107. せめてもの救い
草木が焼け焦げ黒色に染まった森の中。普段の見慣れた深緑は見る影もなくなり、陽の光がこの悲惨な現実を無情に照らしていた。
しかしもうこれ以上は、この森が眼前の男に荒らされる心配はない。
決着はついた。
男は僕の技能『猫糸』によって縛り上げられ、地面を這っている。抵抗できるほどの魔力だって残っていない。残り最後の「即応魔法〈ストック〉」や、魂を代償にした魔法発動については警戒すべきだろうけど、今この場にはティナも族長様もいる。
焦りに鼓動を早め、まともな思考もままならなくなっている今の男に、この無敵の布陣を打ち破れるとは到底思えない。
僕は深呼吸して、いつもと変わらない青空を見上げた。上空では火の手から逃れた鳥達が、慌ただしく飛び回っている。
その様を見て、改めて取り返しのつかないことになったのだと、僕は頭が痛くなった。
火の手から逃れた獣達が、この後どういった行動を取るのかは想像に難くない。住処を失った獣は生き残ったもの同士で争い合いながら、森の外を彷徨うことになるだろう。
そうして最終的に彼らが行き着く先がどこなのかも、容易に想像がつく。
森の獣たちは必ず、人間の集落へと流れ込む。
彼らが今まで人間に手を出さなかったのは、森という安寧の棲家があったからだ。彼らは野生とはいえ、頭は悪くない。人間に手を出すことのリスクは、十分に理解している。
しかし今、その安寧は崩壊してしまった。食糧も安定して調達できなくなってしまっては、人間を襲うリスクなんてもう些細なことだ。
彼らは生き残るために、容赦なくその牙を人間へと向けるだろう。
あの無責任な男の人格が放ってくれた『炎魔』のせいで、どれだけの無関係な人と獣が振り回されることになったのか。それを考えると、どうしても苛立ちを覚えてしまう。
けれど、全く悪いことばかりでもなかったりもする——いやまぁ全然釣り合いとかは取れてはないんだけど。
木々が焼け、空が開けてくれたおかげで気がつけたこともあった。実際にその姿を目視できたからこそ、僕はこの違和感の正体を探り当てることができたのだ。
僕は遥か上空を飛ぶ鳥の内の、とある一匹を睨みつける。
特徴的なオッドアイをした一匹の烏。右目は黒色、左目は赤色の瞳をしている。その瞳はどこまで無機質で、「上感覚」ですら感情の一切を感じ取れない。
今もその烏は視線だけを僕たちに向けて、綺麗な真円を描く様に、上空を旋回し続けている。まるでプログラムされている様な機械的な動き。明らかに自然の生物がする動きじゃない。
そしてその烏は、僕の魔力による探知のギリギリ範囲外を飛行していた。流石にこれが偶然だとも思えない。
しかしその烏からは一切の敵意も感じ取れなかった。
ただ見ているだけ。魔力量も特出して多い様にも思えない。この眼前の男の様に、混ざり合った魔力を持っているわけじゃない。つまり他に人格を隠し、奇襲を目論んでいるわけでもない。
僕は少しの間逡巡したけれど、諦め半分に眉間を抑えた。
例えあの烏が急に敵意を剥き出しにしてきたとしても、僕の感覚で事前に察知はできる。それに今この男を前にしている中で、別の要因に手を出して何か事が起きてしまっては面倒だ。
ひとまずは、明らかに敵意を向けてきているこの襲撃者を片付けるのが先。何ならこの男を片付けた後、すぐに技能『圧水射』で射抜けばいいだけの話だ。
不安の種は一つずつ、確実に潰していこう。
僕は天を飛び回る烏から、地面を這う男へと視線を移した。その瞬間、男はまるで獅子にでも睨まれたかの様に身体を震わせた。
『もう打つ手なしって感じかな? お前の人格が理解してるか知らないけど、どうせ最後の即応魔法〈ストック〉は転移系でしょ?』
図星、とでも言う様に男の眉がピクリと動いた。「上感覚」がなくても読み取れる、実に分かりやすい反応。
男は軽く舌打ちをしつつ視線を泳がせた。必死にこの場を切り抜ける策を探っている様だ。もう退路なんて存在しないというのに。
「……ッたく。割に合わねェ仕事させやがってッ……だがいいのかよ、お優しい猫さんよォ。お、俺を殺せば、俺の中にいるガキの人格も死ぬことになるぜ? 俺はもう帝国の奴らから手を引くつもりだ。もうウンザリなんだよ俺もよォ。あのイカれ野郎共に手を貸すのはなァ」
男は地に這いつくばりながら、吐き捨てる様に言い放った。どれも偽りじゃない本心からの言葉。
子供の魂を人質に取っておきながら見逃して欲しいと、本気で僕にそんな戯言を吐いている。対等に交渉しているつもりでいる。
言葉も出ない、とはこの事を言うんだろう。
しかし男はそんな僕の気も知らずに、薄らニヤケながら言葉を続けた。
「もうお前らには手を出さない。約束する。だからよォ。俺の中にいるガキの人格のためだと思って、な? ここは見過ごしてはくれねェか?」
「…………分かった」
「ッ——ほ、ほんとかァ!?」
「お前と話す事がどれだけ無駄かって事が。ティナの居場所を奪って、更に家族にまで手をかける手伝いをした癖に、よくもまぁ恥ずかしげもなくそんな言葉を口に出せたもんだよね」
僕は血が昇り熱くなる頭を自覚しつつ、できる限りの理性を保ちながら、ゆったりとした足取りで男へと近づく。そして男と視線を合わせる様にしゃがんで、獲物を見据える瞳で男を睨みつけた。
「自分のした行動の責任ぐらい自分で取れよ。僕の前で生き恥を晒すな見苦しい」
僕のその言葉に、男は思わず視線を逸らし顔を俯かせた。
今はティナも見ている。これ以上無意味に虐めてやるのはティナの教育上にもよろしくないし、僕にもそんな趣味はない。最低限聞けることだけ聞いて、さっさとお終いにしてしまおう。
僕は深く息を吐きながらゆっくりと腰を上げ、男の周囲をゆったりと歩いた。
「お前にはいくつか聞いておきたいことがある。まぁ無理に答えなくていいから。聞いてくれるだけでいいからさぁ……」
言葉で答えてくれる必要はない。僕の「上感覚」なら、質問を聞いた「反応」だけで大まかな答えは分かる。
極力圧をかけない様に、優しい口調で言ったつもりではあるけど、男は僕に対する「恐怖」の感情のニオイを一層のこと深めていた。
「まず一つ。お前の他に、刺客は控えてたりするのかな? 冒険者以外でね」
僕の言葉に、男は極力表情を隠す様に顔を最大限に俯かせた。
でも残念。僕の「上感覚」はそんな小細工で対抗できる様な代物じゃない。心臓の鼓動。感情のニオイ等々、当人ではどうしようもない反応からの情報で十分事足りているから。
今の反応は肯定と困惑。「いると思っていたけど、来ていない」と言った反応か。単に信頼が薄くて切り離されたのか。それとも向こうも向こうで予想外なことでも起きたのか。
「それは能力者? それとも単なる帝国兵?」
男は僕からの問いに、相変わらず俯いて硬直の姿勢を崩さない。男もこんな抵抗通じないことは分かっているはず。まぁどうすることもできないのも、分かっているんだろうけど。
今の反応は肯定半分否定半分といったとこかな。「能力者は含まれているし、帝国兵も控えていたはずだった」と読み取っていいだろうか。
「じゃあ次。お前の仲間の中に、「生物を操る能力」を持ってる奴はいるかな?」
男から漂う『困惑』のニオイ。
どうやらこれに関しては、特に思い当たる人物はいないらしい。この男が単に把握していない可能性もあるけど。
でも、もし心当たりがあったとしたなら、上空を飛ぶあの烏と紐付けもできたわけだけど、知らないというならしかたない。
僕の問いかけに、男は身体をガクガク震わせて俯くばかり。けれど心の奥底では、まだどうにかなると淡い希望も抱いている。僕のこの質疑が、自分の中にいる少年の人格を手にかけることへの躊躇い、とでも思ってるんだろう。
でも、正真正銘これで終わりだ。
ティナがここに来てしまった時点で、その希望も潰えたのだから。
僕は呼吸を整えて、ゆっくりとティナへと振り返った。僕の顔を見て、少し怯えた様子のティナ。この男に対する苛立ちは極力隠していたつもりだけど、どうやら隠しきれていなかったらしい。
僕の「上感覚」の制御もまだまだみたいだ。こればかりは反省だ。後で事が済んだら、たっぷり猫形態で撫でられてあげよう。
「ティナ、族長様。助けてくれてありがとう。ティナたちが来なかったら、僕は確実にやられてた…………ゴブリンの縄張りで何が起きたのかは気になるところではあるんだけど、その前に一つだけ。ティナにお願いがあるんだ」
「…………私に?」
キョトンとした表情を浮かべたティナに、僕はこの場でできる最大限の笑みで返して見せる。
「うん。実はこの男の肉体にはね。複数の能力者の魂が混ざり合い紐づいているんだ。「光属性を扱える少女の魂」。「何も知らない男の子の魂」。それと今ここにいる「襲撃者としての魂」。たぶん他にもいたんだろうけど、僕が認識できてるのはこれだけだった…………ティナには、この混ざり合った魂をそれぞれ元の魂に切り分けをして欲しいんだ。なんとなくイメージつく?」
「ッ!?」
魂の切り分け。実はそれは、さっき光属性を扱った人格がやってのけたことでもある。特定の人格の魂を魔法行使のために抽出できたのだから、魔法による魂の切り分け自体は可能と見ていいはずなのだ。
その一方で、男は僕の提案に思わず顔を上げて、ティナへと視線を送っていた。藁にもすがる、救いを求める瞳を向けている。
ティナはその男からの視線を受けても、特に怯える様子も、同情する様子も見せなかった。まるで居ないものの様に扱って、その真っ直ぐな翡翠色の瞳は僕だけを見つめていた。
「レイと一緒なら、できると思う。でもそしたら…………」
分かってる。ぐちゃぐちゃに混ざり合った魂を、それぞれ元の魂に切り分けたらどうなるか。おそらく、切り分けられた魂は肉体から離れて、完全に消滅してしまうことだろう。
しかし、あの男の子の魂をこのツギハギの肉体にとどめさせても、あの子のためにはならないことは分かりきっていた。
彼は自分の名前すらわからない。縋り付きたい家族の顔すらわからない。そしてこの肉体は、複数の魂が混ざっていたことで成り立っていたんだ。この子だけを残したとしても、生きれるのは数時間程度だろう。
もう今の状態だって、一日すら生きられないことだろう。
「せめてあの子だけは、痛みも苦しみもなく、逝かせてあげたいんだ。お願い。ティナの力を貸して欲しい……」
ティナも族長様も、僕の言葉に何も返さなかった。もうどうしようもないんだと、二人も分かっているみたいだった。
しかしそんな中で、唯一現実を受け止めきれない男が一人。拘束された男はまるで芋虫の様に、ジタバタと『猫糸』から逃れようと身を捩らせていた。当然そんな抵抗で緩んだり切れたりする拘束じゃない。
額には脂汗を滲ませ、全身をガクガクと震えさせている。怒りの感情はすっかりと身を潜め、今は恐怖の感情一色に染まっていた。
自分自身死ぬのが怖い癖に、人を殺める様な仕事を請け負っていたのかと、僕は内心呆れてしまう。
「お、おい待てッ! 待ってくれ!? わ、わかった知ってることは全部話す! この拘束を解いてくれりゃ最後の即応魔法〈ストック〉でお前らを森の外に逃してやるからよォ!?」
今更お前みたいな小物が何を知っていると言うのか。お前が使う転移を信じろとでも言うつもりか。
聞きたいことはすでに聞いた。もう素直に会話してやる意味もない。
自分の立場をわきまえず、子供の様に喚き散らす眼前の人間を無視して、僕はティナへと視線を送った。
「ティナ。始めよう」
「ッッッックソざけんなよガキ共がッ!! おい外せ!! 外せよこの糸をよォ!! 能力だけのバカが調子乗ッてンじゃねェぞッ!!!」
僕とティナは、二人でジタバタする男の背中に触れた。喚き散らす男の声なんて、集中しきった僕たちの耳に届くことはない。
そしてティナから伝わる魔法の感覚的に、魂の切り分けはそう難しいことでもなさそうに思えた。僕も相当消耗しているけど、ティナと二人なら確実にやり遂げられる。今の僕達には、一切の不安もなかった。
そうしてすぐに、僕達はそれぞれの魂の境界を捉えた。後は綺麗に切り離すだけ。僕たちはお互いに視線を交わして、大きく一つ頷き合う。
ティナの魔力が男へと入り込む、まるで身体にメスを差し込む医者のような繊細さ。僕も「上感覚」と技能『精神干渉』を用いて、最大限ティナの魔法を補助する。これが報われないあの子への、弔いになるのだと信じて。
そうしている内に、眼前の男の動きがぴたりと止まった。そして男の身体から煙の様な魔力が抜け出した。これは「さっきまでの襲撃者としての人格の魂」だろう。魔力の質からよくそれは理解できる。
僕はその魔力を技能『吸魔』により、自分の身に吸収させた。これまで消費した魔力の補充も兼ねてね。もちろん、僕にあの男の人格が宿ることはない。この男の魔力を吸収すれば、「扉〈ドア〉」や「爆性魔力」、「超速再生」を得られるかも、と思ったけど残念ながら、現実はそこまで甘くないらしい。
そしてそれから間も無くして、男の肉体からまた別の魂が煙となって現れた。煙の様に漏れ出た魔力は、少年の姿を模った様に見えた。ティナにも同じ様に見えている様で、僕たちは二人で煙となった少年を見上げる。
そしてティナいつも僕に使ってくれる『精神を落ち着かせる魔法』を瞬時に展開させた。これがティナのできる、最大限の弔いなんだろう。僕もティナに併せて、さっき吸収した魔力とは違う、純粋な僕の魔力をティナの魔法へと注ぎ入れた。
——ありがとう
煙となったその男の子は、最期に優しい笑顔を浮かべてそう呟くと、そのまま天へと昇り霧散した。これが本当に最善だったのか。これしかなかったのか。今でも自信は持てない。ただこの不条理な現実を信じたくないだけなのかもしれないけど。
でも僕は——いや僕たちは、二人でゆっくりと目を閉じて、彼が安らかに眠ったことを祈るばかりだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!




