6.第二章 義郎さん エピソード2
メリーゴーランドの遊具に戻った僕は、客が来るのを操作室の前で待つことにした。狭い操作室の中は、真夏の強い日ざしを浴びて、まるでサウナ状態。たった一分でも中に留まっていれば、たちまち体中から汗が滝のように流れて、熱中症に罹ってしまう。
ただ、ひたすら待っていても客が寄ってこないのは、なんとなく目に見えていた。一回の乗車が三百円、安いのかどうかはわからないが、三百円もあれば百円ショップで、おもちゃを三つ買える。それに、わざわざこんなちっぽけな遊園地に来なくても、携帯ゲームや動画サイトなど、楽しいことなら他にいくらでもある。そんな現代に生きる子供たちの興味をひこうと、僕はいつしか道行く子供たちに両手を振って、愛嬌を振りまいていた。
「ばぁば、わたし、これにのりたい」
女の子の声が聞こえたような気がして振り向くと、小学校に入る前と思しき白のワンピース姿の女の子と、乳母車を押した女性がこちらを見ながら立っていた。女性は、見るからに足が悪そうで、とても高さのあるメリーゴーランドに乗れそうになかった。
「ばぁばは、足が悪くて乗れないの。恵美ちゃんが一人で乗るのなら、ばぁば、乗せてあげるよ」
「いやだ、わたし、ばぁばといっしょじゃなきゃいやだ」
そんなやりとりが、僕の目の前で繰り広げられていた。
「もう、恵美ちゃんったら、困ったわね……」
そう言って、眉を顰める女性と目が合ってしまって、僕は慌てて作り笑いを浮かべる。
「わたし、これにのりたい。のりたいの」
なおも、乗りたいとせがむ女の子。しまいに、乗り場の前で女の子が声を出して泣き始めてしまったので、僕はどうしたものかと考えを巡らせた。
「ねぇ、恵美ちゃん、恵美ちゃんはメリーゴーランドに乗りたいんだよね」
いつの間にか、僕は女の子のそばにしゃがみ込んで、話しかけていた。
「うん、わたし、ばぁばといっしょにのりたいの。だって、ばぁばのこと、だいすきだから……」
それを聞いた僕は、はっと肩を上げた。そう言えば、僕にも同じようなことがあった。あれは、僕が幼稚園の年長の頃だっただろうか。お遊戯会を頑張ったご褒美に、祖母にこの遊園地に連れてきてもらった。そこであろうことか、僕はジェットコースターに乗りたいと言い出したのだ。コースターが駆けまわる姿を見て、格好いいと思ったからだった。
実は僕の祖母は、ジェットコースターのような激しい動きの遊具は大の苦手だった。だから、見ていてあげるから、僕に一人で乗ってくるように言ったのだが、なにしろまだ五歳の子供だった。いくら乗りたいと言っても、一人で乗れるような代物ではなかった。
きっと、この女の子と同じように、泣きじゃくっていたのだと思う。そのとき、見知らぬ女の人が声をかけてきてくれた。
「僕、どうしたの。これに乗りたいの? それじゃぁ、お姉ちゃんが一緒に乗ってあげるよ」
そう言って、見知らぬ女の人は、祖母に何かを話しかけたかと思うと、僕の腕を引っ張って、一緒に乗ってくれたのだった。
生まれて初めて乗るジェットコースターにいざ乗り込んでみると、下から見ているよりも怖く感じた。まだ動いてもいないと言うのに。
僕は、泣きそうになった。祖母に無理を言ってしまったことを、後悔していた。そんな僕の様子を見て、隣に座る女の人がこんなことを言ってくれた。
「大丈夫、このジェットコースターは、夢と魔法の国に冒険に行くんだよ。お空を飛んでいる間、少し揺れるけど、ここにしっかりつかまっていたら大丈夫」
女の人に言われたように、僕は動き出す前から安全バーを必死に握っていたと思う。やがて、コースターは坂道を上り始める。背中から伝わってくる振動や音に、僕の心は悲鳴を上げそうになっていたが、いつの間にか僕の手に温かいものを感じた。バーを握る僕の手の上に、女の人の手がかぶさっていた。「大丈夫、すぐに終わるよ」と、優しく囁きながら……。
「うわぁ……」
「キャー」
そんな悲鳴が前後から聞こえた。僕は前を見ていられずに、目を必死に閉じていた。「ビューッ」と風が耳元を切る音。ふわっと浮くような感覚。なんだかわからないけど、気持ちがいいと思った。鳥になって大空を飛んでいるような気分だった。
あっと言う間に、ジェットコースターは線路を駆け抜け、僕が恐る恐る目を開いたときには、もとのホームに到着していた。
「やったね。ちゃんと乗れたね」
女の人は、そう言って、僕がコースターから降りるのを手助けしてくれたのだった。
そうそう、そんなことがあった。降り場で待ってくれていた祖母に、女の人と一緒にジェットコースターに乗ったことを話そうとしたときには、女の人はどこかに消えてしまっていたっけ。まるで弱虫な僕の背中を、そばで優しく押してくれた人だった。
今、僕は、一人の女の子を目の前にしている。この女の子は、おばあちゃんと一緒にメリーゴーランドに乗りたいと願っている。それは、単に一緒に乗るという意味を超えて、大好きな祖母と一緒に、遊園地で過ごした思い出を作ろうとしているのだ。ここで作った思い出は、もしかしたら女の子がこれから先を生きていく上で、大きな道しるべになるかも知れない。だから、なんとしてでも、この女の子の願いを叶えてあげたかった。
ふと、乳母車を押している女性を見ていて、閃いたことがあった。女性のもとに駆け寄ると、僕は乳母車についていたウサギのぬいぐるみを貸してもらった。
「ねぇ、恵美ちゃん、もしかしたらこのウサギって、恵美ちゃんがおばあちゃんにプレゼントしたものかな?」
そう訊くと、女の子は目元を腕で拭いながら、
「うん、ばぁばのおたんじょうびに、ママといっしょにプレゼントしたの」
と、答える。
「それじゃあ、このウサギさんは、恵美ちゃんとおばあちゃんとをつなぐ宝物だね。お兄ちゃんにいい考えがあるんだ。恵美ちゃんのこの鞄に、このウサギさんをつけてあげるよ。これを持っていたら、恵美ちゃんは一人じゃないよ。大好きなおばあちゃんと一緒に、冒険に出かけられるよ」
一か八か、僕は女の子に、そう話していた。義郎さんに言われたように、最高の笑顔を作って。
「うん……」
女の子は、なおも不安そうな表情を浮かべている。
「大丈夫。恵美ちゃんがおばあちゃんと一緒に冒険に出かけるのを、お兄ちゃん、ここから見ていてあげるよ。だから、お馬さんに乗れるかな? どのお馬さんに乗りたい?」
「あの、おうまさん」
女の子がゆっくり指さしたのは、並んで二人が座ることのできる馬だった。
「よし、わかった。それじゃ、このウサギさんを、鞄につけるからね」
そう言って、僕は女の子が肩から斜めに掛けている鞄の金具の部分に、ぬいぐるみを結びつけた。決して途中で離れてしまわないように、かたく結んで。
それから、女の子を抱きかかえて、馬に乗せてあげた。
「それじゃ、恵美ちゃん、いくよ。おばあちゃんと一緒に、冒険にしゅっぱーつ」
スタートボタンを押して、徐々にメリーゴーランドが動き始める。最初は強張っていた女の子だったが、上下に揺れる動きに慣れてきたのか、いつしか顔がほころんで、白い歯を見せながら笑っている。
その様子を、両手を振りながら見ていた僕は、遊園地が持つ不思議な力を感じていた。たとえ悲しいことがあったとしても、ここにいる間だけはそれを忘れて笑顔で過ごすことができる。義郎さんが、このメリーゴーランドをピカピカに磨いていたのも、もしかしたらそんな子供たちの笑顔が見たかったからではないだろうか。
「おにいちゃん、ありがとう。わたし、ばぁばといっしょにたのしかったよ」
「恵美ちゃん、おばあちゃんと一緒に乗ることができて、よかったね。また、遊びに来てね」
「うん、またメリーゴーランドにのりたいな」
メリーゴーランドから降りた後、女の子とそんな会話を交わした。やがて、女の子は女性と一緒に歩いて行った。ときどき僕の方を振り向いて、手を振っている女の子の姿を見ていて、僕は思い切って女の子に声をかけてよかったと思った。
とまぁ、アルバイトを始めて、ここ数か月、色々なことがあった。なんとか辞めずにここまで続けられたのも、義郎さんたちスタッフの方々に、よくしてもらっていたからだろうか。
「えへん、では今日の講義を始めます。テキストは三十ページ」
いつの間に入ってきていたのか、教授がマイク越しに咳ばらいをすると、それまでざわついていた講義室が、一気に静まり返った。
僕は、自分の頬を軽く叩いて眠気を払うと、ほとんど開いたことのなかったテキストのページをめくったのだった。




