豪徳寺の桜③
翌日から看板と張り紙が商店街の至る所に掲示された。貼り過ぎだろうというぐらい、あっちこっちに。選挙のポスターなんかよりずっとたくさん。昨日までは1枚もなかったのに、誰かが朝の内に仕込んだのだ。知っていた者もいれば寝耳に水の者も、関心のない者もいた。ただ多くの場合、事前に知っているのは大人ばかりで、子供は直前もしくは事が過ぎてから知らされる―
5月○日(△)に豪徳寺駅構内の桜が切られるという。理由は安全性を確保することが難しくなった為。幹の一部に腐敗が見られ、強風、台風、地震などで倒木の危険性が高まった。専門家の検証の末、保存保護は困難との結論を受け、区が撤去を決定した―
これは告知であり、決定事項であり、別れの場の提供であった。まるでケンカを売っているかのよう。反対運動や署名活動も結構。説明を求められれば応じるし、必要とあらば資料をお渡しして経緯をお話しする準備もある。けれども決定が覆ることはない。線路の高架化には駅の移転が必要で、桜や飲み屋は邪魔だから。
「詩音、準備ができたら出かけるぞー。」
「は~い、今行く~。」
ゴールデンウィークの真っ只中、本日の正午に桜の伐木が行われる。たまたま休日だった山川が詩音に尋ねると、自分も行くという。ちょっと観に行ってすぐ帰ってくるだけだから留守番していてもいいんだぞと、後になった付け足したが時既に遅し。何かが起こりかねない―失敗したなと後悔する山川だった。子供には見せたくない大人の衝突が起こるかもしれない。その辺の事情は詩音も理解できる年齢に成長した。それでも、直近では詩音の方が駅を利用する機会がずっと多い。思う所があるのかもしれない。
この1か月間、反対運動も起こっていた。駅前では毎日のように署名活動が行われ、拡声器で声を大にして中止が訴えられた。何十年もの間、豪徳寺駅と地域住民を見守ってきた、言わばこの町のシンボルを切り倒すことには断じて反対だ。人間のエゴで自然を破壊することは許されない。住民柄の説明が不十分。対話の場を設けよ。どうして移植ができないのか。切り倒す以外の手段をもっと検討せよ。こんな類の事を朝や夕、主に人通りの多い時間帯を狙って賛同を求めていた。ただし、安全性に関す意見はなかった。つまり―桜木を残しておいても倒木の危険性は低い、補助を入れれば現存が可能―区の決定の根本は覆せないようだ。
奇妙なことに、駅前に立つ十名ほどの団体を、地元の人間は誰も知らなかった。正体を尋ねるなんていう暴挙には恐ろしくて誰も出ないが、一体全体何者なのだろう。工事の当日以降はさっぱり姿を消してしまい、住民の記憶からもすっぱり忘れ去られてしまうのだが。
豪徳寺駅に到着した山川と詩音。邪魔になるといけないからと自転車ではなく徒歩でやってきたのだが、正解だった。既にたくさんの見物人が、5名の作業員によって進められていく様を黙って見守っていた、とても礼儀正しく。もっとずっと騒がしい現場を想像していた山川、もしもあまりに混乱した状況であればすぐに帰るつもりだったが、予想に反してとても静か。人は多いが、粛々と作業が進められたいた。反対運動や抗議活動というものもなく、押し黙って御神木の最期を見届けていた。何も知らずに駅を降りた人々は何事かと不振に感じたことだろう。大勢の一般人が見学しているということは単なる工事ということではあるまい。安全柵が設置されて間近でという訳にはいかなかったが桜木を囲って360度、地域住民らが静観していた。工事関係者からすれば、この上なくやりにくい環境である。契約に則って仕事をしているだけなのに、下手をすると悪者になりかねない。
林の中であれば「倒れるぞー」なんて叫び流れ狙った方向に大木を切り倒すのだろうが、ここは駅の敷地内。そして間違っても商店街に倒木させるわけにはいかない。ましてや何十人も静観する者がいる。
まずは次々と枝が切り落とされていった。青々とした葉をつけたままの枝があっさりと落下していく。脚立とのこぎりを使って手際よく、あっという間に桜の木がか細く見えるようになってしまった。桃色の影は微塵もないが、1ヶ月前の様子は人々の記憶に色濃く残っていた。1ヶ月前の宴会だけではない。1年前、5年前、10年前・・・好き勝手に繋いだ記憶の欠片をひとつひとつ砕いていくように―そう感じるのは傍観者ばかりで―作業を進める人間が悪者扱いされてしまう。その後、幹がロープでぐるぐるに巻かれ、あらぬ方向に倒れないよう準備が施された。あとはもう切り倒すだけ、チェーンソーで。あとには切り株しか残らない。やがてその残りも引っこ抜かれ全てが消える。いずれ記憶も思い出も。
ヴーンというチェーンソーの始動音と共に、涙を流す人も見受けられた。囲いが設けられているので間近で見守ることは叶わなかったが、その策を囲んで立ち尽くす人々。桜木の最期を看取らんと、じっと息を殺して、この決定を下した者を呪った。1分もかからなかった。チェーンソーの音が一瞬高くなり、キノコが止み、電源が落とされた。ロープで厳重に固定されていたので木が倒れることはなかったが、倒れずとも切断が完了したことはそこにいた全ての人間に伝わった。同時に「あーーー・・・・・・」という落胆の声の合唱。誰に向けられた声ではないのだが、作業員はやりにくくて仕方ない。完全アウェイの競技場でサッカーをするみたいに、悪いことをしているわけではないのに冷たい眼で見られているかのよう。『あ』と『う』の違いはあれどブーイングを受けているみたいだった。警察官や警備員は見当たらなかったが、暴動などが起こらず本当に良かった。何かあった際には収拾がつかなかったかもしれない。
ひとつ―桜木が枯れつつあったことは紛れもない事実。駅の利用者と地域住民の安全確保という説明は決して桜を切る為の大義名分ではなく、偽りのない事実であった。




