7.第二章 義郎さん エピソード3
「圭太、最近、アルバイトばかりに一生懸命になっているけど、大学の勉強の方は大丈夫なの?」
そう訊いてきたのは、母だった。
「母さん、心配いらないよ。大学はちゃんと、講義に出ているから」
そう言って、背負っていた通学用のリュックをわざと母の方に向ける。講義に出ることと、大学の定期試験に合格することとは別問題だったが、心配する母の手前、とりあえずそう答えておいた。
久しぶりに明るい時間帯に帰宅して、ダイニングに顔を出した僕の顔を、訝しそうに見つめていた母だったが、火にかけた鍋からお湯が噴き出しそうになっているのに気づいて、慌ててコンロの火を緩める。
「それで、アルバイトの方はどうなの。遊園地で働いているんだって?」
「あぁ、『夢と魔法の冒険ランド』でね。僕が担当しているのは、メリーゴーランドだけど、何しろ機械が古くてさ。しょっちゅう止まってしまうから、その度にお客さんに謝って、修理の人を呼ばないといけないんだ」
「へぇ、あの遊園地は、私が子供の頃からやっていたからね。学校の友達が、よく遊園地に遊びに連れて行ってもらっているのを聞いていたけど、当時はすごい混雑だったみたいだけど……」
話を途中で切って、沸騰したお湯に皮をむいたジャガイモを入れて、煮始める。今夜の夕飯は、肉じゃがだろうか。
「今は空いているのかでしょ。まぁ、あんな古い遊園地だからね。来るのは、小さな子供を連れた家族連ればかり。たまに、僕らぐらいの年齢のカップルがやってきて、大して怖くもない遊具に乗って、『キャーキャー』叫んでいるけどさ。昔のように、三十分もメリーゴーランドに並ぶってことはないかな。あっ、母さんも、子供の頃はあの遊園地に行ったことがあったんじゃないの。昔のことはよくわからないけど、他に遊ぶ場所がなかったみたいだから……」
「いいえ。私は、連れて行ってもらったことはなかったかな。お父さん、あっ、圭太のおじいちゃんのことね、私が生まれる前におじいちゃんを亡くして、お母さん、いや圭太のおばあちゃん、内職をしながら一日中働いて、私を育ててくれていたから、遊園地に連れて行ってとは言えなかったな」
「そうなんだ、おばあちゃんが……」
最後まではっきりと言わなかったのは、母の口から祖母の話が出て、優しかった祖母の顔を思い出してしまったからだった。
母は今でこそ仕事を辞めて専業主婦をしているが、もともと正社員として働いていたので、僕は必然的にこの近くの祖母の家に預けられていた。祖母の家から、幼稚園や小学校に通った。そして、帰るのも祖母の家。参観日には、母の代わりに祖母が見に来てくれたし、僕が熱を出して授業の途中で帰らないといけないときも、祖母が迎えに来てくれた。
ある意味で、僕のこれまでの人生の三分の一は、祖母の家で育ったようなものだったが、結婚してそれほど月日が経たないうちに夫を亡くした祖母にとっては、孫である僕が祖母の家に入り浸っていたのは、独り暮らしをしていた祖母にとっては、寂しさを紛らわすことに繋がっていただろうか。
とにかく、僕はおばあちゃん子だった。そんな大好きな祖母が、昨年病気で亡くなってしまった。ようやく祖母を失った悲しみから、立ち直りかけていたところだったのに、不意に祖母の話が出たものだから、僕は戸惑ってしまったのだった。
「今だから、言うけどね。圭太のおばあちゃん、おじいちゃんを亡くしたことで、決して私には悲しい顔を見せなかったの。きっと、私が心配すると思ったんだと思うわ。だから、いつだって平静を装って強く生きようとしていたけど、私を身ごもっているときに、おじいちゃんが亡くなったらしいから、心に負った傷は深かったんじゃないかしら。あちち……」
母は、箸でつつきながら、ジャガイモの茹で加減を確認している。
「あぁ、そうだったんだ。おじいちゃんは急な病気で亡くなったと、おばあちゃんから聞いたことがあったけど……」
「私も、そのあたりのことはよくわからないわ。私が生まれたときには、おばあちゃんと二人きりだったからね。でも、おばあちゃんは、私が寂しがらないように、休みの日には、近くの公園で遊んでくれた。本当は、遊園地に連れて行こうとしてくれていたんだけど、おじいちゃんが亡くなってから収入が減ってしまって、そんな余裕はなかった。もちろん、学校の友達が、家族で遊園地に行ってきた話をしているのを聞いたときは、寂しかったわ。そのことで、自分の置かれた境遇を人知れず恨んだこともあった。だけどね、おばあちゃん、必死だったの。だから、私は我慢した。その代わりに、夜、寝ている間に見る夢の中で、何度もあの遊園地に連れて行ってもらったわ。家族三人で、仲よく手を繋いでね。買った回数券がなくなるまで遊具に乗せてもらって、レストランでお子様ランチを食べさせてもらった。夢のような時間だった。その夢を見ている間だけは、学校で嫌なことがあっても、忘れることができたわ。明日はきっとよくなるって思えた」
「そっ、そうだったんだ……」
淡々と過去を振り返りながら語る母の言葉を、僕はいつしか聞き入ってしまっていた。
「だからね、圭太が遊園地でアルバイトを始めたと聞いて、しかもそこは私が連れて行ってもらいたかった場所だったから、なんだか不思議な縁を感じるのよ。遊園地の仕事は色々大変だと思うけど、時代が変わってもそこで過ごすのを楽しみにしている人たちがいるだろうから、その人たちのためにも、圭太、頑張りなさいよ。あと、大学の勉強の方もしっかりね」
「えっ、あぁ、わかっているよ」
とっさに手を頭の後ろに遣りながら、そう答える。
「もうすぐ、ご飯ができるから、鞄とかを片づけてきなさい」
母に促されるようにキッチンを出た僕は、ゆっくり二階の部屋へと上がった。




