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あなたへ~山川と詩音  作者: 遥風 悠
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豪徳寺の桜①

【豪徳寺の桜】


 年に1度、小田急線の豪徳寺駅が宴の広場と化す。善くも悪くも緩く、あいまい、寛容な時代だったのかもしれない。善くも悪くも緩く、あいまい、寛容な時代だったのかもしれない。豪徳寺駅―なんならどこまでが駅の敷地で、どこからが公道なのかもはっきりしない。初めて下車した人は、気が付いたら車が走っていて驚いたなんて状況に陥るかもしれない。今も昔も大きな駅ではない。駐車場や駐輪場はなく、改札口も入口と出口がひとつずつだけ。それで往来に支障が出ることはない。各駅停車、快速、急行などが走る小田急線だが、豪徳寺駅には各駅停車しか停まらない。感覚的には停まるよりお素通りしていく電車の方が多い。乗降客数もそれなりだが、それでも通勤・通学ラッシュは存在する。電車通勤のサラリーマンや電車通学の学生は、毎朝ギュウギュウの車内に押し込まれる。混雑した時間帯を避けたご利用にご協力下さいなんて放送も流れるが、なかなかに難しい相談である。上り列車は豪徳寺から20分程で新宿駅に着く。間違ってもラッシュアワーに車内がガラガラになることはなかった。


 山川が最後に電車を利用したのはいつだったか。近々では山川よりも詩音の方が電車を利用している。週末のサッカーの試合が主だが、切符の購入はもちろん、例えば新宿駅での乗り換えも今や山川よりも詳しかった。豪徳寺駅のどこから乗れば新宿駅南口階段の目の前で降りられるか、なんていう実用的な知識も身につけていた。そんな詩音曰く、豪徳寺駅よりおんぼろな駅なんか幾らでもあるよ。豪徳寺駅より人の少ない駅もたくさんあるよ。詩音さん、山川がポロっと豪徳寺駅の嫌味でも零そうものなら、いささかムッとするのだった。

 豪徳寺駅はやや特殊な立地に位置していた。加えて、ちょっとばかりヘンテコな構造。改札を出ると(自動改札に切り替わる時期も随分と遅かった)右手方向に個人経営の飲み屋が3軒、4軒並列する。駅の敷地内に見えるのだが、とにかく楽しそうな笑い声と演歌が夜な夜な訊こえてくるのだった。また、改札正面の階段を降りると、そこは豪徳寺商店街のど真ん中。この豪徳寺商店街、地元の人間からはいつまでたっても地味で映えない静かで平凡で何もない面白くない商店街と、専ら嫌味ったらしい話しか訊かれない。その割にはシャッターの閉まっている店舗は少ないのだが。田舎臭いが廃れているわけではない。古くはあるが汚くはない。朝も昼も夕も、商店街を歩けば誰かしらが(ほうき)を持っている。名物は鳴りを潜め、目ぼしい物もないが、日常生活に必要なモノは何でも揃う。観光客はいないが人は生きている。車幅は狭く一方通行で、午後4時からは歩行者天国。地元の人間にとっての、生活の拠点だった。


 そんな豪徳寺駅には一本の桜の木が立っていた。通行の邪魔となる所に、でんと。軒を連ねる飲み屋の前に、どんと。山川が子供の頃から、ずっと。その割に普段は誰も気にも留めない。1年間365日の内11か月と数週間は、その存在を誰も意識しない。それどころか無意識の内に通行の邪魔魔物扱いしてしまう。向こう側が見えにくくなるくらいの幹の太さがある為、反対から歩いてくる人が見えずぶつかりそうになることも。それでもいつ何時たりとも、この桜にゴミが捨てられていることはなかった。コンビニのレジ袋もガムの包み紙もタバコの吸い殻も落ちていない。構内のゴミ箱が溢れ返っていても、灰皿がモクモク煙を上げていても、豪徳寺の桜木は美しいままに保たれていた。

 豪徳寺の桜も年に1回、花を咲かせてきた。桃色の淡く儚く美しい花と、赤色の(やかま)しく賑やかな花を。看板で開催が告知されることはないし、主催者もいまい。駅も正式には許可しているわけではないはずだ。年に1度、開化の宣言された週の土曜日に豪徳寺駅の桜を囲んで花見が行われる。言うなれば永きに渡る伝統行事。

 はてさて、何時ごろから始まっているのだろうか。歩行者天国の頃合いには桜の回りに人が集まっているようには見えるが、まだまだまばら。まだまだ明るい内からお酒が入るが、まだまだ静か。ちょっと立ち寄って、軽く一杯やって姿を消す者も多い。この時分では腰を下ろす者はあまりいない。ちなみに花見当日は、駅構内(と思われる立地)の飲み屋はお休みである。さて、普段と違う顔を見せる豪徳寺駅ではあるが、花見に訪れたほとんどの人間が木の前にしゃがみ込み、手を合わせていた。御神木への日頃の感謝だろうか。地域の守り神の最も美しい時にその姿を讃え、先の幸福を願う。とても神聖な1日なのだ。

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