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本日5話目。
でもさ、と少年は己が情緒の胎動に目を細めた。
「ナナが泣いてたら、どれだけの幸せも一瞬で壊れちゃうんだ」
☆☆☆
両手を合わせ、一礼。
上座の人間がカトラリーを手に取ったのを見て、ナナリアも自身のそれらを手に取った。
音を立てずに持ちあげられた銀色の二つに、ほんの僅かだけ、心が震える。
緊張、ではない。
リウイーア侯爵家から移り住んだ頃ならばまだしも、ここへ来て七年の経過した――十五歳となった今ではさすがに慣れきっている。
かつてでは考えられないほど地位の高い人間、国王陛下ならびに王太子との食事も、今では日常である。
特段寒いわけでも暑いわけでもない、空調の整えられた部屋で、では果たして何に震えたのか。
思い当たる節は確かにあって、けれど。
……もう、慣れた、なんて。
思いたくもない震えだ。
確かに、一人で食事をとっていたあの頃は、その震え以上の吐き気に、食べることすらままならなかったけれど。
今のナナリアは次期王妃で、だからこその取らねばならぬ態度というものが存在する。
幾度となく重ねた国王と王太子との食事を経て、この震えを無視することには適応していた。
ともすれば凍りつきそうな身体を素知らぬ顔で動かす。
音を立てずにナイフを引くと、少しばかりの抵抗を肉が表した。しかしそれは軽いもので、苦労なしに一口サイズに切り分けることができた。
肉はまだ脂の固まらない、暖かいものだった。
静かに手と歯を動かし、時折、喉でこくりと食物を飲みこむ。
しばらくは黙々とした時間が流れた。国王陛下と食事を共にする時の常である。
普段は王太子アフィーズと二人きりで食事をすることが多く、その場合、彼からよく話しかけられていた。
国王のいる食事では、一番に陛下が口を開く。
「アフィ、それからナナリアよ。ここ最近、何か変わったことはあったか?」
最初はいつも、二人に疑問を投げかけるという形が取られる。
そしていつもいつも、真っ先に答えるのはアフィーズの方だった。
「あのですね、父上! 聞いてくださいよ‼︎」
「うむ、どうした?」
「なんとですね、ナナがですね! この前からさらに百冊以上の本を読んだんです。もう他の国から取り寄せる方が大変だって聞きましたよ?」
さすがですよね! なんてアフィーズは自慢げに胸を張る。
毎度毎度まるで自分のことかのように笑うものだから、いい加減ナナリアも慣れてしまった。
王宮へ来た当初はそもそもが緊張に強張っていて、けれども時の流れが緩和してくれた。
ちょうどその頃に気づいたのだ。謎に自分を持ちあげるアフィーズという存在に。
最初の方は、それこそ、ナナリアが慣れやすいようにと気を配ってくれていたのかもしれないと考えていた。
だが今日までずっと、国王と一緒に食事をする時は決まってこの態度を取り続けているのだ。
なぜだろう、と思う気持ちはある。
婚約者だから、だろうか。
一度始めた手前上やめられないから、だろうか。
あるいはナナリアには把握できない理由があるから、なのか。
この謎は、珍しくもナナリアが抱えていて、かつ王宮に移り住んでからこれまでにかけて解決したことのない謎でもあった。
逆にそれ以外、彼女の理解を苦しめるものはほぼ存在してこなかった。
ハルヒリーデ王国他諸外国の成り立ちも、次期王妃として身につけるべき帝王学も。あとは、鍛錬を積んでいないため、実際にはあまり使えないが、理論としての魔法の概念も。
そもそも先のアフィーズの言っていた読書というものも、王宮の力を用いて雇うことのできる教師ですら事足りなくなったために取られている方策である。ないしは、本を読むことで知識を吸収した方が早いと判断づけられたと称すべきかもしれない。
ハルヒリーデ王国では最高レベルの教師を雇い入れることのできない現状にあることもまた、読書へ移行したいわれである。
この国はかつて、滅びかけた。
それによる悪影響は今も、しこりのように国に棲みついている。
現――ではなく、前国王の時代。
すでに財政が傾きつつあったハルヒリーデ王国にて、しかしながら前国王とその王妃、周辺貴族らは湯水のように国庫を消費した。
足りない分は、民から搾りとった。
当然の如く国は疲弊した。
助けを求めようにも、友好条約を結んでいるネリストリア王国からはすでに見放されている現状。国交はほぼ途絶えている。
加えて代替わりし現国王の治世となる頃には国を大きく変革できるほどの人材すら残されておらず、ハルヒリーデ王国は緩やかに破滅へと向かっていた。
現国王陛下はその破滅をどうにか喰い止めようと必死で国を回している。
ナナリアもそのことは知っていた。
世界一の遊園地をこの国に創ることが、想像よりずっと厳しい道であったことも。
「そうか。さすがはナナリアだな」
アフィーズの跳ねるような声に、国王陛下は穏やかな笑みのまま相槌を打つ。
「して、ナナリアよ。ひとつ聞きたいことがあるのだが」
「はい」
急に水を向けられ、内心訝しみながらもナナリアは視線を上げた。
大体がここからアフィーズと陛下の談笑に繋がっているはず。
自分の関連することで重要な事柄でもあったかと思考を回すナナリアに、陛下は真面目な雰囲気に表情を寄せる。
「最近のリウイーア侯爵領について、細かなことでも良い、耳にしたことはあるか?」
「リウイーア侯爵領、ですか?」
「ああ」
いくらか思考を回してから、答える。
「いえ、特には」
基本、ナナリアが外出することはない。
ついでリウイーア侯爵関連には王宮に来てから一切触れていなかった。
だから何かを知っていることもなく、そもそもナナリアからすると、今のリウイーア侯爵家についてはどちらかといえば思いだしたくない部類に値する存在で。
お母様、お父様と交わした約束のことは、ずっと、胸の中心に秘め続けている。
遊園地。
世界一の遊園地。
ぞわり駆け上がったのは、興奮の熱。
「何か、あったのでしょうか?」
今はまだ露見させるつもりのないそれを隠し、ナナリアはこてりと首を傾げた。
「時事には気を向けているつもりなのですが」
「そうか、知らぬか」
実は、と国王陛下。
「最近になって財政を立ち直しつつあると報告を受けたのだ。突然のことに余も驚いたのだ。ここ数年、かの状況が停滞していた故に」
立ち直す――つまり、これまではあまり良くない財政状況だった、というわけだろうか。
しかも国王陛下自らが懸念するほどに。
ナナリアの生家であることも気にかけられている理由のひとつであるのかもしれないが。
そしてそれが急に解決の兆しを見せた、と。
「もしナナリアが関与しておったのであれば、少し話が聞きたかっただけだ。知らぬのであれば良い」
それと、だ。
国王は一呼吸おく。
話は変わるのだが。
「急ではあるが明日から、ナナリアに頼みたいことがあってな」
陛下からの言葉に、あっと反応したのはアフィーズの方だった。
「父上、もしかして」
「ああ。今、アフィに任せている事案のことだ」
アフィーズとナナリアは二歳差で、すでに大人とみなされる十六を超えているアフィーズは国王陛下の補佐として働いていた。
「ナナリアも新聞で読んだことがあるはずだ」
「……もしかして」
脳裏にピンと閃いた事柄。
巷で再び騒がれていることについての話。
――護身用魔法具の暴発。
世界でも有数の農業国家たるハルヒリーデ王国にて、現在、かなり危険視されている事故である。




