12.第三章 再会 エピソード4
一か月ぶりに入った祖母の家は、少し空気が淀んでいるだけで、中の物に変わりはなかった。
昨年、祖母が亡くなってから、祖母が住んでいた家を母が引き継ぐことになったのだが、他に使い道もなく、ずっとそのままにしていた。人が住まなくなった家は、傷むのが早いと言うが、まさにその言葉の通りで、壁に貼ったトタンが風に吹かれて外れそうになっていたり、狭い庭には夏の間に生い茂った雑草が枯れたまま不気味に残っていたりする。そのままでは防犯上よくないので、僕がこうして定期的に訪れては、修理をしたり窓を開けて風通しをよくしたりしていたのだった。
ひと通り、作業を終えた僕は、かじかんだ手を温めようと、祖母がよく座って過ごしていた炬燵に入ってみる。静かだった。炬燵のジーンという音だけがやけに大きく聞こえてくる。
なんとも重々しい空気に耐えかねて、テレビのリモコンに手を伸ばす。電気は引いたままになっていたので、テレビはすぐに点いた。昔、流行ったとかいう恋愛ドラマが終盤を迎えるところだった。毎日見ている人にとっては、手を止めて画面に釘付けになるシーンだったが、特に興味は湧かなかったので、チャンネルを変えてみる。物価高を取り上げたワイドショー番組や、羽毛布団を売る通販番組が放送されているだけで、とりとめて見たい番組は放送されていなかった。
リモコンの電源ボタンを押すと、再び静寂に包まれた。子供の頃は、自分の居場所のように過ごしていた家も、祖母が亡くなってしまった途端に、知らない人の家に来てしまったみたいで、なんだか落ち着かない。僕は、祖母がここで生きていた痕跡を探してみたくなった。
ふと、思いついたのは、炬燵を挟んで向かいにある箪笥。一番上の抽斗を開けながら、「おばあちゃんの大事なものは全部、ここにしまってあるんだよ。ここはおばあちゃんの宝物箱」そんなことを、まだ幼い僕によく話していたっけ。
預金通帳や家の権利書なんかは、祖母が亡くなってすぐに母が持ち帰っているかも知れないけど、まだ何か残っているかも知れない。そう思った僕は、何かに引き寄せられるかのように、箪笥に近づいた。
「おばあちゃん、ちょっと開けるね」
なんだか祖母の秘密を覗いてしまうみたいで、きまりが悪くなった僕は、心の中でそう呟いた。それから、ゴクッと唾を飲み込むと、まわりに誰もいないことを確かめてから、抽斗を開けた。
「えっ、これって……」
抽斗の中を見てみて、最初に僕の口から漏れた言葉だった。ほとんど何も入っていないと言うか、封筒が一つ、忘れ去られたように残っているだけだった。お金のような大事なものは母が預かっているとしても、他に写真や届いた手紙、お土産にもらった物など、もっとたくさんの物が入っていたはずなのに……。
もしかしたら、病気が見つかって死期を悟ったとき、祖母が処分したのかも知れない。几帳面だった祖母のことだ。通帳などの大事なものは、事前に母に託していて、後で困らないようにしていたのかも……。
なんだか、肩透かしを食らった気分だったが、わずかに残されていたその封筒を取り出してみる。飾り気のない定型サイズの茶封筒。表には祖母の名前とこの家の住所が書かれていて、五十円の切手の上には消印が押されている。消印の日付は、76.11.12となっていて、76の数字は西暦で言う一九七六年という意味だろう。気になってポケットの中からスマホを取り出して調べてみると、昭和五一年と出てきた。母が生まれた年だ。こないだ、過去にヒットした曲を年代別に紹介する歌番組を、母と一緒に家のリビングで見ていたとき、不意に母が自分が生まれた年だと話していたから。
また、古い手紙を大事に取っていたものだ。宝物箱に入れていたくらいだから、よほど大事なものなのだろうか。まるで、これだけが祖母の忘れ物のようだった。
それにしても、この封筒だけが残されているのも妙で、僕は差出人を確かめるために、裏をめくってみる。そこに書かれた『義郎』の文字。
「えっ、義郎さん?」
そう声に出したが、でも次の瞬間には、「そんなはずはないよね。義郎なんて名前の人は、いくらでもいるだろうし」と、わずかに湧き立った自分の気持ちを鎮める。
それはそうと、中身は何だろうかと思って、切ってある封を広げて、中身を取り出した。何かの入場券らしき紙が二枚と、折りたたんだ便せんが出てきた。だいぶ印字が薄くなっているが、入場券には『夢と魔法の冒険ランド』の文字が見える。大人の券が一枚と、幼児の券が一枚。ミシン目で切られていないところを見ると、未使用のまま取っておいたのだろうか。それとも、受け取ったまま使い損ねたのだろうか。
遊園地の入場券なんて、わざわざ取っておくほどのこともないだろう。それとも、何か残しておきたい理由でもあったのだろうか。
一緒に入っていた便せんを広げてみる。やや右上がりの癖のある字で、こう綴られていた。
『三人で遊園地へ行こうと、夢を語っておきながら、ついに果たせなかったものです。我が娘とともに、三人で夢を見たかった』
読み手の名前も、書き手の名前も書かれていない、素っ気ない内容だった。これを読んで、祖母は果たして意味がわかったのだろうか。
「いや、ちょっと待てよ」
僕の心の中の、もう一人の自分が投げかけた。どこかで聞いたことのあるフレーズだと思った。『三人』『遊園地』『夢』……それが誰の言葉だったかを、記憶の中のあらゆる場面と照合する。
「あっ、もしかして、この手紙を祖母に送ったのは……」
「いや、それは違うよ。だって……」
今度は、心の中のもう一人の僕が否定する。僕の祖父がその人だったとして、それはありえないじゃないか。祖父は、母が生まれる前に病気か何かで亡くなったと聞かされていた。僕は、それを当然のこととして受け止めていたし、だからこそ祖父のことはあえて母にも祖母にも聞かなかった。
だけど、今振り返ってみれば、不思議なことがある。祖母のこの家に、あるはずの仏壇はない。もちろん、僕の家にも。祖母の遺骨は、葬儀の後に親族で話し合って祖母の兄が埋葬したので、祖母のお墓参りには何度か行ったことはある。
もしもだ、祖父が亡くなっていたのだとしたら、お盆やお彼岸には墓参りに連れて行ってもらっていたはずだ。「ここが圭太のおじいちゃんのお墓だよ」と言って。だけど、祖母からそんな誘いを受けたことは一度もなかった。
やはり、さっき僕の脳裏に浮かんだことは、本当のことではないだろうか。もしもそうだったとしたら、僕の母はそのことを知っているのだろうか。いや、大好きだった祖母が僕に話さなかったくらいだから、もしかしたら祖母は母にも話さずに、心の中で留めていたのかも知れない。
いつしか、僕の心臓は高鳴っていた。これはあくまで僕の推測に過ぎないけれど、その可能性があることに気づいてしまった以上、僕はどうしたらいいのだろうか。母に打ち明けるべきだろうか。それとも、祖母がそうしていたように、僕も心の奥底にしまっておくべきだろうか。
気がつけば、長い間、僕はここで思いを巡らせていたようで、いつしか窓から西日が差し込んできていた。オレンジ色に染まり、ほのかに温かさを感じている僕の身体には、脈々と流れているものがあった。そう、あの人から受け継いだ芯の強さや心の優しさ、ひたむきさや誰かを思いやる心。
あの人から、僕はたくさんの大事なことを教わった。あの人のために、僕に何ができるかを、僕はいつまでも考えていた。




