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空に海  作者: 真倉あたり
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6.探し物

「パパ!窓開けてもいい?」


 空飛ぶ海の中で、少女が父親に話しかける。


「ダメだよ。お空にヒューって飛んでいっちゃうかもしれないだろう?」


 父親がつけた「ヒュー」のメロディーにクスクスと笑う少女。だが、彼女は暑くなってきた車内で、窓を恨めしそうに眺めるのをやめない。


「じゃあさ、パパと手を繋いだらいいでしょう?あたし暑くって、サオベの中のルッカ茸みたいになっちゃうわ!」


 今度は父親が笑い声をあげる。少女はその反応に満足気である。


「わかった。じゃあ、パパのお膝の上に乗ってごらん。そうしたら、運転しながらでも大丈夫だ」


 その言葉に、少女は目を爛々と輝かせる。彼女にとってそれは、窓から涼しい空気を車内に取り込むことよりも何倍も嬉しいご褒美であった。すぐさま自分の席を立ち、父親のところに駆け寄った。膝の上によじ登り、視線を前に向ける。そこには、彼女がこの世で一番愛する景色が広がっていた。




「いやあ、こんな暑い中お疲れ様。空飛ぶ海がなかったら、ここに来るまでに干からびるところだったよ」


 先ほど降りていった最後の乗客がそうウーモに声をかけてくれた。隠居生活を初めて久しい彼は、子供たちがそれぞれバラバラの村に住んでいるため、空飛ぶ海をよく利用している。それもあってか、いつも下車するときに何か一言、感謝と共にウーモに話しかけてくれる。一人でこの巨大な鉄の塊を動かすことに不安を覚える日々だが、彼らのような人々からの感謝が、ウーモにとって大きな原動力となっていた。

 緑が生い茂るこの季節、ウーモの住む空飛ぶ海は、この国の誰よりも早く、空から降り注ぐ熱をその身で受け止めていた。地上の蒸気機関車ほどではないとは言え、空飛ぶ海の火室も、何もないよりは遥かに暑い。扇風機を回すこともできるが、その動力に蒸気機関を使わなければならないので、先頭車両の気温はむしろ高くなってしまう。

 幸い湿気の少ないこの地域では、流れる風さえあれば、一番日の高い時間だとて茹だるようなその暑さからは解放される。そこで、乗客が一人もいないこの時間、ウーモは汽車内のドアや窓を開けたまま、空を飛んでいる。そのため、普段あまり掃除が好きなウーモではないが、この時期は車中の物が飛んで行かないように整理整頓がきちんとなされている。前に一度掛け布団が飛んで行った時は、それを探すのに丸一日を費やしてしまったのだ。

 あの日、カルダとラタンにバタバタと別れを告げてから、そよ風の月が終わり、満開の月になったというのに、ウーモは母の元へ帰ってはいなかった。ただただ忙しかったというのを言い訳にしていたところもある。この時期、港では遠洋への漁期が始まり、空飛ぶ海の利用者が一気に増える。この辺りの漁師は、雪が降り始めると海から家族の住む故郷に戻り、また暖かくなり始めると出立の準備を整え、海へと働きに出る者が多い。また他の多くの仕事が始まる季節でもある。空飛ぶ海がその運行を止めてしまうと、彼らの多くが何倍もの時間をかけて陸路を行かなければならないことを思うと、ウーモは自分の仕事を休むことができなかった。

 だがしかし、そんな忙しさもピークを越え、実際に乗客のほとんどいない日も出てきた。ウーモはこれ以上仕事の忙しさを言い訳にすることができなくなってきていた。このまま本当に帰らないと、カルダたちに嘘をついてしまったことになる。初対面の自分にあれほど優しくしてくれた彼女たちに嘘をつくのは、たとえ彼女たちにばれなかろうとも心苦しい。彼女の頭の中には、母と最後に会った日の映像が、この朝からの空飛ぶ海の軌道と同じようにグルグルと回っていた。




 国の西側に一人の商人がいた。若い時分の情熱を仕事に注いでいた彼は、四十を超えてから故郷の村に戻り、そこで娶った妻との間に一人の娘を授かった。ターニャと名付けられたその少女は両親の愛情を一心に受けて育った。そのおかげもあってか、ターニャは才気あふれる自信家となり、その器量からも常に人々の中心となっていた。商人はますます娘を誇りに思うようになった。だが、そんな幸せは長く続かず、娘が成人してから幾日も経たぬある日、彼とその妻は、不運にも金品目当てに家に押し寄せた強盗と出くわしてしまい、その生涯を終えることとなってしまった。

 残された一人娘ターニャの塞ぎ込み様は誰の目から見てもひどく、それまでは常にスポットライトを浴びているかのように光り輝いていた彼女がめっきり引きこもるようになってしまった。友人に誘われても、部屋から出る気力は出ず、だというのに残された遺産のせいで来る日も来る日も契約書に目を通さなければならない日々。彼女はそのことを誰にも言ったことがないが、この時分自ら命を絶ってしまおうかとさえ考えていた。

 そんな鬱屈とした日々の中、彼女がいつものように山積みになった書類を睨みつけていると、遙か上空から何かが軋むような音が聞こえた。それに引き寄せられるように、ターニャが窓から空を見上げると、そこには美しい海のような煙をまとった汽車が飛んでいた。その幻想的であり得ない光景を目にし、彼女は考えるよりも早く、数日ぶりに家の外へと飛び出した。

 その汽車は町の近くに着陸し、中からはひょろりとした一人の男が降りてきた。町中の視線を集めながら、その男は自分の名前をフーゴと名乗った。

 その日、ターニャは自分をまた外の世界へと連れ出してくれたフーゴに一目惚れし、やがて結ばれた。数年後にはウーモとスーという二人の子宝にも恵まれた。幸せいっぱいの家庭だった。

 しかし、深雪の月のある日、その幸せな家庭から父親であるフーゴが若くしてこの世を去ってしまった。父と母を失い、さらには最愛の夫まで失ったターニャは自分の不幸を呪った。なぜ自分ばかりがこんな目に遭わなければならないのか。だが、そんな絶望の崖を転がり落ちるすんでのところで、自分には娘と息子がいるということに気づき、踏みとどまることができた。彼女はその寂しさの中、子供達と手と手を取り合って、いくつもの苦難を乗り越えていかなくてはならなかった。だが、後にして考えれば、その苦難があったからこそ、彼らの家族としてのバランスは保てていたとも言える。

 フーゴの死から一年が経った。ターニャはその現実から逃避するように、そして自分の子供を守るために仕事へと打ち込んだ。もともとの才や、商人であった父親の伝手を余すことなく使った結果、彼女が始めた農作物の流通ビジネスはあっという間に軌道に乗った。それに加えて朝から晩まで働くものだから、その業績が他の追随を許さなくなるのに時間は掛からなかった。

 だが一方で、仕事や彼らの生活が安定し始めたことをきっかけに、これまで立ち直ることで必死だった彼ら家族の  より正確に言えば母と娘の  間に、それまでに見て見ぬふりをしていた些細な人間関係のズレがはっきりと浮かび上がりはじめていた。

 そんな頃、ウーモは町外れの停留所に置かれたままとなっていた空飛ぶ海を事あるごとに訪れていた。学校でうまくいかなかったとき、母親と喧嘩したとき、例え地上にあったとしても、空飛ぶ海の車内は、ウーモが一番安心できる場所だった。

 ある日、いつものようにウーモが学校帰りに空飛ぶ海の中でくつろいでいたときのことである。なぜかターニャと黒い正装に身を包んだ初老の男性たちが、空飛ぶ海に向かって歩いてきているのが見えた。何か不穏な気配を察し、ウーモは外から見えないように体を隠しながら、彼らの会話に聞き耳を立てた。


「――だが、運転方法を誰も知らないんだろう?」


「それならバラバラにして地上の汽車のパーツにでもすればいいじゃない」


「そんな簡単なことじゃないんだよ、ターニャ。それに、本当にいいのかい?フーゴの形見だろう?」


「いいのよ。これのせいであの人は……。はやく売りたいの」


「誰か中にいるのか」


 ターニャの「売りたい」という言葉に、ウーモは自分が隠れていたことも忘れ、音を立ててしまった。それを怪しんだ男の一人が声を上げた。

 急いで、かつ音を立てないように、彼らのいる側のドアの壁に張り付くウーモ。そこにピッタリとくっついていれば、窓から覗かれても見つからないことを知っていたのだ。子供の頃から幾度となく、そうやって母親から隠れていた。

 作戦はうまく行き、男たちが空飛ぶ海の外壁をよじ登り、窓から車内に目をやるも、ウーモを見つけられなかったようで、ザザッと地面に降りる音が聞こえた。

 それと同時に、ウーモの中で「絶対に売らせたりなんかさせない」という強い意志が燃え上がった。

 父の死後一年間の周囲の言葉や態度から、ウーモは空飛ぶ海の動かし方を理解しているのは、毎日のように父とともに空を飛んでいた自分だけだと確信していた。そして彼女はそのことを周囲に隠していた。いずれ時がくれば飛び立とうと思っていた。今日それが早く来ただけだと決心する。運転席の座席の下に隠してある父の金庫を静かに取り出し、ウーモはそれを開錠する。フーゴがだれにも教えていないその番号が、ウーモとスーの誕生日を合わせたものであることはすでに発見していた。




 ターニャは、自分の娘があのとき、青い煙をあげて自分の目の前から飛び去ってしまった原因を、自分が空飛ぶ海を売ろうとしたそのことたった一つだと思っている。そして、自分が娘を怒らせたその行動ですら、正義のために、娘のためにしてあげたことだと信じており、言うことを聞いてくれない娘がいつか「改心」してくれると願っている。

 ウーモは自分を産み育ててくれた母への感謝をもちろん持っている。早くに両親と夫を失った彼女に同情している部分だってある。だが、それを踏まえても、彼女のことを人として好きではないということに気がついたのだった。母と娘ではなく、人と人として受け入れられない部分がある。そして母はそういった自分の部分を正しいと信じてやまない。彼女が空飛ぶ海を売ろうとしたことは、何よりも許せないことだし、離れることを選んだ一番大きなきっかけではある。だが、それ以前からウーモは彼女と長く共にいることはできないと感じ、今自分が離れるのが最善であると判断したのだ。後悔はない。だが一点、残した弟への申し訳なさは残る。

 父親に似て優しく誰にでも分け隔てのない性格で、いつも誰からも愛されていたスー。愛想もなくいつも一人でいた姉にすら、溢れんばかりの愛を向けていた少年だ。

 春先にもらった彼からの手紙にウーモは驚かされた。いつの間にあんなにもちゃんと手紙が書けるようになったのか、男の子らしい大きな文字で近況がつらつらと綴られていた。二年会っていない間に、どれだけ背が伸びただろうかとウーモは想いを馳せる。母は彼のことを溺愛していたし、彼も問題を起こすような性格ではない。手紙からも学校の友人たちと楽しく過ごしている様子が読んで取れた。だが、それはあくまで彼の書いてくれたものでしかない。


「スーに会いに行こう」


 母親ではなく。

 誰に聞かれるでもない一人の空でウーモは言い、車内の窓とドアを閉めていく。

 運転席に座ったウーモは地図とコンパスを見て、自分の故郷の方向を確認する。グルっと右を向き、まっすぐ進めば、あっという間に辿り着いてしまう。


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