106. 決着「禁じられた光」
僕はこの凶悪な爪を、男の首めがけて振るった。
確実に首を刎ね飛ばせる距離。人間では反応しようもない最速の一手。その上『溶壊液』に濡れた僕の爪は、どんな強固な肉体も容易に切断できる。そして断たれた部位は、魔法や能力でも決して治すことはできない。
文句のつけどころのない完璧な一撃。
けれど、僕のその必殺の一撃は虚無に終わった。
この一瞬の攻防に於いて、男の方が一枚上手だったのだ。これは否定しようもない事実。
奴は僕の能力「上感覚」の弱点を、隙を見事に突いて見せた。
感情に訴えかけるという、感じやすい僕には抗いようのない一手。
僕がトドメの一撃を振るう直前、あの男は瞬時に『少年の人格』を表に出した。僕がこの男と出会った時に見せた人格。
何も知らない。何の罪もない。ただ能力を持って生まれた、というだけでこんなことに巻き込まれて、この肉体に押し込まれた少年の人格。
僕は心の底から救いを求めるその少年を前にして、元人間としての情を抑えきれなかった。やらなきゃ僕の方がやられると、最初から分かっていたはずなのに。
それでも僕は、自分の心まで殺しきれなかった。
僕の爪は、男の首を掠る程度に終わった。
薄皮を裂き、軽く血が滴る程度の傷。眼前の男は、その痛みに苦悶の表情を浮かべて目を閉じる。
そして目を開けた次の瞬間には、男は口角を吊り上げ愉悦の表情を浮かべていた。
「ハッ、ハハハハッ! そうだよなぁ見ず知らずの人間の女の子に同情するぐらいだ! あの人格にも同情しちまうよなぁお前はぁぁ!」
男は高笑いをしながら、技能『瞬加速』で再び僕との距離を離す。
対する僕は、今の一撃を失敗したことで、若干体制を崩していた。技能『空蹴り』で即リカバリは出来るけれど、今この状況においては致命的すぎる隙だ。
僕は能力「上感覚」と技能『反応速度強化』を使い、体感時間を引き延ばして、擬似的に時を止めて思考する。
僕の推測が正しければ、男の次の攻撃準備は既に整っている。僕にはもう、一秒の猶予だって残されていない。
奴が死に物狂いで僕から逃げている最中——僕が攻撃を仕掛ける前の時点で、奴は光属性の魔法の「詠唱」を済ませていたはずだ。少女の声ではあったけど、確かにその声は男の身体から聞こえていた。
男自身、その詠唱を自覚してないのに若干の引っかかりを感じるけど、僕の「上感覚」で研ぎ澄まされた聴覚に聞き間違いなんてあり得ない。
現に男は既に「白色の魔力」を纏っている。
それは間違いなく、光属性の魔法を発動する前兆に他ならない。
光属性の魔法は、人類が扱える魔法の中で最も高度な属性の魔法だ。男から漂う白色の魔力を実際に見ただけでも、その格の違いがよく理解できる。
今から放たれる魔法は、これまで男が繰り出してきたどんな攻撃よりも、強烈な攻撃になると容易に想像がつく。
何とか対策を打たないとマズイ。
『溶壊液』を含んだ『圧水射』を放って魔法の発動を止めるか。いいやダメだ今から放つにしても三秒はかかる。
技能『走加速』を使って距離を詰めたとしても、最速で二秒。魔法の発動には間に合わない。
それならもう、回避に専念した方が吉かもしれない。
僕は技能『反応速度強化』を解いて、体感時間を元に戻す。そして技能『空蹴り』によって、男から遠ざかるように後方へと勢いよく跳んだ。
ニタリと笑う、男の愉悦の表情は崩れない。今度こそ勝ちを確信した様に、男は僕へと掌を向けた。
そして既に組み立てられた巨大な魔法陣を、瞬時に出現させて見せた。
「か、勝ったッ! 「上感覚」は惜しいがこの命には変えられないッ! 即応魔法〈ストック〉ッ!——」
意気揚々と声を荒げる男。
しかし僕は男から遠ざかる最中で、とある違和感を覚えていた。
即応魔法〈ストック〉とは、『前もって詠唱を済ませておくことで』、即座に魔法を発動できる様にする魔法。『詠唱もなく』完成された魔法が即座に発動できるのが、この魔法の強いところなのだ。
しかしながら僕は、奴が——正しくは奴の中にいる別の人格が——魔法の詠唱していたのをこの耳で聞いている。今から発現する光魔法が本当に即応魔法〈ストック〉だったなら、詠唱なんて必要はなかったはず。他に新しく魔法が発動した様子も見られない。
まぁ今の男の人格は、詠唱をしていたことも自覚していなかったみたいだから、これから発動する「通常の光魔法」を「即応魔法〈ストック〉」だと勘違いしていてもおかしくはないんだけれども。
しかしそうだとしても、どうしてそんな認識誤りが起こってしまったんだろう。
いやこれに関してはそう難しい話じゃないか。
つまり帝国側の勢力は、この転生者の人格を『完全に信用していなかった』わけだ。まぁこれまでの軽々しい言動を見ていると、信用のおける人物でないのは敵ながらよく分かる。
男はこの魔法に「裏」があることなどとは露知らず、その魔法の名前を高らかに宣言しようとした。
「光槍〈ホーリーライト——」
『"禁じ手"を検知。これより「タカナシ コウタ」の魂を糧に、魔法を発動します』
漸く男にもその少女の人格の声が聞こえたのか、瞬間表情が固まった。
『禁じ手』。この男の人格「タカナシ コウタ」に授けられた最終手段だったのだろう。それこそ身の危険が迫った時、どうしようもなくなったらこの「光魔法の即応魔法〈ストック〉」を使えとでも言われていたのだろうけど。
帝国側としては、この転生者の人格よりも、丹精込めて作り上げたこの肉体の方が価値が高いと言うことらしい。
男の瞳孔が激しく揺れる。
言葉の意味を真に理解して、魔法の発動を止めようと、僕へ向けた右掌の魔法陣を引っ込めようとした。でも無駄だ。
この魔法は男の意思で顕現したわけじゃない。この魔法を止められるものなんて、この場には誰もいないのだ。
そして次の瞬間、男の顔が歪んだ。
これまで遮断していた痛覚が、元に戻ったかのように。
「は、はぁ!? いや待てそんなの聞いてなッ——ッ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い何だこれッ!? い、嫌だやめてくれ死にたくなぁぁい! 俺はただ利用されただけで、ナニ、モ…………」
——キン ——キン
男の瞳から光が失せたと同時に、僕は魔法の発動音を知覚した。それも時間差を置かず二度も。
違和感を覚えた時にはもう遅かった。
次の瞬間、僕がさっきまで駆けていた地点に男が現れる。魔法陣をその右掌に輝かせて。
『即応魔法〈ストック〉。瞬間転移〈テレポート〉。
顕現せよ、光槍〈ホーリーライト・スピア〉』
そして現れた光輝く巨大な槍。
数十メートルはあろうその槍は、この黒く焼き焦げた森を白く明るく照らした。その様はこの哀れな森を浄化する、神の癒しにすら見える。
なんて半ば諦めの境地で僕は、走れば走るほど加速する技能『走加速』で回避しようと空を駆けた。
ここまでの間で距離は十分に取ったはずだった。しかし、魔法発動の寸前になって転移で距離を詰められたら、もうどうしようもない。
僕は能力「上感覚」と技能『反応速度強化』を用いて体感時間を緩めて、擬似的に時間を停止させて思考した。
しかしダメだ。いくら考えてもこの魔法に対する策が浮かばない。
今の僕の覚えてる技能じゃ、この魔法を迎え撃つことも、避けることも叶わない。
辛うじて、一撃死をギリギリ避けるぐらいの道しか見えてこない。どれだけ最善の道を選んでも、僕の半身は確実に吹き飛ぶ。
技能『変化』を使えば、失った半身を即座に補うことはできるだろうけど、今までの魔力消費を考えると、一時的に命を繋ぐ程度の処置にしかならないだろう。
男の中にはまだ、僕に恨みを持ってる人格が残っている。例えこの魔法を凌げたとしても、その先の未来は真っ暗だ。
僕は擬似的に停止した時間の中で、全てを悟った。
もう無理なんだと。そして僕がこの場どうすればいいのか、全て理解した。
僕が今、最も恐れるべきことは何か。
それは命を落とすことなんかじゃない。
辛うじて生き延びてしまって、僕の能力「上感覚」が帝国側の勢力に渡ってしまうこと。それが最も恐ろしい。
将来、僕の人格や能力が利用されて、ティナや村の仲間たちを危険に晒すことになるのだけは、絶対に避けなきゃいけない。
下手に生き延びることで、そんな残酷な未来を描いてしまうのなら、僕はこの場で、潔く死を選んだ方がいいのだろう。
男も言っていた。死んだ状態じゃ能力の抽出はできないと。それなら無駄な抵抗なんてしないで、死を受け入れてしまった方が、この世界に生きるみんなのためになることだろう。
そう思い切ろうとしたものの、この世に何の未練がないわけじゃない。このままじゃお父さんとの約束も守れない。ティナにも、辛い思いをさせることになってしまう。きっと僕の弟妹達は、僕の帰りを待ち続けるんだろう。そう思うと心が苦しい。
けれど、これ以上の最善手はもう存在しないんだ。ここまで来たら、この非情な現実を受け入れるしかない。
僕は最期に決意を固めて、全ての技能を解く。
そして眠るようにゆっくりと目を閉じた。
地面を抉り、木々を薙ぎ倒しながら迫り来る光の槍の音が聞こえる。凄まじい轟音。これならきっと痛みも感じる間も無く、僕身体は粉々に吹き飛ぶのだろう。
折角こんな万能な能力を手にしたって言うのに、僕の終わりはどうしてこんな——
——キン
「レイッ!!!」
その瞬間。僕の後方から魔法の発動する音と、ここにいるはずのない少女の声が聞こえた。
「固有結界「天猫守護-代魔-」っ!」
「結界補強「光耐性付与」ッ!」
——キン
更にまた聞き覚えのある老猫の声がすると、今度は僕の全身が暖かい魔力に包まれた。
僕は思わず僕は目を開ける。僕の身体は淡い光を纏い、球状の小さな結界でこの身が包み込まれていた。
そして魔法の音がした地点には、見覚えのある老いた獣人と幼い銀髪の少女——族長様とティナの姿があった。
そして間髪置かず、巨大な光の槍が僕の周囲に張られた結界に接触する。そして起こる激しい発光。思わず僕も目を細めた。
ガリガリと結界の削れる音が僕の耳に響く。僕は抜いていた力を即座に入れ直した。
直接受け止めはせずに、迫り来る槍をこの身と張られた結界自身を回転させることで、結界の上を滑らす様に受け流して見せる。
その分結界とその中にいるの僕も、槍の勢いを受けて激しく回転はするけど、直撃するよりかは遥かにマシだ。
「どうにかっ、間に合ったかっ……」
額に汗を滲ませ息を切らす族長様。その瞬間、僕に張られていた結界も消えた。その身体に秘める魔力量も、底を尽きているみたいだった。もう転移を発動させる魔力も残っていない様に思える。
僕は空中で身体を何回転もさせて、なんとか地面に四足で着地する。少し頭がふらつくけどダメージはない。
僕は即座に、二人に併せて獣人の姿へと『変化』した。
「族長様にティナ!? ど、どうしてここに!?」
純粋な疑問をぶつける僕に、二人とも苦い表情を浮かべた。特にティナは今にも泣き出しそうな顔をして俯いている。よく見ると、その目元には泣き腫らしたような痕が見えた。
普段であれば、寄り添って慰めてあげられたら、とか思ったんだろうけど、僕も今動揺しすぎてそこまで気が回らない。
転移陣を展開したゴブリンの縄張りからこの場所までは、相当な距離があったはずだ。それこそ今も、ゴブリンの縄張りまでは『炎魔』の侵食が届いていないほどに距離はある。
それなのに、二人はどうやって僕の危機を察知できたんだ。『誰かに見られてる感覚はずっとあったけど』、それは絶対に二人からの視線じゃない。今もしてるし。
しかもまるで「光属性の魔法がこの場所で発動する」と分かっていたかの様に、二人はその対策も万全に整えてくれていた。
いったいゴブリンの縄張りで何があったのか。
そこまで考えて、僕は自分が心底無神経な思考をしていることに気がついた。
「…………ごめんなさい。私ッ…………」
ティナは静かに涙をこぼした。僕が無事だったことに安堵したと同時に、転移で逃げなかったことに罪悪感を覚えてしまっているみたいだ。
あぁ僕は馬鹿か。まず言うべきは「どうして」じゃなくて「ありがとう」だろう。何を考えなしに口走っているんだ僕は。
二人が来なかったら、僕は確実に死んでいたんだ。
でも今感謝を言っても、きっとティナは素直に受け止められない。僕は咄嗟に、ティナの頭に手を伸ばして、ティナがいつも僕にしてくれている様に頭を撫でてみた。女の子を撫でたことなんて前世含めて経験なんてない。でも、これしか思い浮かばなかった。
ティナ僕の手の感触を感じ取って、上目遣いで僕を見つめていた。潤んだティナの瞳に見つめられて、なんだかあわあわしてしまう。
そんな呑気してる僕に対して、族長様は静かに、僕の肩をポンと叩いた。
「レイ、事が済んだら全てを話そう。彼奴はまだ生きている」
その一方で、光の魔法を放った男もほとんど魔力が残っていない様で、フラフラと僕たちへと近づいてきていた。
しかしその人格は、魔法を放ってきた無機質な少女のものじゃない。この怒りと嫌悪に満ち溢れた険しい表情。僕に恨み辛みを抱いている、襲撃者の人格だろう。
「ックソがよォッ……! 俺の身体を弄んだ挙句ッ、こンなタイミングで変わりやがってェッ……! ッぐォ!?」
僕は近づいてくる男に『猫糸』を放ち巻きつけた。
やろうと思えば即座に『溶壊液』を染み込ませられる。もう逃げることも、反撃すること叶わない。
男は地面に倒れ込み、唇を血が滲むほど噛み締めていた。
あの転生者の人格も消えて、逃げる様な魔力も残されていない。
ただ警戒すべきは、残された最後の即応魔法〈ストック〉と、魂を糧にした魔法発動ぐらいか。
だけど今この場にはティナと族長様もいる。もう男がどんな足掻きを見せようとも、無駄な抵抗に終わることだろう。
僕は大きく深呼吸をして心を整えて、その男へと視線を落とす。この男をどう処理するか、僕の心は既に決まっていた。
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