101. 森奥の大転移
お父さんから託された戦士としての誇りを胸に、僕は守るべき仲間達の元へと駆け、そしてやっとのこと辿り着いた。
ここは森の北部側に位置しているゴブリンの縄張り。けれど明らかに、様子がいつもと異なる。僕の顔を見るなり嬉々として出迎えてくれるゴブリンたちの姿が、今日は一切見あたらなかった。半径数百メートル圏内の森林内に感覚を研ぎ澄ませているけど、ゴブリンたちの気配が全く感じない。
今ここにいるのは、村から逃げ出してきた化猫族の仲間たちだけだった。僕はそれに少しの違和感を覚えつつ、周囲を警戒がてら「上感覚」を用いて嗅覚を研ぎ澄ませてみる。
一瞬、鼻を刺すようなニオイに眉根を寄せてしまったけど、やっぱり違和感がある。明らかにいつもよりニオイが薄い。何かのニオイに上書きされた、とか消臭の魔法をかけられたわけじゃない。時間経過によってニオイが薄らいだ、と理解するのが感覚的に一番しっくりくるだろうか。
このゴブリンの残り香から推察するに、僕たちが人間からの襲撃の一報を受けた頃ぐらいには、彼らはこの縄張りを離れたのだろう。ゴブリンたちもティナの事情は知っているし、余計な飛び火がかかるのを避けたかったのかもしれない。
ただそう考えた時に、僕の心にほんの少しだけ陰が差し込んだ。
僕たち化猫族は、今から転移によってこの森を離れる。おそらくもうこの森に帰ってくることはないし、ゴブリン達ともこれで一生のお別れになる。
彼らとの出会いは控えめに言っても最悪だった。でも、あの一件以降から色々とお世話になったのは事実だ。食糧を分けてもらったり、ティナの家を作るのだって手伝ってもらった。何より黒一に対して、模擬戦形式で戦い方を教えてもいたって話も聞いた。
この騒動に対する謝罪もできず、今までお世話になった感謝すらできずにこの森を去るのは、ほんの少しだけ心残りに思えてしまう。
もちろん、今は贅沢を言っていられる状況じゃない。今この一分一秒は、化猫の戦士達の命の上に成り立っているんだ。人間寄りの感性を優先して、下手に時間を浪費してしまうなんてことあっちゃいけない。
僕は雑念を振り払うように、自分の頬をパンッと叩き気合いを入れなおす。頬がじんわりと赤く染まり、若干の熱を帯びる。
実際のところ心の整理はまだついていない。つけられるはずない。それでもこの危機を乗り越え切るまでの間は、僕は前を向き続けると決意した。
僕にはここにいるみんなを守るという、お父さんが任せてくれた重要な使命があるんだ。下を向いている暇なんてない。
「さて、これで皆そろったかな?」
族長様は獣人姿で僕へゆっくりと歩み寄る。いつものように優しい笑顔を浮かべてはいるけど、ほんの少しだけ疲労の色が垣間見えた。
族長様も言えば百歳を超えた老猫だ。体力的にもそろそろ限界が近いのかもしれない。
「はい、みんな集まってくれてると思います! 逃げ遅れもいませんし、今のところは、これと言った危険も迫ってないと思います」
僕は胸を張って、族長様へ力強く答えてみせた。
実は仲間の『探知』について、僕の「上感覚」が殊更その効果を発揮してくれたのだ。ティナと出会う前の僕だったら「嗅覚」と「聴覚」により仲間の場所を探ったことだろうけど、今回新たな探知方法を試しのが功を奏した。
それは「魔力」による探知。
自身の魔力を粒子状に変化させて、広範囲に満遍なく拡散。その飛ばした魔力から伝わる情報によって、仲間の動きを探知したのだ。
魔力は生命力そのものであり、体外へ放出しても僕の感覚はいくらか残ってくれる。つまり微小の魔力を継続的に飛ばし続ければ、僕が直接触れるのと同じような情報が、広範囲から得られるということだ。
嗅覚や聴覚を頼りにするのも悪くはないんだけど、この二つの感覚はあまりに大きすぎる情報が絡むと、非常に神経を使ってしまうのだ。嵐の中で囁き声を聞き取るのは至難の業だし、肥溜めの近くで花の甘いニオイを嗅ぎわけるのが精神的に辛いのと同じこと。
その点、魔力による探知は余計な情報の判定が容易だし、魔力消費面でもこっちの方が断然楽だった。
とは言え、僕ができることは探知だけ。もし避難場所が分からない仲間があちこちにいたとしたら、それはそれでかなり大変だったはずだ。
その手間が格段に減ったのは、間違いなくティナの巧みな『誘導』のおかげだった。
「いやでも本当に、ティナの魔法にはびっくりしましたよ。化猫族だけに聞こえる伝言の魔法もそうですけど、何よりあの『甘いニオイ』ですよね」
「そうさな。魔力にニオイをつけて誘導するなど、よく思いついたものよなぁ。ティナはお主とずっと一緒におったし、きっと「上感覚」から着想を得たのだろう。だがしかし何よりも、ティナの言葉を皆が信じ、誘導に従ってくれたのは間違いなくティナの人望あってのことなのだろうなぁ」
僕に激しく賛同する様に、族長様はしみじみと何度も頷いていた。その顔は自分の娘を自慢するように誇らしげだった。
僕は族長様からティナへと視線を流す。
ティナは今も転移魔法を組み立てている最中だった。一応、魔法の構築を補助するのに迷宮で拾った魔法の杖も持ってきたわけだけど、どうやらその必要はなかったみたい。
ティナを中心として広がるは、半径数十メートルはあろう魔法陣。ティナは目を瞑りながらその魔法陣に手をかざして、魔力を注いでいるようだった。おそらく最終調整といったところだろう。
もちろん転移の魔法陣なんてこれまで見たことないけど、僕の所感として、今の魔法陣の状態でも問題なく転移はできそうに思える。けれどこれから数百匹もの猫を国一つ跨いだ先へ転移させるわけだし、きっと念には念を入れてくれてるのだろう。
ティナの長い銀髪が、魔法行使の影響かフワフワと揺蕩っている。魔法陣の光によって照らされ輝くその様は、あまりにも綺麗だった。油断すると周囲の警戒も忘れて、見惚れてしまいそうだ。
なんて、邪な考えを抱いて人間の接近を気づけなかった時には、目も当てられないだろう。僕は内心で嘆息しながら、ティナの魔法構築を眺め続けた。
この魔法陣の調整が完了したら、後は魔石から魔力を注ぎ入れてみんなを転移させるだけ。転移したらいよいよ、この森ともお別れだ。
みんなを守る戦士としては、余計な問題も起きず喜ばしい状況のはず。それなのに僕は、気がつけば拳を強く握りしめていた。
「…………心残りか、父親のことが」
僕の様子に気がついた族長様が、僕の肩にポンと優しく手を置いた。
表には出すまいと必死に抑えていたけど、全くもって情けない。僕は内心で自嘲しつつも、決して俯いたりはしなかった。それは今眼前で精一杯を尽くしてくれてるティナにも、そして最前線で戦ってくれてるお父さんたちにも示しがつかないことだから。
僕は心を落ち着かせるように深呼吸する。
「…………お父さんは、僕に逃げろと指示しました。そしてティナを守れと。お父さんは本気でした…………このまま僕たちが瞬間転移〈テレポート〉したら、戦ってるみんなは置き去りになる。例え今回の襲撃を上手く否したとしても…………っ」
豹柄のお兄さんは『瞬間転移〈テレポート〉の時までには戻って来る』と言っていたけれど、彼らにその気がないことぐらい分かってる。
今この状況において最も恐るべきこと――それは『この転移での避難を、人間に悟られてしまうこと』だ。
彼らは誇り高い戦士だ。仲間を守るためなら、その命を投げ捨てることだって厭わない。そんな彼らが、人間たちをこの転移場所まで辿り着かせてしまうようなリスクを負うわけがない。この場所まで後退する選択を取るとは思えなかった。
族長様は全てを理解してくれているようにように、僕の背中を優しく摩ってくれた。族長様の慈悲に溢れた瞳がどこまでも優しくて、僕の目頭が熱くなってしまう。
「…………よくぞ、この場に来てくれたね。レイが無事に生きてくれることが、彼らへの恩返しになることだろう。もう少しだけ、辛抱しておくれな」
「…………っはい」
涙を溢すのは転移の後。僕は歯を食いしばって、今できる精一杯で族長様に笑って返して見せた。
これさえ終えてしまえば、またあの平穏が戻ってくるんだ。帝国側の勢力だって野生の魔物にちょっかいはかけられても、一国に保護された獣や人相手にならそうはいかないはずだ。
だからもう少しの辛抱。転移が完了するその時までは、僕も一匹の戦士としてみんなを守らなきゃいけない――あの勇敢なお父さんに恥じない息子として。
「レイ、族長様。魔法陣の構築、終わりました。後は魔力を注いで、転移先の位置のイメージを固められればいけると思います。でも、ごめんなさいっ…………流石に一度で全員を転移させるのは難しそうです……」
僕が黙って族長様に慰められていると、ティナがトタトタと僕達へと歩み寄ってきた。少し息も切れていて、それだけでティナも最善を尽くし切ってくれたことがよく伝わってくる。
僕は精一杯尽くしてくれたティナへと笑顔を向けた。ティナは僕の笑顔に眉をピクリと動かすと、少しだけ悲しそうな感情のニオイを漂わせた。
やっぱりティナには、こんな下手な取り繕いは通じないみたい。
「大丈夫。ティナはよく頑張ってくれてるんだから、もっと胸を張っていいんだよ。何回に分ければいけそうとか、分かる?」
「……私の力だけだと五回、かな。族長様とレイの力もあれば、三回でいけそう」
「そうかそうか、それは上々だ。儂も今はあの村を手放しておる。永続的に維持していた「固有結界」分の魔力を持て余しておるところだ。存分に頼って欲しい」
「ありがとうございます。お願いしますっ」
ティナは族長様に深く頭を下げる。そんなティナに族長様は、優しい手つきでティナの頭を撫でた。ティナは少し気恥ずかしそうに、ゆっくりと顔を上げて族長様に視線を向けていた。あまりに可愛い。
でも今ここにいる数百匹の猫を、国一つ跨いだ先にたった五回で転移させられる魔法使いが、この世界にどれだけいるんだろうか。たぶん片手で数えられる程しかいないんだろうけど。
ティナにはもっと自信を持ってもらわないと、世の魔法使いの立場がないと思う。この転移が済んだら、僕もティナを精一杯甘やかしてあげよう。まぁ全部終わった頃の僕に、そんな余裕があるかは分からないけど。
そうして族長様は僕達から少し離れた。魔法の準備が済んだなら、ここにじっとしている意味はない。
族長様はここに逃げ込んできた仲間たちへ体を向け、大きな咳払いをした。いつもと違う威圧感に、僕やティナ、そしてこの場にいる仲間たちの背筋も伸びて、一斉に族長様へ視線が集まった。
草木が風に揺れる音が場を支配する中で、族長様は鋭い視線をみんなへと向ける。
『皆の者ッ! これより、ティナの魔法による獣国への転移を開始するッ! 第一陣は子猫とその母猫! 第二陣は若い者共を中心に転移し、最後は残った老猫とする! 異論あるものはいないなッ!?』
これまでに聞いたことないほどに逞しい意思。族長様の意思に反論をしようとする仲間は、一匹たりともいなかった。
僕たちは野生育ちだし、転移なんて高度な魔法、これまで見たことも体験したこともないはずだ。そのはずなのに、今ここにいるみんなは転移に対して不安を抱いている様子は全くなかった。
あるのは族長様とティナ、そして僕への信頼の感情。そして最前線に残された、戦士たちへの悲しみの感情だけだった。
『それではまず、第一陣はこの転移陣の上へッ!』
族長様の掛け声と共に、母猫と子猫を中心に魔法陣の上へと移動する。そこには僕のお母さんや弟妹たちの姿も見えた。
この魔法は絶対に成功する。
僕にはその確信があった。ティナの「魔導者」と僕の「上感覚」、そして族長様の「固有加護」が合わされば不可能なことなんてない。
僕は家族へとゆっくりと瞬きを送る。それに気がついたお母さんも、ゆっくりと瞬きを返してくれた。
僕は魔法空間しまい込んでいた『魔法の杖』と『魔石』をティナへと手渡す。ティナも全く不安を感じさせない瞳を向けて、それを受け取ってくれた。
第一陣のみんなが転移陣の中に収まった。
ティナは転移陣の前に魔石を置いて、ゆっくりと魔法の杖を構える。僕は族長様と顔を合わせて、二人でティナの背中に手を当てた。
僕は技能『精神干渉』によって、三人の意思をつなぎ合わせた。ティナから転移魔法に関する知識を伝えてもらい、僕が能力「上感覚」によって魔法を行使するための感覚を共有し補助をする。そして族長様は獣国セリアスの座標情報をティナへ共有しながら、能力「固有加護」によって隠密の効果のある結界を周囲へ展開し、更に転移魔法の効力を強化した。
最後にティナは能力「魔導者」によって、最効率で魔石から多量の魔力を抽出して、魔法の杖へと溜め込む。まさに隙のない完璧な布陣だ。
転移陣が徐々にその輝きを増し、周囲の木々を照らす。しかし族長様が張ってくれた結界のおかげで、その光が結界の外に届くことはない。これなら人間にバレることもないだろう。
そしてティナは一呼吸つくと、透き通った声で静かに詠唱を始めた。
「果てなく澄み渡る天空。遥か先の獣の国、平穏を求める者に救済を。迫る災いからこの純真達を逃し給え。
ッ作動せよ! 瞬間転移〈テレポート〉ッ!!」
――キン
魔法の発動音が聞こえたその刹那、転移陣から眩いほどの光が灯った。そしてその光を認識した次の瞬間には、魔法陣の上に待機していた猫達が光に包まれ姿を消した。
ちゃんと転移魔法が機能し獣国へと避難できたのかは、僕たちが転移して確認しない限り確証は持てない。けれど全く不安は感じていなかった。
魔法は間違いなく正常に動作した。ティナと族長様から伝わる感覚が、僕にそう確信させてくれた。今の転移にも余裕はあったし、ティナの予想通り、後二回の転移で済ませられそうだ。魔法陣にも特に綻びは見えないし、使い回しもできそう。
僕はホッと胸を撫で下ろしたものの、周囲への警戒は決して解きはしなかった。人間がこの転移を予想できているとは思えないけれど、何もないままことが済むとは思えない。
能力を使いすぎたためか少しだけ頭が痛む。けれどそれで警戒を解く僕じゃない。僕は深く息をついて、第二陣の転移に備えるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!




