磨きなよっ。仲間達を守るのが、僕達戦士の役割なんじゃないの!? どうしてッ…………仲間同士なのに、こんなくだらないことで争わなきゃいけないんだ。どうかしてるよっ…………』
***
『…………それっきり、その猫達に対してはだけ、あの子から会いに行く事は一切なくなったわ。まぁ彼らも今では会心して、レイへの贖罪もかねて今もお詫びとか色々しようとしてるみたいだけど…………あとは貴女の知っての通りかしらね』
合点がいった。猫であり、猫好きであるレイが苦手としてる猫。それはこれまでレイに突っかかってしまった猫達、ということみたいだ。
それにレイが狩りに出る時、基本的には固定のメンバーで行くと言ってことにも、何となくだけど納得した。
レイの狩りの実力を見て、心が折れないでいられると踏んだのが、『レイのお父さん』と『黒の戦士長さん』と『豹のお兄さん』と『灰のお兄さん』だけだったんだろう。それ以外の戦士達は、レイの実力を目の当たりにしてしまったら、心が折れてしまうか、レイに嫉妬して危険なことをしかねないから。レイだけのためじゃなく、他の戦士達への配慮でもあったんだろう。
レイの気持ちを考えると、心が苦しくなる。レイはきっと鋭い感情で、この配慮にも気がついている。そして必死に気が付かない様にしてる。
それにレイの心からの叫びは、私の過去の姿と重なるところもあった。私は締め付けられる胸の痛みを抑え込む様に、ぎゅっと胸の前で拳を握りしめた。
『…………能力だけに目を向けられて、自分の事を見てくれないのは、寂しいですから。レイの能力「上感覚」は便利な能力ですけど、その分問題も多いんです…………いろんな音とか臭いとかに過敏になったり。制御できる様になるまで、本当に辛い思いばっかりだったと思うんです。ずっと夜も寝れないで、食事だって…………それで努力を積み重ねて、やっと制御のやり方を覚えて、大人についていけるようになって…………それでレイの大好きな仲間達に、褒めてもらいたかったのに…………』
レイの気持ちを考えると、言葉に詰まってしまう。もちろん、みんながレイを羨む気持ちもわかる。最初は悪意なんかじゃなかったんだと思う。
レイならきっと、『自分の能力のせいで仲間を狂わせた』と責任を感じててもおかしくない。だからこそ、改心して詫びようとしてくれる仲間に対して、どう接したらいいか分からなくなってるんだ。
ただ万能すぎる能力を持って生まれてきただけなのに、こんな現実あんまりだ。
そう気が沈む私を見てお母さんは少しの間固まっていたけど、ふと表情を緩めて和やかに笑った。
『…………レイがどうして貴女の傍にいるのか。分かった気がするわ』
『…………え?』
『いえ。あの子はちゃんと貴女を見ているし、貴女もちゃんとあの子のことを見てくれてる。自信を持って。貴女は今のレイを見てあげてくれれば、それで大丈夫だから』
お母さんはゆったりした動きで腰を上げる。そのままゆっくりと両手を伸ばして伸びをした。その姿はやっぱり、大きな猫そのものだった。
『ほら。そんなことよりもう戻ってあげて。レイの体力で遊んであげてたら、みんなへばっちゃうから』
唖然とする私に、そっとお座りをして子供達へと視線を流す。私もモフモフなお母さんの身体に包まれてじっくり休んだおかげで、聖級魔法の反動はもう回復していた。
確かにレイは元気があり余りすぎてるから、今日はそろそろ他の家の子達のところに出向いてもいいかもしれない。
『はい。そうですね。わかりました。それに、今日はありがとうございます』
私は腰を上げて、猫じゃらしで戯れ合うレイ達の元へと駆け寄る。
みんな私に気がついて一斉に視線を向けたけど、レイが一番乗りですぐさま駆け寄ってきた。それで、少し目元が腫れてる私を心配する様に言葉をかけてくれた。
いつもの優しいレイ。それに他のみんなも私を心配そうに、私の顔を覗き込んでくれていた。
私は笑って大丈夫だって伝える。笑顔も言葉も嘘じゃない。レイは少し訝しげにしながらも、心の晴れた私の様子に気がついてか、チラッとお母さんに視線を流していた。
私はそんなレイの頭を優しく撫でてあげる。ピンと張る尻尾とゴロゴロと鳴る喉。私は腰を下ろして、みんなを撫でた。レイ含めて五きょうだい。ちょっと手が足りないけど、忙しなくそれぞれの子を撫でていく。
遊び疲れた子達とレイは、私の足元にコテンと倒れ込む。
お母さんから最後に言われた、今のレイを見てあげてほしいって言葉の意味は、すぐに理解できた。
そうだ、今のレイはこんなにも幸せそうにしてる。それなのに私が過去に縛られて掘り返してしまったら元も子もない。
私は青空を見上げ、深く息を吸って吐く。
陽は相変わらず高い。私は目を細めて、額に手の甲を当て日差しを遮った。
お父さん、お母さん。私今、とっても幸せだよ。
私を想ってくれる猫達に囲まれて、魔法のことだって好きになれた。これも全部、お父さんとお母さんが守ってくれたから。私の命を繋いでくれたからだよ。
「私、これからも頑張るね」
天を見上げて青空に呟く。
これからの私たちの幸せを願って。そしてこの村の猫達の幸せが、いつまでも続くことを願って。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!




