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遊園地の忘れもの  作者: 松山 さくら


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5.第二章 義郎さん エピソード1

「最近、資格の勉強を始めたんだ。取っておくと就職に有利だって聞いたからね」

「へぇ、俺は公務員講座に通い始めたぜ。少しでもいいところに就職したいからな」

 鞄の中から筆記用具やノートを出して、講義を受ける準備をしていたら、どこからともなく学生たちの会話が聞こえてきた。耳をそばだてて聴くつもりはなかったけれど、『資格』や『就職』といった言葉に、身体が勝手に反応してしまう。

 僕は、まだ大学一回生の折り返し地点に差しかかろうとしているところだけど、そう遠くない未来に、就職を果たさなければならない。それはわかっているつもりだけど、どこか自分には関係のないことのように思っている僕がいる。単に、現実から逃げているだけなのかも知れないが、少なくとも今は、自分の将来のことなんて考えても何も見えてこないし、考えたくもなかった。

 アルバイトには、あれから毎週末のように行っている。初めの一か月間は、義郎さんがついていてくれたが、二か月目からは僕一人で任されるようになった。それはある意味で、嬉しかった。なんだか、僕の働きが認められたようで……。

 ただ、仕事に慣れてくるのに比例して、まるで僕の心の中のローソクにぽっと火が灯ったように、ある思いが湧き起こった。

 それは、『働く』って、どういうことなんだろうということ。当たり前のようでいて、これまで考えもしなかったことだった。

 そもそも、働くのはお金をもらうため。それはそうだろう。お金がなければ、生活していけないのだから。でも、ただお金を稼ぐだけなら、どんな仕事だって構わないだろうし、さっき学生たちが話していたように、できるだけいいところに就職、それも楽してお金を稼げるところがいいに決まっている。

 だけど、その一方で、義郎さんのような働き方もある。自分に任されたこと以上のことをする。それをやったからって、誰からも声をかけられないし、給料が上がる訳でもない。まるで、何かに取りつかれたかのように、黙々と手を動かす義郎さんのことが、妙に気になっているのは確かなことだった。

 そんな義郎さんと、話す機会があった。朝八時から閉園後の午後六時まで勤務を割り当てられている僕には、途中何度か休憩時間が与えられていた。季節は、すっかり夏本番と言ったところで、炎天下での仕事は過酷を極めた。早々と昼食を食べ終えて、冷房の効いた休憩室で休んでいたとき、不意に義郎さんが入ってきた。

 頭にタオルをかけて、その上から麦わら帽子を被っている。薄緑の作業着は、泥で茶色に変色していた。

「あっ、義郎さん、お疲れ様です」

 僕は、瞬時に立ち上がって、あいさつをした。そうすることを教わった訳ではなかったが、なんとなく義郎さんたちシニアのスタッフを目の前にすると、身体が勝手に動いてしまう。

「あぁ、そのままで」

 席に座っているように、とのことだろうか。僕は、恐縮しながら、もとの席につく。

 すぐにガチャンと何かが落ちる音がした。それも二回続けて。

「コーヒー、飲むかい?」

 そう言って、義郎さんが手渡してきたのは、自動販売機で買ったばかりの微糖の缶コーヒーだった。とっさに、それを受け取った僕は、軽く頭を下げてから、義郎さんに続いて、プルトップを引く。カチンという音が、他に誰もいない部屋の中に響き渡った。

「あのう、義郎さん。ここで働かれて、長いんですか?」

 そう訊いたのは、他に話しかける言葉が思い浮かばなかったから。

 それに対して、義郎さんは、表情を変えることなく答える。

「退職してからだから、かれこれ、七年になるかな」

「七年ですか……」

「前にも話したと思うけど、僕は機械をいじるのが好きでね。逆に言えば、人と関わるのが苦手なんだが、ここの機械は今のハイテクなものと違って、どれも年季が入っているだろう。その日の朝に機械を動かしてみて、機械のその日の調子がわかるんだ。人間と同じで、古い機械にも機嫌ってのがある。そんな機械の声に耳を傾けるのが楽しみでね。そうやってここで働いているうちに、気がつけば七年もお世話になってしまったという訳さ」

 そう話して、義郎さんは缶コーヒーをひと口啜ると、窓の向こうで動いているローラーコースターを眺める。

「僕、アルバイトは初めてだったんです。たまたま、大学の学生会館でここの仕事を見つけて、それで働こうと思ったのですが、実際やってみて、小さな子供を相手するのは大変だと思いました。中には、メリーゴーランドが動き出して、急に泣き始める子供もいて……」

「ははは。ここは、子供たちにとっては『夢と魔法の冒険ランド』だからね。離れたところから見ていて、乗ってみたいと思った遊具でも、実際に乗って動き出してみたら、思っていた以上にスピードが出ていたり、回転が強かったりして、戸惑う子供も多い。だけどね、そんな子供でも、乗り終わった後はすっきりした顔をしているものさ。何か、大きなことを成し遂げたときのようにね。大人にとっては、時代遅れの遊具かも知れないが、子供にとっては夢と希望を体験できるもの。そうやって、幼い頃に家族やおじいちゃんおばあちゃんと一緒にここで過ごした時間は、その子供が大きくなってからも、心に強く残っているものさ」

「そっ、そうですよね。僕も、子供の頃、よく祖母にここに連れてきてもらった記憶があります。幼稚園のお遊戯会を頑張ったご褒美に。祖母と一緒に乗り物に乗って、レストランで美味しいものを食べて、とても楽しかったのを覚えています。そんな夢のような時間が、いつまでも続けばいいなって。『おばあちゃん、また一緒に来ようね』って約束したのが、まるで昨日のことのようです。そういう意味では、ここは僕がおばあちゃんと一緒に過ごした、思い出の場所なのかも知れません」

 僕の話を、義郎さんは頷きながら聞いてくれていた。そうして、義郎さんが缶コーヒーを全部飲み干したとき、僕は何げなく訊いた。

「義郎さんも、ここで働かれているということは、ご家族で過ごされたこととか、何か思い出があるのですか」

 それを聞いた義郎さんの顔に、ほんの一瞬陰りのようなものが現れたように感じた。だけど、義郎さんはそれをすぐに隠すと、また窓の外に目を遣りながら続けた。

「僕が、別れた妻と付き合っていたときに、よく二人で来ていたかな。今でこそ、映画館とかテーマパークとか、他にいくらでも遊べる場所はあるのだろうけど、当時は今と違って、遊べるところと言えば、ここくらいしかなかったからね。それはそれは、大行列だったよ。圭太君が担当しているメリーゴーランド、実はその頃からあってね、休みの日になると三十分ほど待たされるほどの盛況ぶりだった」

 今では、思い出したようにしか客が来ないメリーゴーランドが、かつては三十分も待ち時間があったことは驚きだった。でも、それ以上に引っかかったのは、義郎さんが話した「別れた妻と付き合っていたときに、よく二人で来ていた」という言葉。詳しい事情はわからないけど、義郎さんと奥さんとの間に、何か悲しい出来事が起こったことくらいは想像できた。

 だけど、そんなことは、面と向かって訊けないし、軽々しく訊くべきではないだろう。そう思った僕は、なんとなくそれ以上、その話を続けることが躊躇われたので、代わりに大学のことを話すことにした。何を勉強しているのかだけではなく、将来に不安を持っていることも……。

 話し終えて時計に目を遣ると、あと少しで休憩時間が終わるところだった。なんだか、僕が一方的に話す形になってしまったが、僕が慌てて部屋を出て行こうとすると、義郎さんは表情を少しだけ緩めて、

「お客さんの前では、笑顔を忘れないようにな」

 と、言った。

「あっ、はい。ありがとうございました」

 僕はそう言って頭を下げると、休憩室を後にした。


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