94. 心からの理解者 その①
窓から溢れる暖かな陽射しを浴びて、私はゆっくりと瞼を開ける。フカフカなベットに寝そべる私の懐には、猫姿のレイが丸まっていた。耳を擽る安らかな寝息に、自然と私の顔も緩む。
上体は起こさない。柔らかくてもふもふのレイの体を囲う様に、そっと片腕だけ添わせる。撫でたい気持ちを必死に抑え込んで、私は窓から覗く青空へと視線を移した。
雲一つない快晴。聞こえてくるのは子猫の寝息と、風に揺れる葉音だけ。気を抜いたらまた意識を手放してしまいそう。
何にも急かされない、化猫の村での生活。私は今の生活に不満はなかった。能力だけじゃなくて、私のことを見てくれる優しい猫達がいて、私の心に寄り添ってくれるレイもいる。生活するための家だってある。
この村には私の居場所がある。私はこの村で一生を過ごすんだと、昨日までは漠然と考えていた。
思い返すのは、族長様と交わした将来の話。
正直今日あった話、全部は理解できてないと思う。でもレイも族長様も、この村で私が一生を過ごすのはあんまり好ましくないと思っている様だった。
確かに私はこの猫の村の唯一の人間。私の食べ物は豹のお兄さんに調達してもらってる。何もないところから食べ物は出てこない。衣服だって一生同じものを着られるわけじゃない。
この村での私の生活は、多くの猫達の親切の上に成り立ってる。レイも族長様もそう言う意味で言ってたわけじゃないと思うけど、私に希望を与えてくれた猫達に、あまり苦労はかけたくない。
けれど私の中にある不安が、私の判断を鈍らせる。
私が人の町に降りる選択をした時、レイは私に着いてきてくれるのか。その不安は、私を眠りへと誘う事を拒ませた。
***
レイは間も無くして目を覚ました。起こさない様にじっとしていたけど、レイの感覚は寝てても鋭いみたい。私は起こしてしまった申し訳なさを感じながらも、手癖でレイの顎を摩る様に撫でる。レイはウトウトしながらも、首を伸ばして私の手を受け入れる姿勢を整えた。素直にかわいい。
それから私達は、レイの家族の元に向かうことにした。
レイの弟妹達は私達に気がつくと、すぐに駆け寄って来た。特に、三毛猫のハレちゃんと白黒猫のソル君は目を爛々と輝かせて、私達の周りを尻尾を立てながらスリスリと身を擦り寄せてくれる。いつも通りの元気の良さに、思わず私も笑みが溢れる。
後はもう、なすがまま。
私は用意していたレイ特製の紐状の猫じゃらしを取り出す。魔法に関する理解もかなり深まったし、今日はいろんな魔法を使ってじゃらしてあげよう。
そう思ってたけど、現実は思っていたよりうまくいかない。今日使った聖級魔法が尾を引いたみたいで、簡単な魔法を使っただけで私の方が先にバテてしまった。
結局、私はレイのお母さんの元でゆっくり休むことになった。逸早く私の疲労に気がついたレイが、今は代わりに弟妹達と遊んでいた。
私は遠目で、駆け回るみんなを眺める。
『……こう見ると、レイも普通の子猫ですね』
私は少し羨ましく思いながら、そっとレイのお母さんへ向けて呟く。もちろん翻訳の魔法はかけているし、この魔法の維持ぐらいなら疲れていても、ほとんど消耗はない。
レイは時折、技能『空蹴り』を使いつつ、縦横無尽に駆け回っている。自らの尻尾をピクピクと動かし上手くみんなを引きつけて、体にくくりつけた紐状の猫じゃらしを蛇の様に揺蕩わせ、四匹まとめてじゃらしていた。流石のじゃらしテクニックだ。
そして何より、みんなのストレスにならない様に、たまにわざと捕まってあげている様にも見える。こう言う細やかな気遣いに、兄としてのレイの優しさを感じる。
レイのお母さんは私の呟きに、優しく目を細めた。
『ええそうね。普段は賢く見えるけど、こうやって遊んでる時と寝てる時だけは、他の子と変わらないわね』
目の前ではしゃぐ子供達とは相反して、ゆったりとした様子でレイのお母さんはみんなを眺めていた。
お母さんが子供に向ける優しい眼差しは、種族が違っても変わらないみたい。私のお母さんとも重なるその姿に、懐かしさと少しの寂しさを覚える。
そして同時に、ここ最近のレイとの生活を思い返して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
『…………あの、ごめんなさい。最近レイとの時間を奪っちゃって。ご飯時とか、寝る時とか』
そう俯く私にレイのお母さんは、私の頭に頭をコツンと当てて、私に顔を上げさせる。レイのお母さんは私に対しても、あの暖かな眼差しを向けてくれていた。
『いいのよ。貴女もこの村で一人で眠るのは寂しいでしょう? それに、あの子は好きで貴女の傍にいるんだもの。私の我儘で傍には置けないわ』
どこまでも穏やかで優しいレイのお母さん。私に対しても、他の子供と同じ様に接してくれてる。レイの勇敢さは父親譲りなんだと思ってるけど、レイの優しいところはお母さん譲りなんだろうって心から思う。
ただそれでも、今の私の心の影は晴れきらなかった。レイのお母さんはこう伝えてくれてるけど、私の心に残る不安な思いがどうしても、素直に受け入れさせてくれない。
『…………レイは、好きで私の傍にいてくれてるんですかね』
『?』
キョトンとした顔を浮かべ、小首をかしげるレイのお母さん。私が疑心暗鬼になってるだけ、って言うのは自覚してる。でも、レイのお母さんには吐き出しておきたかった。
両膝を抱えて座る私の腕に、ギュッと力が入る。
『偶にですけど、怖くなるんです。レイの、純粋な優しさが…………レイが私に尽くしてくれるのは、私をこの村に連れて来た、責任からなんじゃないかって――いえ分かってるんです。レイは絶対にそんなつもりないって言う。それでも、レイは私のことわかってくれてるのに、私はレイのこと全然わかってあげられてなくて…………それが不安で』
レイは私の事をなんでも分かってくれている。それに比べて私は、レイの事を分かってあげられてると、自信をもって言えない。ただレイが撫でられて喜ぶツボを分かってあげられてるぐらい。ただそれだけ。
レイは私に、何かを隠そうとしてる。私にはそれが何なのかは分からないし、レイが言いたがらないなら無理に聞くのも違うと思ってる。
でも今の私の心には、その小さな違和感が大きな影となってしまっていた。
レイのお母さんは私の意思に一瞬だけ固まると、ふと立ち上がった。何かと思ってレイのお母さんを見上げたけど、レイのお母さんは私を包み込む様に伏せ直した。レイよりも大きくてもふもふで柔らかい体。レイのお母さんは普通の猫よりも格段に大きい。それこそ虎や獅子と同じぐらいの大きさはある。
それでも威圧感を感じないのは、このフワフワな体と優しさの賜物なんだと思う。
レイのお母さんはゆったりした動きで、目の前で駆け回る子供達へと視線を流した。
『そんな気に病むことなんてないわよ。母親の私が保証します。あの子はただのお情けだけで動く様な猫じゃない。だってあの子は、私とお父さんの子なんだもの』
『それって……?』
確信を持って告げるレイのお母さんに、私は小首を傾げる。レイをずっと近くで支えて来たお母さん。レイと一緒にいた時間は、私なんかとは比べ物にならない。
私の救いを求める様な視線を感じたレイのお母さんは、静かに淡々と語り始めた。
『確かに、あの子は感情の能力もあって、私たちでは理解出来ないことに悩んだり、鋭い感性を抑えるための理性も相応に育っていて、猫並み以上の責任感を持ってる子でもある…………貴女の境遇を知って、少しのお情けもないとは言えないけど、それでもあの子は惰性や義務感だけで他者へ尽くし続けたりはしないわ。特に貴女みたいな、すぐ独り立ちできてしまう様な、心の強い子にはね』
レイのお母さんの瞳には、強い光がこもっていた。希望と信頼のこもった様な瞳。その力強い瞳に、レイの面影が重なって見える。
『あの子の原動力――それは、貴女の幸せそうな姿。仲間が幸せでいることこそ、あの子の幸せなのよ。貴女が笑っている時なんて、特に嬉しそうにするのよ? ちょっと嫉妬しちゃうぐらい』
レイのお母さんは冗談を言う様に私に意思を伝えて、私を横目で一瞥した。私の幸せがレイの幸せ――この村のみんなの幸せこそレイの幸せ。それは私のことを仲間だって認めてくれてる証でもあるし、喜ばしいことだ。
でもそうだとしたら、レイはこの村を離れる様な選択をするんだろうか。また少し私の心に少しの陰が差し込む。
レイのお母さんは私の少しの変化に気がついた様だけど、特に気にする事もなく語り続けた。
『若い頃の――いえ、今もかしらね。あの父親とおんなじなのよね。仲間がよければそれでいい。自分なんてどうなっても良いとすら思ってる。お父さんも元々は戦いなんて得意じゃなかったのに、今では切込隊長やってるんだから、本当に似たもの親子よね』
『で、でも。それでレイが喜んでるのって――』
『いいえ、あの子は心から貴女のことを好いているわよ。間違いなくね。好きな相手とは一時だって離れたくはないし、苦手な相手なんて目端にも入れたくない。気に入らない相手が近くにいたら喉を鳴らすことも避けるし、尻尾を小刻みに振るわせたりなんてもっての他………貴女もあの子のプライドの高さは知ってるでしょ? レイや私がこの村でどう立ち回ってるのか気になるなら、黒の戦士長に聞くと分かりやすいかもしれないわね。まぁ、あの黒が私の事を素直に答えてくれるかは、分からないけど』
レイのお母さんは珍しく黒い笑みを浮かべていた。今語ったことはレイの性格、というよりもお母さんの性格なんだろうけど、レイのお母さん。黒猫の戦士長さんと昔何かあったのかな。黒猫の戦士長さんともよく話す機会はあるから、今度あったらちょっと聞いてみてもいいかもしれない。
でも、レイのプライドの高さには思い当たるところは多くあった。レイは家族の前で撫でると少しだけ嫌がるし、苦手な相手がいる時の尻尾の挙動なんてとても分かりやすい。ちょっと相手の猫さんが可哀想だと思うぐらいに。
でも確かにそう思うと、レイは私の前ではかなり素でいる事が多い気がする。少し背伸びしたがりなところはあるけど、二人きりの時はいつも機嫌良くしてくれる。思い返して浮かぶレイは、いつも幸せそうな笑顔だった。
その時、私の心の視界が広がった気がした。
そうだ。こんなこと私一人で悩んでても仕方ないことだし、一番大切なのは私がどうして欲しいかじゃない――レイがどうしたいかだ。それはレイが決めることで、私が決めることじゃない。
レイがみんなの幸せを願うのなら、私はレイの幸せを願ってあげたい。レイの生き方を私の我儘だけで、強制はしちゃいけない。
レイのお母さんは、私の決意を感じ取ったみたいで、私にゆっくりと瞬きをしてくれた。それは紛れもない、猫としての信頼の意。
『色んなことがあって不安になる気持ちはわかるけれど。あの子の気持ち、素直に受け取ってあげてほしいわ。何も心配しなくても大丈夫よ。あの子は絶対に、貴女を一人になんてしないから』
レイのお母さんは私の心を見透かす様に、光のこもったあの瞳で私に告げる。その心強い光は私の心を、雲一つない今の青空の様に、晴らしてくれた様な気がした。
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