音の力、音楽への祈り④
どうにか渋滞を抜け、山川の運転するレンタカーも通常運転に切り替わった。
「ふぅ~・・・やっと抜けたか。」
「抜けた、抜けたぁ。」
疲れを見せることもなくご機嫌の詩音。気を遣ってか興奮してか、隣の詩音が頻繁に話しかけてくれたお陰で、山川は眠気に襲われることなく運転に集中てきた。詩音は沢山の人に酔うこともなく、スタジアムの雰囲気と目の前のサッカーに没頭できたようである。指定席ということも大きかった。中継画面に映し出される大盛り上がりのサポーターは主に自由席の映像である。ゴールした時だけでなく常に大騒ぎ。45分×2ずっとうるさい(それが楽しい、選手の力になるんだけどね)。そんな環境では集中できなかったかもしれない。山川も詩音も存分に楽しめた。しかも、である。
「セリエAの方がパスのボールが速いね。トラップも正確だし、センタリングも上手。」
まさかそう来るとは思っていなかった山川。仰る通りなのだが、ちょっとばかり正直が過ぎる。同時に、肥えた目を持っているようで感心した。現段階では、海外リーグで通用するJリーガーはいないだろうし、現状を打破して海外に挑戦しようという者はいまい。妙に真面目な思考を巡らせながら、山川は本日の最終目的地へと車を走らせていた。
「なぁ、詩音。お腹空いたな~。」
噂通り、いや噂以上に環状七号線はラーメン通りだった。いったい何店舗のラーメン屋があるのかと。実際、詩音が車の中から数えていたが途中で諦めてしまった。飽きたのか、カウントが間に合わなくなったか。やがて目的のラーメン屋に到着すると
「くさい・・・」
詩音は鼻をつまんで顔を歪めた。なるほど、思っていた以上に攻撃的な臭いが店の駐車場にまで襲い掛かってきたが、これが豚骨ラーメンなのだろう。山川が1度食べてみたいと思っていた話題のラーメンである。地図で自宅から競技場までの道順を確認していたところ、途中にラーメン通りがあるではないか。このチャンスを逃す手はないなと、帰りに寄り道することを決めていた。
「ここが人気の豚骨ラーメンのお店らしい。お父さんも初めて食べるが、うまいらしいぞ。」
「ホントに~?」
鼻をつまんだまま、鼻声で疑いの眼差しを向ける詩音の気持ちは分かる。美味しそうな、食欲をそそる匂いかと言われれば首を傾げてしまう。一言で片付けてしまえば、異臭。山川はやや乗り気とは言えない詩音の肩を押しながら店内へ入って行った。詩音の奴、結構背が伸びたな―押すに丁度良い高さだった。
最終的には替え玉を頼んで、それを2人で半分コにした。ウマかった。満足だった。嵌まる人が続出という雑誌の情報を腹の底から理解した。中毒性十分、家庭やインスタントでは再現の難しい味だった。スープも然ることながら細麺のカタ麺。これまで山川が口にしてきたラーメンとは一味も二味も異なるものだった。醤油、味噌、塩にはない超がつくこってり味。詩音も最初はちゅるちゅると面を啜っていたのだが、美味しさを確認すると勢いよく麺を吸い込み、臭いの原因であるスープもレンゲですくって堪能していた。ひとつの商品で客を呼び、売上げを上げる―スーパーマーケットでは真似できない妙技ではあるが、客の目的買いの品をいかに多く揃えられるかは手前にとっても重要項目のひとつである。
そんなこんなで帰宅途中、また来ようなと約束したのだが2度目はなかなか訪れなかった。 忙しくなってしまったのだ、詩音が、サッカーが。詩音が4年生ながら、所属クラブのAチームに召集された。それは5、6年生の男子と一緒に試合をするということ。練習試合も毎週のように組まれていて、さすがについていくのが大変か、肉体的に厳しいのではないかと推察する山川をよそに、詩音のサッカー熱はますます高まるばかりだった。
詩音が初めてAチームに同行した際はやはりサブメンバー、控えメンバー、2軍からのスタートだった。その日の練習試合ではレギュラーチームの試合後、いわゆるBチーム戦で出番がやってきた。で、詩音に黙ってこっそり試合会場を訪れた。ちなみに詩音は、練習も試合も単独行動。山川が付き添うことはよほどなことがない限りはきっぱり断られる。バスも電車も独りだ。これは山川家の方針ということではなく、詩音が決めた。交通費などはもちろん渡すが、乗り継ぎや時間などのスケジュール管理は全て詩音が、詩音の責任で行った。そうすると、自分でやると詩音が断固として譲らなかった。可愛い顔してこういう所は頑固というか、こうと決めたら引かない。小学生の間はお父さんと一緒でもという提案を「嫌っ」と、大変心に響く一言で一刀両断した。山川に迷惑をかけまいということなのか、既に親離れが始まっているのか。困った山川、防犯ブザーだけはバッグにつけさせてくれとお願いするので精一杯だった。元々あまり手間のかからない娘だったが、ここ最近は輪をかけて山川が手と口を出す機会と場面が著しく減ってしまった。詩音不在の日曜日に独りでのんびり読書なんていうのも悪くはないのだが、静か過ぎる休日は時折(900分に1回くらい)、胸騒ぎを誘発してくるから少々厄介でもある。
山川は最初のAチーム戦から観戦していた。ただし堂々と他の観客に混じってではなく遠くの方から、詩音にばれないように(バレたら絶対に怒られる)。山川がまず驚いたのは、小学生ながら両チームともにしっかりとサッカーをしていたことだ。敵のゴール前にロングボールを蹴り込んで、ボールに皆で群がって、ゴチャゴチャして―そんなサッカーの真似事はとっくに卒業していた。ポジション別、各人に仕事・任務が与えられ、しばしば1対1の勝負が展開され、セットプレーもしっかりと練習の跡が拝見できた。レベルが高い。失礼ながら小学生の試合でちゃんとしたサッカーが観られるとは期待していなかった。もしかしたら詩音のチーム、なかなかの競合なのかもしれない。世田谷区内では意外とレベルの高いチームだったりして。然う斯うている内にAチームの試合が終わり、間髪入れずにBチーム戦が始まった。そしてグランドに入場する選手の中に詩音を発見。遠方からでも詩音の姿はすぐに判断がついた。幾らか背が伸びたとはいえ、明らかに回りの少年達よりも小さい。期待と懸念が両立していた山川であったが、顔色が後者の方向に揺れ始めた。急にお腹が痛くなってトイレを探しているみたいに、途端に不安が押し寄せてきたのだった。
山川の貧乏揺すりが止まらなくなった。自分を抱きしめるように腕を組んでいたが、右手の人差し指がテレビゲームのボタンを連打するみたいにずっと上下していた。何故か時々、、足踏みしたりする。他の親御さんからはかなり離れた所から独りぽつんと突っ立っていたので事無きを得ていたが、傍から見れば怪しいおじさんだ。これまで練習は1、2年生組、3、4年生組、5、6年生組に別れて行っていると訊いていたから多少は不安が解消されていたが、試合となれば話は別。背番号を背負ってフィールドに出てくれば年齢や学年、性別などは一切関係ない。プロとは比較にならないものの、小中学生だって勝負の世界は厳しく、非情。山川だってその点は理解しているつもりだった。30年前、山川が小学6年生の時、中学生と練習試合をして勝ったことがあった(山川は小学生の時に全国大会出場、中学生の時は都大会ベスト4)。当時は意気消沈し、コーチに怒鳴られる中学生チームに同情も関心も沸かなかった。勝負の世界、勝ち負けが9割5分。勝った方が強くて負けた方が弱い。公式戦であれば勝利チームには次があって、敗戦チームはそこまで。しかし愛娘を見守る山川、とてもそんな非常には徹し切れなかった。
詩音のポジションは左サイドバックだった。キックオフ直前、それを見た山川の心配は倍増した。どこのポジションであっても心穏やかということはなかっただろうが、山川が詩音にディフェンスの手解きをしたことはほとんどなかった。なにせ山川にディフェンスの経験がほとんどないのだから致し方ない。従って山川と詩音のサッカー談話はオフェンスに関することばかり。悪いことではないのだが、公園でも中継を見てもビデオを再生しても、目線が視線が視点が、どうしても攻撃寄りになってしまうのだった。盛り上がるし楽しいし、やはりゴールシーンがサッカーの醍醐味なのだから自然な流れではある。とはいえ、である。練習試合とはいえ、である。ぶっつけ本番でサイドアックをやらせるということもないだろう。コーチから普段の練習を通じて、幾らかはディフェンスの指導を受けているはずだ。そうに決まっているはずだと自分に言い訊かせて心を落ち着かせんとする山川。深く静かに息を吐きながら直近の詩音との会話を振り返ってみるが、守備に関して助言を求められたことはない。ディフェンダーの選手が話題に上った記憶もない。それを考えると、やっぱり不安の波が押し寄せてくるのだった。




