105. 「扉〈ドア〉」 その②
——バックドラフト
その単語は前世で耳にしたことはあった。
密閉空間で燃えていた炎が内部の酸素を燃焼し尽くした時、扉や窓などを開けてしまうと、外気の酸素を急激に取り込んで激しい燃焼反応を起こす、みたいな現象だったはずだ。
この世界において魔法で作り出される炎は、魔素や魔力によって燃焼反応を起こしている。あの男が作り出した扉〈ドア〉の奥が、完全な密閉空間なのだとしたら、「バックドラフト」の様な現象を起こせても、なんらおかしいことじゃない。
油断してた。扉〈ドア〉と言う能力に加えて、『炎魔』と言う技能を持っているのだから、これぐらい警戒しておくべきだったんだ。
けれどそんな後悔も、もう後の祭り。
僕を囲う様に仕掛けられた四方の扉〈ドア〉から、蒼炎が噴き出した。
そして僕は直感する。これは避けられないと。
空気中に漂う奴の魔力を急激に取り込んだ蒼炎は、勢いよく雲をも貫いた。その火の手は僕の足よりも圧倒的に速く、逃れようもないほどの広い範囲をその高熱が包み込んだ。
火属性の魔法は『赤色の魔力』によって起こるけど、『炎の色』で言うのなら赤色よりも青色の方が温度が高い。魔法の世界でも同じなのかはわからないけれど、この毛肌から感じる熱はこれまでに感じたことのない程の高熱だった。
数秒もの間、その蒼炎の柱はこの森に聳え立った。
パリパリと木々の燃える音が、静寂の中に響く。
鼻につく焼き焦げた草木のニオイ。本来日差しさえ遮る深緑の木々は見る影もなくなり、陽の光がこの黒く染まった森を無情に照らしていた。
蒼炎の柱が消え去った今も、広範囲に放たれた火の手は止まることを知らず、今も森を黒く侵食し、自然を焼き払っていく。
かく言う炎を放った張本人も、炎に身を包まれ全身が黒く焼け焦げていた。今や顔のパーツも分からない。黒色のマネキンの様になっているけど、絶命してはいない。その黒ずんだ肌は、能力「超速再生」により徐々に元の色を取り戻していく。
ただここに来る前からこの手を使う気だったのか、身に纏っている服飾類が焼け落ちてないのが、少しの小賢しさを感じる。
男は失った視覚の中で、僕からの反撃が帰ってこないことに愉悦の笑い声を上げた。
「はっ、はははははっ……! どうだよ俺の『炎魔』を浴びた気分は……!? 舌引っこ抜かれるぐらいに、最悪な気分だろ?」
荒々しい呼吸をしながら、嘲笑混じりに言い放つ男。辛うじて再生されて形が見えてきたその口角は、醜く吊り上がっていた。まさに勝利を確信してやまない表情。
男は更に、早口で言葉を紡いでいく。
「『炎魔』はただの炎じゃあない。燃え移ったが最後、この炎は魔力が尽きるまでは決して、消えはしないんだよッ! まぁ魔力が尽きる前に、お前の身体が炭と化すのが先だろうが…………だが安心しろよ。お前を殺しちまったら、折角の「上感覚」も抽出できなくなるからな。死ぬ前には猫らしく、扉の中に閉じ込めて持ち帰ってやるよ。まぁその先、死んだ方がマシだったと絶望することになるのかもわからないがなぁッ……! あははははははッ!! アッハハハハハ、ハハ…………は?」
勝利宣言をしながら高笑いを浮かべた男だったけれど、顔面を再生し終えて視界を取り戻すと一変。その愉悦の感情は、一瞬にして吹き飛んだ。
男は眼前にある『物体』がなんなのか、理解追いつかず、口をぽかんと開けている。
しかしそれも無理もない。
男が視界を取り戻して最初に目にしたものは、『噴水の様に水を噴き出す、紫色の結晶のオブジェ』だったのだから。
僕は『炎魔』に包まれる直前に、視覚の能力の未来予測によって、早々に逃げられないことを察していた。
そうしたらどうするか。技能『反応速度強化』を全力で働かせて、体感時間を一旦静止させて、それはそれはじっくりと考えて対抗策を練った。
その結論がこのオブジェなのだ。
僕は瞬時に技能『食貯蓄』により溜め込んでいた湖の水を全身から噴出させて、ひとまず水の防御膜を身体に纏った。
『炎魔』の性質はさっき男が懇切丁寧に教えてくれたけれど、そもそも僕の能力「上感覚」であればそれぐらいのことは見たら分かる。
空中で受け流そうと考えていたけど、魔力を燃やす性質があるなら『固空』の足場は維持できない。どうせ地に落ちるのならばと、僕は迫り来る炎に向かって行き地面に着地した。
後はこの炎が収まった後、反撃があった場合のことを考えて、魔毒の王が使っていた技能『魔毒装甲』を身体周辺を繭の様に展開。そして地面にまでその装甲を伸ばしつつ、炎の対処のために水を噴出させていた、というわけだ。
男は不用心に、眼前の物体へと手を伸ばす。
「…………この結晶体は——ッ!?」
『今のは完全に悪手だったね』
僕はすかさず技能『圧水射』により、伸ばされた男の手を結晶の隙間から撃ち抜いた。再生能力を持っているからといって、あまりに油断しすぎ。
それに『炎魔』による対象を考えていた時、実は能力「超速再生」を打ち破る策も考えついていたのだ。
男の撃ち抜かれた左手首が、シュワシュワと音を立てて蕩け始める。さっき放ったのは、ただの湖の水じゃない。迷宮の蜘蛛が使っていた『溶壊液』を魔力で再現して放ってやったんだ。僕には耐性があるからなんともないけど、この液体によって溶かされた部位は何をしても治らない。
現に男の左手は治ることもなく、今も音を立て蕩け骨まで見えていた。
男は取り返しつかない失敗を犯した。それは今、手を伸ばした行為のことじゃない。
男の能力「扉〈ドア〉」と炎の技能『炎魔』はバックドラフト現象を起こすのに適した組み合わせではあるけど、その実相性は最悪中の最悪なのだ。
『お前の扉〈ドア〉の強みは『魔力を付着させた場所へ設置できる手軽さ』にある。魔力の許す限りいくらでも設置できる。扉〈ドア〉が現れる予兆も薄い。本当に驚異的な能力だよ…………それなのに『魔力が尽きるまで消えない炎』を広範囲にぶちまけちゃったらさぁ…………扉〈ドア〉のためにばら撒いてたお前の魔力も、今ので燃え尽きたんじゃないの?』
実際の所、これが普通の魔法の炎だったならもっと危なかった。僕が最も恐れていたのは炎じゃない。男の魔力が僕の身に付着することだ。
けれどさっきの『炎魔』においてその心配はない。
噴出した『炎魔』には確かに、男の魔力が含まれていた。しかしそれはほんの少しの間だけだ。
何せこの炎は『魔力が尽きるまで燃え続ける』のだから。例え、扉〈ドア〉を設置できるほどの魔力が炎に込めたとしても、その魔力はすぐに燃料として消費されてしまう。
つまり『炎魔』は扉〈ドア〉を設置するポテンシャルはなくはないものの、扉〈ドア〉を維持することは絶対に不可能な性質を持っているのだ。
実際炎の中に包まれるだけなら、『変化』でどんな高温にも耐えられる身体にしてしまえばいい。まぁ『ステータス』には『耐性』に関する情報は詳しく見ようとしない限りは見えないから、僕に『炎魔』が燃え移ってしまえば勝ち、とでも思っていたんだろうけど。
男は僕の指摘に対して、顔を青ざめさせた。どうやら図星らしい。そして男は能力で治すことのできない左手首を握り、恐怖に瞳孔を震わせていた。
「オイオイオイオイオイオイなんで治らねぇんだよ俺の手はぁッ!? お前、俺に何をしたぁ!?」
『言わなかった? お前を気持ちよく負けさせてやるつもりは無いって』
僕は閉じこもっていた『魔毒装甲』の殻を蹴破り、勢いよく男へと迫る。男は向かいくる僕に心底怯えた様に目を見開くと、僕に背を向け地を蹴り飛ばし逃走した。
扉〈ドア〉での反撃はない。それに地面に設置もしないところ、『炎魔』により焼き焦げた跡にも扉〈ドア〉は設置できないんだろう。
「——ッ『瞬加速』ッ!」
『残念ながら、トップスピードは今の僕の方が速い』
瞬時に自身を加速させる技能『瞬加速』も、今の僕の身体能力の前では意味をなさない。僕は早々に追いついて、男の側頭部を蹴り飛ばした。
『溶壊液』の付着したこの後ろ脚で。
勢いよく吹き飛び地面を転がる男。
僕に蹴り飛ばされた側頭部の傷も治ることもなく、赤く滲んだままだ。痛みを感じないはずの男は這いつくばったまま、顔を上げることもできないでいる。どうやら精神的に、かなり効いているらしい。
ゴリゴリと折れた骨を治す音が、森の中に鳴り響く。
——キン
「ッ……な、なんだよこれはぁ…………回復魔法でも、治らねぇのかよッ……」
ふと聞こえた魔法の発動音。その瞬間、男の身体が淡く光を帯びたけれど、それだけだ。能力でダメなら魔法を試した様だけど、当然治りはしない。
さっきまでのお遊び感覚で僕と対峙していた男の姿は、もはや見る影もなくなっていた。今はガクガクとその身を震わせている。
男ももう気がついたのだろう。ここゲームの世界の様に、簡単にやり直しの効く世界じゃないことを。
完全に威勢を失った男に対して、僕は自然と大きな嘆息を漏らしていた。
『痛みも感じない。一撃でやられなければ、どんな傷も残らない。隙さえ作れさえすれば、扉〈ドア〉で逃げることもできる…………その鉄壁が完全に崩れたわけじゃないのに、お前は今、死を身近に感じて身を震わせてる。それって、あまりに贅沢なことだと思わない?』
「『爆蕾』ッ! ——開花ッ!!」
ただのやけっぱち。男は怒りに染まった顔を上げて、僕へ魔力の爆弾『爆蕾』を放ち直ぐに開花させた。
回避してやる必要もない。気にすべきは強烈な爆発音だけ。今の僕は技能『魔毒装甲』で体内から固めているのだ。外見はいつもの茶トラ猫だけど、今の僕はこんな即席の爆弾ぐらいで傷を負うことはない。
虚しく土埃が舞っただけだった。
男は無傷の僕を見ると、更に恐怖の感情を深めていた。しかしその心の内には、少しの『希望』を感じている。
しかしその希望も、すぐに潰えることを僕は知っている。
『一つお前に教えてあげる。技能『変化』って色々使い勝手が良くてねぇ。身体の形状を変化させるだけじゃなくて、体質も変えられるんだ。まぁ要するに、僕には毒も炎も、爆発も効かないから』
はい嘘です爆発だけは普通に効くからただの強がりです。
しかし精神が乱れきった今の男は、分かりやすい僕のハッタリすら間に受けてしまう。
これで男は『炎魔』も『瞬加速』も、そして能力「爆性魔力」も「超速再生」も攻略されたと思うわけだ。
男に残された有用な手札は、もう能力「扉〈ドア〉」だけになった。
しかしこんな絶体絶命な状況下に男は、僅かに口角を上げていた。まるで地獄で見つけた蜘蛛の糸に縋る様に、淡い笑い声を漏らす。
「ッ………あぁそうかよッ……! だが余裕ぶって油断したな!? 俺の『魔力』をその身で浴びたのならば、俺の勝利に揺らぎはないッ……! 爆発もダメだってんならこれならどうだよッ!!? その臓物をぶちまけろッ! 開け扉〈ドア〉ァッ!」
男は僕の予想通りの希望に縋りつき、僕の身体に扉〈ドア〉を設置しようと声を荒げた。
なるほど。これまで見せてこなかったけど、扉〈ドア〉には『空間収納』や『転移』の性質以外にも、『物体を切り開ける』様なこともできるらしい。
なんとも驚異的だけど残念。
僕に『炎魔』を見せたのが運の尽きだ。
——キン
「即応魔法〈ストック〉! 重力操作〈グラビティ〉ッ!」
そして次の瞬間、重力が数倍に増した様に僕の身体が重くなった。おそらくこれは聖級魔法の域か。生物単体を重くするわけじゃなくて、指定した範囲を重くできる魔法か。まぁそれも耐えられない程じゃない。
しかし、以前に族長様とティナから教えてもらった「即応魔法〈ストック〉」。これは確か、「事前に詠唱を済ませておくことで、即座に魔法を発動できる様にする魔法」だったはず。
実際に体感してみると本当に驚異的な魔法だ。聖級魔法を即座発動させられるとなると、その一撃で場況をひっくり返されない。
「即応魔法〈ストック〉」は同時に三つまで魔法を溜め込めると聞いたし、後二つ、念のために警戒しておこう。
しかし何気にえげつないコンボを仕掛けてくれたものだ。扉〈ドア〉により身体を切り開き内臓を曝け出させて、高重力に当てて内臓を身体から引きちぎる。なんとも悍ましい。
しかし僕の身体に扉〈ドア〉が開くことはない。
男は心底理解できない、という表情で硬直していた。
「………………なんで…………は? 扉〈ドア〉が、発現しない…………?」
『お前が教えてくれたんだよ? 『炎魔』は魔力が尽きるまで燃え続けるって。『爆蕾』でお前の魔力を僕に付着させようが、僕の身体を常に『炎魔』で燃やしてれば、関係ないでしょ?』
僕はこの身に薄く『炎魔』を纏っている。これなら男の魔力が身体に付着しても、『炎魔』ですぐに消し去れる。魔力消費はそれなりだけれど、これで男を完封できるのならば格段に安い消耗だ。
最後の希望も潰えた男は、絶望に身を落とした。
僕には何も通用しない。どう足掻いても無意味だと理解してしまった。反則級のチカラを授かったと意気揚々と語っていた男には、こんな状況は信じがたいことだろう。
男はギリギリと歯を食い締めて、這いつくばりながら拳を強く握りしめた。
「…………まさかそんなのッ…………あり得ないッ……! こ、こんな馬鹿なことがッ…………! なんで、なんで一瞬で技能を覚えられるんだよ!? 制約とかないのかよ!? なんだよそのデタラメな『変化』は!? なんなんだよお前の能力はぁ!?」
声を荒げて現実を受け止められない男。
正真正銘これで万策尽きた、というやつなんだろう。
もうこれ以上苦しめてやることもない。僕もそろそろ限界が近いし、ティナの両親の仇と言っていたぶるのは違うと思ってる。
僕までこの悪逆無道な男達の領域まで堕ちてやることはない。ここは野生の獣らしく、縄張りに踏み込んだ不届きものをさっさと始末してしてやろう。
男からの問いに、僕はただ冷徹に、静かに高重力に抗いながら男に歩み寄った。
『初めから知ってるでしょ? 僕の能力は「上感覚」。感覚が鋭くなるだけだよ』
「ッしゅ、『瞬加速』ッ!」
恐ろしい獣を前にした男は、ジタバタとしながら立ち上がり、地面を蹴り飛ばして逃走する。
しかしそれも無駄。
すでに僕は技能『瞬加速』の感覚を覚えている。
僕も男の後を追う様に、『固空』により固めていた空気の足場を全力で蹴り飛ばして、高重力の魔法の効果範囲から一瞬で抜ける。
『——純白の花園。闇を断つ太陽の光』
しかしその時、幼い少女の声が聞こえた。
鈴を転がした様な透き通った声だった。それでいて何の感情も乗っていない。とても無機質な声。
ティナの声じゃない。その声は男から発せられている様だった。
男はその少女の声が聞こえていない様に、焼き焦げた森をただ一心不乱に駆けている。
男の背中はもうすぐ側。僕は最後のダメ押し、技能『走加速』により急激に距離を詰める。
『——悪を穿つ槍と成れ』
僕の聴覚がまた少女の声を捉える。これはただの言葉じゃない。明らかに「魔法の詠唱」だ。そして男の身体からは『白色の魔力』が漂い始めていた。やはり声の元はこの男。そしてこれは「光属性の魔法」を使う前兆だ。
もしかすると他にも人格が存在するのか。
なんだか嫌な予感がする。
男から漂う感情のニオイから、まだ手札を残してるとは考えられない。しかしこの男が知らず知らずのうちに、何かを仕組まれていたらとしたら? その可能性はなくはない。
『もう何もさせる気はない。これでおしまいだよ』
僕は男に追いついて、その首元へと爪を立て勢いよく振った。『尖爪』や『甲化』も必要ない。『溶壊液』に濡れた僕の爪は、どんな硬い物体も容易に切断できる。回復すらも許さない。
光属性の魔法なんて、発動させるわけにはいかない。
このまま終わらせる——そう息巻いていた僕は、その男の顔を見て余計なことに気づいてしまった。
男の人格がいつの間にか切り替わっている。
その無邪気で幼なげのある表情は、僕が最初に出会った男の子の人格だった。
「…………お願い、助けて……」
今更この前足を止めることはできない。そして止めてはいけない。僕は躊躇う心を必死に押し殺しながら、震える前足を振るう。
その手応えは、あまりに浅かった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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