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あなたへ~山川と詩音  作者: 遥風 悠
12/28

音の力、音楽への祈り③


 筋肉が熱を持った状態では、どんなに身体が疲れていてもなかなか眠ることができない。加えて納得のいくサッカーの直後ということで、脳も軽い興奮状態にある。目が冴えてしまって、横になっても目を瞑っても1時間はそのままであった。一方の詩音はお風呂から上がると瞬く間に眠ってしまったが、それでも時計は1時を回っていた。だから、希望と可能性はゼロではなかった。

 ダメだった。しっかり起こされた。何ならいつもよりちょっと早い。山川は睡眠不足よりも筋肉痛と戦いながら布団から這い出て、、半ば詩音に引っ張られながら公園へ向かった。一晩眠って山川はこの日の目的を忘れてしまっていたが、昨晩のミニサッカーで披露したフェイントを伝授する約束になっていた。はやく、はやくと急かす詩音の前で軽くリフティングをしてボールを足に馴染ませる。詩音は山川のリフティングが好きだった。どうもバタバタ慌ただしい詩音と比べてとても静かで落ち着いているからだ。優しくボールを迎えているように見えた。余裕と優雅さを感じた。50回程ボールを蹴ってリフティングを終えた山川。所々に痛みは感じるものの動けないという訳ではない。

「よし、始めるか。」

 右足はボールの正面に置く。左足でボールをまたいでディフェンスの右側から抜けると同時に、右足のインサイドキックで球を押し出して相手の左側を転がす。ボールを敵の背後に通すことができれば突破口を開いたことになる。ボールと自分で相手を挟んで置き去りにするドリブル。この時点で向こうのバランスが崩れていればそこから立て直すことはできまい。もしも敵がフェイントに喰らい付いてくるようであれば、そこからスピード勝負。トリッキーで見た目も異彩を放つフェイントではあるが、通用するのは1回だけ。初見ならばまだしも、一度バレてしまえば簡単に見破られてしまう。警戒されてしまえばあっさりボールを取られてしまう。それでもドリブルのバリエーション、選択肢を増やすことはできる。何より見た目がカッコイイ。これが、山川がフェイントのレパートリーに組み込んでいる理由なのだが(親子だな)、そんなことは内緒。いつもは基礎・基本、トラップとパスをまず練習しなさいと繰り返す山川だったが、今日はその余裕がない。詩音を相手にドリブルをお披露目した。

 やり方さえ知っていればさほど難しいフェイントではない(大切なのは使うタイミングと場所で、敵の後方にスペースがなければ使えない)。詩音も何回か試している内にあっさりとコツを掴んでしまった。

「そうそう、上手じゃないか。」

「止まっている時は簡単なんだけど、走りながらだと難しいね。右足にボールが当たらないや。」

ゆっくりとフェイントの動きを反芻(はんすう)しながら詩音が感想を述べる。その通り。だから使い所をよくよく吟味しなくてはならない。ある程度、こちらに時間的余裕も必要だ。

「ウィング(サイドアタッカー)のポジションだと使いやすいかな。特に右サイドだと縦に抜けるか中に切り込むかで相手を惑わせることができる。詩音は足が速いからディフェンスはきっと嫌がるぞ。」

まだ詩音には理解が難しいかもしれないが、たまにはそれらしいアドバイスもできるのだ。一言くらい偉そうに助言したって罰は当たらないだろう。

「むふふふ・・・ やっぱりこのフェイント、カッコイイ。」

訊いていない。まぁ、いいでしょう。

 こんな風に土曜の朝は詩音が飽きるか、山川が朝ご飯にしようと止めるまでサッカーに没頭するのだった。『カッコイイフェイント』という発言は、女の子からはあまり出てこないよなと、複雑な心境の山川であった。




 そして現在4年生。訊いて驚け、見て笑え。なんと朝食は詩音が作っている。それが山川よりも手際よく味も良く、さらにメニューも豊富ときたらもう山川の立つ瀬がない。今となっては山川の監視下、恐るおそる包丁を握っていた頃が懐かしい。懐かしいということは戻れないということ。帰り道を失くしてしまったということだと、もっとずっと後になって気が付く山川だったが、今はそれで問題ない。

 「おはよう、お父さん。もうご飯できるから早く顔を洗ってきてね。それと今日は燃えないゴミの日だからね、ゴミがあったら会社に行く前にゴミ箱の中ね。あ、あと水筒のコップが割れちゃっているでしょう。危ないから今日は外でお茶買ってね。持っていくのはお弁当だけだよ、いい?」

「はい、よく分かりました。」

「よろしい、顔を洗ってきなさい。」

「はい・・・」

腰に両手を置いた詩音とタオル片手に直立不動の山川は目と目を合わせて微笑み、前者は回れ右で後者は洗面所へと捌けていった。立場というか立ち位置というか、この数年で家庭内の役割にはかなりの変化がみられたが、仲の良さは相も変わらず。親子というよりも恋人というよりも兄弟。しかも詩音の方がお姉ちゃんという、なんともかんともな関係であった。




 

 2学期が始まってもうすぐ1ヶ月。徐々に暑さも落ち着いてきた。再び軌道に乗った学校生活に体のリズムが慣れ始めた頃。

「なぁ、詩音。来週の土曜日、昼から空けておいてくれないか?お出かけしよう。」

「うん、いいよ。どこに行くの?」

「えっと・・・・・・内緒。」

「ふふ・・・変なの。」

 簡単に秘密を明かすわけにはいかなかった。山川渾身のサプライズなのだから―時を遡ること2週間。別の店舗に勤務する、山川と親交のある同僚が山川達の店を訪れた。依然はここの鮮魚部で働いていた、要はお魚屋さんである。なんでも高校生まで柔道をやっていて、大学の入学式で柔道部、ラグビー部、アメリカンフットボール部から熱心にスカウトを受けたにも関わらず、漫画研究部に4年間所属したという変わり者。性格は大らかで、豪快に豪傑を重ねた様―言葉遣いはちょっと汚いが―その太い指先で造られた刺身は見た目と舌触りが好評だった。人事異動で現在は別の店舗で魚を切っているはずだが今日は休みのようだ。ちなみに彼は数少ない山川の同期である。入社時には30名程いたはずの同期入社の社員は、20年近く経って3名のみとなってしまった。

 懐かしい再会に、昼休憩をとった山川。そしてどちらが誘うでもなく、裏口の喫煙所へ向かうのだった。部署は違えど気の合う2人。昔はよくこの場所で、意見を交換したり、愚痴を零したり、好きな女優の話で盛り上がったものだった。そんな思い出を振り返りながらも、わざわざ来店した真意を窺う山川。悪い予感がしない訳ではなかったが、たまには嫌な予感も外れてくれる。

「お前これ、Jリーグのチケットじゃないか。」

別に目は悪くない山川だが、チケットにこれでもかと顔を寄せる。

「おぅよ、凄ぇんだろう?なかなか手に入らねぇらしいぞ。」

「ちょっと前じゃ考えられないけどな。」

「ただし1個問題があってだな・・・俺にはその希少価値が意味を持たねぇし、チーム名も分からん。今までサッカーを見たこともねぇ若い女がキャーキャー言っているのもムカつくしな。」

1個じゃないじゃないかと心の中で呟く山川だったが、

「だからって貰えないよ。」

「お前じゃなくて詩音ちゃんを連れて行ってやれといっている。」

2人の指に挟まれたタバコの煙が微笑むみたいにユラユラ揺れた。そんな一服は実においしいのだ。

「そりゃ、詩音は大喜びするけどさ―」

 社会現象と化したJリーグ。テレビ局は(こぞ)って試合を中継した。1分たりともサッカー―を取り上げなかったニュース番組がスポーツコーナーでこれでもかとJリーグの映像と試合結果に時間を費やす。ずっとサッカーをやってきた人間にとってこのブームは嬉しい半面、掌を返したような騒ぎを素直に喜べない心境でもあった。いずれやってくる反動も恐ろしい。けれどもそんな感情をいとも簡単に吹き飛ばしてしまえるのだから、やっぱりサッカーが好きなのだ。Jリーグを観に行きたい。中継されているスタジアムの生の雰囲気を味わってみたい。

「じゃ、じゃあ、せめてチケット代を―」

「俺がその金を受け取ると思うか?」

「しかしだなぁ・・・・・・」

「しかしもカカシもねぇ。俺はサッカーを見ないしやらないし、興味がない。ひとつ感心があるとすりゃ、野球少年が減っちまうことくらいかな。」

「本当にいいのか?」

「おぅ。」

「すまん、有り難くいただくわ。」

「おぅ、それでいい。」

その後は2本目に火を点けながら、互いの店の近況報告。苦労は絶えないが、どうにかやっている。そんな情報交換だけで十分だった。


 


 試合は19時からのナイトゲーム。当日、朝食を食べながらJリーグを観に行くことを明かした山川。枕元に置いておくサプライズも考えたが、なかなかに寝相の悪い詩音さん。寝がえりと共に潰されては困ると思い留まった。同時に、代替案は思い浮かばなかった。

 「これ、な~んだ?」

「ん~・・・え、Jリーグのチケット?」

「正解。今日、観に行くぞ。3時に出発な。」

うわぁ~、と喜びの叫びと共に詩音の瞳がキラキラと輝いた。見せてみせてとチケットの裏表を穴が開くくらいに覗き込んでいた。山川にはもう感謝の気持ちしか出てこない。やっぱり詩音も観に行きたかったんだよな、そりゃ、そうだ。これまで詩音が己の欲望で何かが欲しいとか、どこかへ行きたいと駄々をこねたりおねだりしたことはない(幼稚園の時のピクニック位だが、こんなものは我欲心に入らない)。山川と詩音は親子であり、家族だ。ひとつ屋根の下で寝食を共にしてきた。けれどもそこには遠慮という壁も共存している。縮めてきたとはいえ、距離がある。いくら壊しても、壊しても壁が消えることはない―それがどうした。父であり娘である。いつか必ず、娘にわがままを言わせてみせる。


 自由席であれば、うんと早くスタジアムに到着して座席を確保しなくてはならないのだが、貰ったチケットは指定席。ゆっくりと家を出ることができた。当初は電車で向かうつもりだったが、ちょっとした、本当にどうでもいい計画を思いついたのでレンタカーを借りてきた山川。道中、『カテゴリー1(ワン)』というJリーグのオフィシャルショップによって応援グッズを購入した。今日の試合はチームカラーがブルーとイエローのゲームで、2人はブルー側の席。ということでブルーチームのフラッグとバンダナ、フェイシャルペイントを購入。そして、とんでもない渋滞を乗り越えて競技場近くのコインパーキングに車を停めてから、フェイシャルペイントで詩音に化粧を施してやった。化粧といっても目の下、ほっぺあたりに青と白のラインを引っ張るだけのものだが、詩音は青色が似合うようだ。これまで気が付かなかったが、今度洋服を買いに行くときは寒色系にしてみよう。そしてサポーター姿の詩音、これはスカウトが来ても不思議じゃないくらいの可愛さ・・・・・・などということは置いておいて―いざ、スタジアムへ!ちなみに山川の計画というのは、この買い物ではない。もっとずっと、どうでもいいことだ。


 スタジアムに入ってから、改めて詩音の手を強く握り直した。ここで迷子になったら洒落にならない。右手に詩音の小さな手、左手にチケットの半券を握りしめて目的の入場番号を探した。まずは指定された座席まで辿り着き、続いてトイレの場所を把握する、全てはそれからだ。楕円形をした競技場の弧の部分と直線部分をしばらく歩くと次第に目指す番号が近付き、やがてチケットに示された13番ゲートが現れた。

「あった、ここだ。着いたぞ、詩音。」

想像を超える人の多さに呑みこまれてしまったのか、詩音はスタジアムに入ってからほとんど言葉を発していなかった。ごく短いトンネルの様なゲートを抜けると、目の前には広大な緑のフィールドが観衆を飲み込まんとするかの様に広がっていた。大きいだけではない、美しい天然芝の、世界に誇れるサッカースタジアムである。設立当初の流行(はやり)には違いないけれども、世界一の熱狂を伴うサッカーが目の前にあった。これからその渦に飲み込まれることを思うと天にも昇りそうな気分だった。そして詩音も同感のようだ。緊張、興奮、恐怖、感動。その熱の入り方、力の入り具合が、繋いだ掌からひしと伝わってきた。

 自分達の座席の位置を確かめた山川と詩音は、キックオフ前に売店へ向かった。現在の時刻は18時30分ということで、丁度お腹の空いてくる時間である。案の定、たいそうな行列ができていたが、どうにかメニュー表を見ながら注文を決めた。

「詩音は何にする?」

「ん~・・・焼きそばと、たこ焼きと、フランクフルト!」

「食~べすぎじゃないですか?」

「一緒に食べよ。」

「そうね。そうしたらドリンクもお選び下さいな。」

言うまでもなくスタジアム内の食事は高い。飲み物も同様。味だって普通かそれ以下(失礼)。値段に見合っているかと問われるとイエスとは答えづらい。店の総菜部が同じ商品を同じ値段で販売したって客はつくまい。要はお祭り。非日常という雰囲気が味覚を、良くも悪くも麻痺させる。そりゃ、おいしいに決まっている。

 席に戻って食事を始める。キックオフまでに片付けなくてはなるまい。

「お腹をこわさないようにな。」

やがて焼きそば、フランクフルト、たこ焼きの順番で、山川の下へ各々が半分ずつ配膳された。たまにはこういうのも悪くないなと、山川もジャンクフードを満足気に平らげるのだった。


 詩音は言わずもがな、山川もJリーグを生で観戦するのは初めてである。プロ化する前は何度か競技場に足を運んだこともあったが、会場の盛り上がりは雲泥の差。今日とは異なり、主審のホイッスルがスタジアムの隅々まで響いていた。何なら最前列の席に座れば選手の声だって訊こえてきた。元来、日本においてサッカーはそれほど人気のあるスポーツではなかった。それがプロ化によって、一気に国内ナンバーワンの人気に昇り詰めた。スポーツにおけるプロ化の大成功例であり、理想並びに最終到達目標と呼べる成果だった。これより先、プロ化を目指すスポーツにとっての偉大なケース=スタディとして後世まで語り継がれ、参考にされるだろう。そしておそらくは金額的、加えて社会的影響力といった面でJリーグ以上の成功を収める例は出てこないだろう。同期から譲り受けた2枚のチケットが山川と詩音を導いた幻のような世界。スタジアムという巨大建造物、数多(あまた)の人間、ホームチームへの声援からアウェイチームへのブーイング、フィールドを駆けるスター選手から焼きそばの値段まで、全てが非日常。夢のような世界だった。

 3‐2で青チームの勝利。ご贔屓(ひいき)チームがある訳ではない山川と詩音だったが、5回の得点シーンを拝めたのは幸運だった。数万人が一堂に会して感情を爆発させるとどうなるのか、身をもって体験できた。人の声の集合体によって何も訊こえなくなるという矛盾。大騒音の中で無音が生まれる不思議。待ち望んだ瞬間を夢ではないかと疑ってしまう不気味。気を付けないとこれは癖になる。こんな環境が日常に組み込まれているとしたら、百年続けてきたとしたら、そりゃヨーロッパのサッカーが強いはずである。霊のイタリアサッカーダイジェスト番組でも観客席の様子が抜かれたりするのだが、あたかも自分の人生がかかっているかのような、心の奥底からの叫びと感情が映し出されていた。美しいゴールに老夫婦が涙を流して拍手を送ったり、ホームチームの失点を詩音よりももっと小さい少年が顔を真っ赤にして怒ったり、地元チームがスクデットを獲ろうものなら狂気乱舞(正にこの漢字4文字の通り)、翌日は会社も学校もお休みだ。百年を超えてサッカーというスポーツが多くの人気と金を生み出してきた。文化であり、日常であり、光なのだ。

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