109. その鳥は怪しく微笑む
もしも今日という日をやり直せたとしても、私はきっと同じ選択をしたと思う。
私はうつ伏せに倒れる男性の背中に手を当てながら、直にその魂へと私の魔力を差し込んでいく。多くの人と魔物の犠牲によって造られたであろうその男性の魂は、今にも壊れてしまいそうな状態にあった。それこそ、私たちが手を加えなくてもこの人は一日も生きられないってことが、私の魔力から伝わってくる。
私は全神経を集中させて、そのぐちゃぐちゃな魂を個としての魂へと切り分けていく。
今度こそレイの期待に応えたい。ただその一心だった。
きっとこんな芸当、本来はとても繊細な魔力操作の技術が求められる事なんだと思う。魂の切り分けなんて、普通の生きてたら絶対に身につけることのない技術だ。身体で言えば、心臓と変わらない様な部位を、生きたまま弄るようなもの。一つのミスで、全てが崩れてしまう。
でも例え、私がこの魔力操作を誤ってしまっても、正しく行えたとしても、この男性の辿る末路は変わらない。ただこの世から綺麗な形で去れるかどうかの差しかないんだと思う。
はっきり私の人生を滅茶苦茶にした仲間も一員であるこの男の人に対しては、何も思うことはない。私から家族を奪った挙句に、レイすら奪おうとしたこの男の人がどうなっても、そんなの自業自得だ。自分でも冷たいって思うけど、私からそんな心の余裕を消し去ったのも、この人たちなのだ。
そして、こんな酷いことをする人たちに魂を悪用されている子供の魂を救いたいっていうレイの気持ちは、心から共感できた。その手助けができるなら、私はこの能力「魔導者」を存分に発揮してあげたい。
きっと気持ちの問題でしかない。
それでも、何の罪もない子供が大人の理不尽に振り回されて、苦しみの中で亡くなる現実を私は許したくはなかった。
そして何の問題も起きることもなく、私たちはその魂を切り分け終えた。
大男の身体から、切り分けた魂が抜け出していく。まず最初に抜け出てきたのは、この男の人自身の魂。だけどその魂は天へと昇ることもなく、レイの身体へと吸収されててしまった。レイも今の戦いでかなり消耗してる様に見えたから、その補充のため——というのもあるだろうけど、レイの険しい顔を見る限り、今まで散々してくれたこの男への罰、みたいなところもありそう。
もちろんそれは、自分の命を危機に陥れたこともそうだし、私に酷い事をしてきたことも含めて、だと思う。
そして次に、この事件とは何のつながりもない、何の罪もない男の子の魂が、男の人の身体から煙の様に抜け出した。
その煙は徐々に、人の形を模る様に形を変えた。表情までは分からない。でも、なんとなく彼が消える直前に、お礼を言ってくれた様な気がした。レイの感覚と繋がってる今、きっとこれは気のせいなんかじゃないと思う。
私はそんな彼を魔法を使って見送った。レイによく使ってる、精神を落ち着かせる魔法を使って。身体を失い魂だけになったその子に、私ができる弔いはそれぐらいしかなかった。
その子の魂は、空に溶け込む様に消えていった。私はあの子のことは何も知らない。それでも、心に穴が空いた様な喪失感に襲われる。
私自身、あの子に対しては思うところもあったから。
もし私がレイと出会えてなかったら、私もこの子みたいになっていたのかな。
私はここで何があったのか、『断片的なことしか見えなかったから』、全てを理解してるわけじゃない。ただあの子が、全ての痛みを肩代わりさせられたり、レイが手出しできない様に人質みたいに利用されたことだけは知ってる。
もしもあの日、あのまま帝国の人たちに攫われていたら、私が犠牲になるだけで済んだんだろうか。それであの男の子は、こんな目に遭わずに済んだのかな。
そんなことを考えると、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。
私はピクリとも動かなくなった男性の背に手を当てながら、深く息を吐く。
ついさっきまでバタバタと抵抗していた襲撃者の鼓動は、完全に止まっていた。呼吸の音も聞こえない。
これが私たちのできる最善だった。レイの持つ技能でも、私の持つ魔法でも、族長様の加護でも、これ以上の手立てはなかった。レイの言う「襲撃者の人格」の人を見逃すことも、私たちの首を絞めることも分かってた。少しでも情けをかけたら、あの時のレイみたいに付け込まれることは分かりきってた。
正しいことをした。何の間違いもなかった。
そのはずなのに、私は身体は震えてしかたなかった。私の手で、人を殺した。その事実を受け止めるのが怖かった。
私はギュッと目を閉じて、頬を強くパンと叩いた。
頬が赤く染まり、ジンジンと痛みが広がっていく。
今は震えてるだけじゃダメ。今ここで立ち止まってる暇なんてない。あの男の人が放った炎は、今も森を燃やし続けている。
私は結局、転移をやり遂げられなかった。今もゴブリンの縄張りには、転移できなかった仲間たちが取り残されてるんだ。火の手が広がり続けてる今、悠長にしていられる状況じゃない。
私はレイの期待を裏切ってしまった。しかもわざわざこんな危険な場所に出向く様な真似までしてしまった。それは紛れもなく、レイを信頼しきれなかった表れでしかない。
こんな事をしたのだから、レイに嫌われたって仕方ないって思う。
でもそんな覚悟は、ここに来ると決意した時からしていた。私はレイに嫌われるよりも、私が生きることよりも、レイに生きて欲しかった。
転移できず残ってしまった猫たちも、私のことを快く見送ってくれた。そして必ず戻るって約束もしたんだ。
まだ希望は潰えてない。魔力はもう残り少なくなってしまったけど、全て諦めるには早いはず。
私は、どうしようもないぐらい人生に絶望したことがある。生きる居場所をなくして、頼りになる家族も失って、残ったのはこの身一つだけ。あの時私は、この人生をこの手で閉ざそうとした。
でもそんな私に、レイは光を示してくれた。
どんなに目の前が暗くて先が見えなくても、諦めたらもう光があるのかも分からなくなってしまう。だから私は、絶対に立ち止まらない。レイがあの時、私に光を示してくれたように、今度は私がレイの光になってみせるんだ。
そして大男の身体から、じんわりと抜け出す白色の魂。その魂はさっきの男の子の様に人の形を模ることはなく、何故か私の身体へと流れて染み込んでしまった。吸収するつもりもなかったけど、魂の方から私を求める様に馴染んでしまったのだ。
おかげで少し魔力も回復したけど、気持ちとしては少し複雑。そもそも光属性を扱える魂は、元はどんな人だったんだろうか。
いや、今はそんな事を考えてる時間はない。
私は大男の人の背から手を離して腰を上げた。そして空を見上げ続けるレイの横にそっと寄り添う。
レイはなぜか空を睨んだまま動かない。脅威はこれで無くなったはずなのに、レイの尻尾はへの字型に曲がったまま。その尻尾は間違いなく、不安の現れだ。
私は唾を飲んで、おそるおそるレイへと声をかけた。
「レイッ。危険な真似して、ごめんなさい。それに転移も失敗して、魔力もそんなに残ってなくて…………でも今はみんなのところにっ」
勇気を振り絞ってレイの肩に触れる。けれどレイは私に顔を向けてもくれなかった。
でもそこで、私はレイの異変に気がつけた。
レイの身体は、ほんの少し震えていた。
私はレイみたいに、感情を詳しく読み取る能力はない。それでもレイとの付き合いは長いつもりだ。だからレイが今、どんな気持ちを抱いてるのかも何となくわかる。
レイは今、何かに怯えてる。
「…………レイ?」
「ティナ、ごめん…………まだ終わってない、かもしれない。僕の後ろに下がって」
レイはその視線は空に向けたまま、横に立つ私に手を添えて後ろへと移動させた。
その時、空からゆっくりと一匹の鳥が舞い降りた。どこにでもいる様な黒色の鳥。たぶん魔物でもない。赤い瞳が特徴的な純種〈ピュア〉の烏だ。
でもその烏に私の魔力を触れさせて、レイが怯えてる理由を全て理解した。
その身に潜む圧倒的な魔力量。それこそ加護の効果を解いた族長様より、ずっと多い。しかもこの魔力は闇属性の性質を持ってる。魔物じゃない、ただの鳥のはずなのに。
そして何より恐ろしいのは、こんな魔力量を身体に秘めておきながら、全くそれを外へ漏らさない魔力操作技術。もしかすると、力を抑制させる様な、魔法に特化した能力でもあるのかもしれない。
でもその烏は、私たちを攻撃する意思はないとでも言うかのように、ゆったりした動きのまま焼けこげた木へと足をつけた。
『実に素晴らしい。敵意が感じとれなければ下手に手は出さず。何より反射的に今の私に攻撃を仕掛けなかったのも、とても評価できますね』
その烏は悠然とした態度で、嘴で自身の羽を毛繕いをしていた。
今のは烏が実際に言葉を発したわけじゃない。そしてこの烏自身の意思でもない。
おそらく遠隔から魔法か技能かなにかで、この烏から言葉を流しているみたいだ。
レイは更にその尻尾を膨らませて、更に眉根を寄せて警戒を強めていた。
「…………帝国からの新たな刺客、ってわけじゃないよね。何者? お前」
レイからの言葉に烏は毛繕いをやめて、その片翼で口元を隠した。
たぶんレイのこの様子から、この烏はずっとこの森を飛んでいたんだろう。それでレイとさっきの男の戦いも見ていた。
レイとあの男性との戦いを見ておきながら、こんな余裕な態度をしてるところ、この膨大な魔力量に似合って、その実力も相当のものなんだろう。
私も危機感を覚えて、そっとレイの背に身を寄せた。
『ふふふっ、そうピリピリしないでください。貴方が感じている通り、私は貴方たちと敵対する気はありませんから。ただ可愛らしい猫さんと、魔法の得意な女の子とお喋りをしにきただけ。本当にそれだけです』
「借り物の姿で現れておいて、そんな言葉を信じろと?」
『誰にも見せられない、見せたくない顔というのは皆持っているものですよ。ただ、この身体はどうか傷つけないでいただければ。とても可愛がっている子なので』
この身体が本体じゃないことは、そもそも隠す気もなかったみたいだ。レイからの言葉にも、余裕な態度は全く崩れない。その烏は、この身体を慈しむような瞳を、自身へと向けていた。
私も人の言葉から人の気持ちを読み取るのは上手い方だって思ってたけど、今のところこの烏から敵意や悪意みたいなものは感じ取れない。
レイもたぶん同じみたいで、この烏に対してどう出たらいいか掴めず、困惑してるのが近くでよく伝わってくる。
「怪我させたくないのならまず僕の質問に答えろ。僕も不用意に人のペットを傷つけたくはない」
『……そうですね、分かりました。ひとまずは『人類側ではない』、とだけは言っておきましょう。しかし。分かっていたとはいえ小動物から警戒されるのは、少々心にきますね。これまで動物には好かれる体質ではあったので…………なんて、無駄話をしている暇もありませんよね? 状況は全て分かっています』
次の瞬間、その烏の目の前に魔法陣が現れる。
でも攻撃性は感じない。たぶん無属性の魔法で、結界術みたいなものだと思う。もしもこの結界に魔物を弱体化させる効果があれば、すぐにでも阻止したところだけど、魔法陣を見たところそんな効果はない様に思えた。
レイも私と同じ見解なのか、一瞬、魔法陣に警戒した様子を見せたけど、その烏へ攻撃を仕掛けはしなかった。
そしてレイは横目で私を一瞥する。私はレイの視線に困惑しながらも一つ頷いてみせた。今のところ、私もこの烏が何をしたいのかよく分からない。でも、攻撃する意思がないことだけは確かだと思う。
私達の目の前で余裕綽々な態度を崩さないその烏は、その片翼を魔法陣へとかざした。
『どこぞの帝国の野蛮人が森に炎を放ってくれたでしょう? もしユグコットルにでも燃え移っては、それこそ取り返しがつかなくなりますから。貴方であれば『吸魔』で応急措置はできたでしょうが…………余計な考慮を考えるよりも、こちらの方がずっと簡易でしょう?』
そして次の瞬間、この森をとても大きな結界が覆った。
やっぱり魔物を弱体化させる様な効果はない。火属性に対して強い結界で、外から見えなくする隠密の効果も持ってる。結界の強度はとても強力で、たぶん覚級魔法ぐらいならびくともしないだろう。
レイもその結界を見上げたけど、尻尾のへの字は今の変わらない。やっぱりこの『人類側じゃない烏』は、私たちをどうにかする気はないように思える。
でもだからと言って、本当にお喋りしに来ただけ、なんて思えない。絶対何か裏があって、私たちに声をかけてきてることは、幼い私でも分かる。
けれど次の瞬間、レイは何かに気がついたみたいで、尻尾をバタンと大きく揺らした。それは紛れもない、不機嫌な時にする仕草だ。
「魔物を弱体化させる様な効果もなければ、転移を防ぐ様な効果もない。確かにこれなら『炎魔』も防げる…………イヤらしい奴」
『そう嫌な顔をしないでくださいよ。折角の好青年なお顔が勿体無いですよ? それに私も『ステータス』を覗かせてあげたのですから、これでお互い様でしょう? …………それにしても、とても可愛らしいお耳ですね』
私もその言葉で漸く勘づいた。
レイは魔法の発動を音で感知することができるのだ。普通の猫の聴覚ですら聞き取れない、とても小さい音。私が魔法を使う時も、レイの耳はその音を感知してピコピコと耳を反応させていたのを思い出す。
あの烏は上空で、ずっとレイの戦いを見ていた。それなら魔法の発動のたびにピコピコ動く耳に気が付いててもおかしくない。
たぶん今私たちの前で結界を張ってみせたのは、レイの耳の動きを確かめるためだったんだろう。まぁちゃっかり、レイもあの烏の『ステータス』は見ていたみたいだけど。
『お前の目的はなんだよ。本当に揶揄いに来たってわけじゃないだろ?』
レイは不機嫌に尻尾をバタバタ揺らしながら、鋭くその烏を睨みつける。確かに未だ目的が見えない。人類側の勢力じゃなくて、ここまで魔法が使える魔法使いとなれば、それはただの野生の魔物じゃない。明らかにもっと人間に近しい、それも上位の魔物が絡んでる様にしか思えなかった。
けれどその時、警戒し続ける私とレイを後ろで見守ってくれた族長様が、重い腰を上げた。もう魔力もあまり残ってない。見るからに顔色も悪くなってしまってる。
止めようとした私に、族長様は軽く笑って返して見せると、その烏の前まで歩み寄った。
「…………まさか、こんなところでお目にかかれるとは思わなかった。その赤い瞳。そして常軌を逸したその魔力量。もしや貴女は、あのお方の『眷属』、なのでは?」
族長様の言葉に口元を羽で隠し、その赤い瞳を怪しく輝かせる烏。『眷属』っていうのはよく分からないけど、もしかすると族長様はこの烏の奥にいる人物が何者なのか、心当たりがあるみたいだ。
『ご老猫。あまりご無理はされない方がよろしいですよ。貴方にはまだ役割が残っている。それが分からない貴方ではないでしょう? それに、こちらとしてもこの「上感覚」の猫さんに、それを隠し通せるとも思ってませんから』
烏の奥にいる魔法使いは、一つ咳払いをした。
そして少し大袈裟な素振りで、その烏は深く礼をして見せた。
『それでは改めてここにご挨拶を。私は魔王軍の幹部、の側近をしております、ただの魔法使いです。貴方たちに一つ、お願いしたいことがあり、接触をさせていただきました』
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!




