10.第三章 再会 エピソード2
『無理に見つけようとしなくてもいいんじゃないか』
思いもよらない言葉に、僕は瞬時に頭上を見上げたが、義郎さんには僕の慌てぶりは見えてはいないだろう。
「僕もね、学生の頃は、自分がどこに向かおうとしているのかが、わからなかったよ。わからないから不安に襲われた。自分を見つけようと、全国あちらこちらを旅してまわった。だけどね、不思議なことに、焦って探しているうちは見つからないものでね。アルバイトをしてお金を稼いで、そのお金で夜行列車に飛び乗っての繰り返し。旅先で、いろんな景色を眺めて、たくさんの人たちと話した。もともと、内気な僕だったけど、まったく知らない人が相手だったから、不思議にも話すことができた」
「そっ、そうだったんですね」
「だけど、結局、何十回と旅に出たけど、お金と時間を使っただけで何も見つからなかった。呆然と下宿の部屋の天井を見ていたとき、ふとある光景が浮かんだんだ。それは、旅先でバスを待っていたときに、たまたま見かけた小さな自転車屋さんでの光景。ちょうど小学生くらいの男の子がパンクの修理に来ていてね。パンクの修理だけならものの十分とかからないだろうけど、その店の店主は、子供が持ち込んだ自転車をあちこち修理を始めたんだ。錆びついて、くたびれた感じの自転車だったが、その店主の手にかかった途端に、ピカピカとまではいかないまでも、見違えるように美しい車体に変わっていた。それを見た子供の喜ぶ顔を言ったら、まるで初めて親に自転車を買ってもらったときのようだった。お金は取っていなかったと思う。子供が店を後にした後、僕はなんとなくその店主と話してみたいと思ったんだ」
「それで、そのお店の人は何と?」
「骨が折れるだけで、儲からない仕事だと言っていたよ。だけどね、自分の腕で街の人が笑顔になるのを見ることが、なによりもの生きがいだって話していた。だから、最低限の代金だけをもらって、何十年も細々と営業を続けながら、街の人たちを見守ってきたのだとね」
そこまで話したところで、義郎さんは枝にくくりつけた電線を垂らした。僕はそれをすかさず受け取る。
「僕も、あの店主のように、モノを作ったり直したりすることを通して、自分の住んでいる街の人たちの役に立とうと思った。経済学部に在籍していた僕が、工学部に入り直すのは大変だったけど、人間その気になれば、どうにでもやれるもの」
「えっ、学部を変わったってことは……通っていた大学で編入をされたのですか?」
編入という制度があることは、こないだ学部の事務室を訪れたときに見かけたポスターで、たまたま知った。
「いゃあ、それも考えたけどね。もう一度、勉強をやり直して大学を受け直そうと思ったんだ。きちんと、一から勉強したかったからね。親不孝者めと、両親からは猛反対されるし、落ちこぼれだと、まわりから白い目で見られるわで、心が圧し潰されそうになったけど、やると決めたその日から高校のときの問題集を引っ張り出してきて、勉強を始めていたな。そうしている間だけは、自分と向き合うことができたからね」
大学を辞めて受け直すこと自体、いわば敷かれたレールから逸れてしまうことになって、先行きへの不安は計り知れないものがあっただろう。僕が今、同じようにやるように言われても、今さら受験生に戻って勉強できる訳がない。だけど、義郎さんは、そうしている間は自分と向き合うことができたと話した。
考えてみれば、人がそれまでとは違った行動を取るのは、現状に対して何らかの不満や疑問を抱いているからだろう。それを変えたいと願って、何らかの行動を起こすのだろうが、それは決して楽なことではない。むしろ、往々にして苦しみがつきまとうし、そうやったからと言って、それがうまくいくかどうかはわからない。それでも自分が出した答えを信じて突き進もうとするのは、その先に何かが待っていると思えるからだろう。自分はどんなことを思って、どうしていこうと考えているのか。何かに一生懸命打ち込むことで、人はその答えを自分なりに見つけていく。その過程こそが、自分と向き合うことに他ならない。
あえて、自らレールから逸れるという行動を通じて、義郎さんがたどり着いたこと。それは、ものづくりを通して、まわりの人たちを笑顔に変えること。それは、今の義郎さんの、電線一本に対しても妥協を許さない、仕事へのまっすぐな姿勢に現れている。きっと、今、義郎さんが取り組んでいる作業が終わって、木々の電飾に明かりが灯されたとき、ここを訪れる人たちの心を揺さぶることだろう。
義郎さんは、依然として黙々と作業をこなしている。僕は、さっき義郎さんが放った言葉に思いを巡らせていた。
『無理に見つけようとしなくてもいいんじゃないか』
いや、ちょっと待てよ。義郎さんが自分の心の声に促されて、大学を辞めてまで工学部に入り直したということと矛盾するではないか。
だけど、次の瞬間には、義郎さんが言わんとしたことがわかったような気がした。何かに一生懸命になっていれば、自ずと道が開けていくということ。人が何かに一生懸命になるのは、現状に納得がいっていないから。工夫すればもっとできるのではないか、やり方を変えればさらに良いものが作れるのではないか、そんな思いがきっかけとなって、人は努力を重ねていく。スポーツ選手が海外で偉業を達成したり、世界の人々の生活を変えるような技術を発明したり……そこまではできなくとも、人が努力して出来上がったものは、唯一無二の、見る人の心を魅了して止まないものだろう。
どんなことでもいい。何かに一生懸命向き合っていれば、自ずと自分というものが見えてくる。そして、ときに迷ったときは、レールを逸れることも辞さないという心構えが、先行きの見えない今の時代を生きる僕たちにとって必要なことだと、義郎さんが教えてくれているような気がした。




