景都春宴 4
「素晴らしかったな!」
劉安が満足そうに声を上げた。
隣に座る令蓉も、静かに頷いている。
「見事な舞だった」
劉安はそう言ってから、ふと長淵へ視線を向けた。
「朔国の姫君は、多才だな」
「もったいないお言葉です」
長淵は一礼する。
「明珠は我が国で唯一の姫ですので、幼い頃から厳しく教育してまいりました」
一呼吸。
「将来、嫁いだ際にも――良妻賢母であるように」
最後の言葉を、長淵はゆっくりと口にした。
そして、劉安を見る。
それだけで十分だった。
明珠を景国へ嫁がせる。
長淵が何を望んでいるのか、劉安には分かっていた。
けれど――
「いやはや」
劉安は、隣にいる承琰へ目を向ける。
「見ての通り、うちの息子は飄々としていてな」
承琰は何も言わず、扇子をぱたぱたと仰いでいる。
「こちらが見習いたいくらいだわ」
劉安は、からからと笑った。
遠回しな断り。
長淵は、それをすぐに察した。
けれど、引き下がるわけにはいかない。
「承琰殿下は、あの名門学院を出ておられる」
「その名声は、遠い朔国にも届いております」
長淵は穏やかな笑みを浮かべた。
「明珠では、少々不釣り合いではないかと、私も心配しておりました」
その言葉を聞くほどに――
明珠の胸は、焦りでいっぱいになっていった。
違う。
そうではない。
自分が嫁ぎたいのは、承琰ではない。
あの飄々とした皇太子など興味はない。
明珠の視線が、そっと劉晟へ向く。
深い真紅の衣。
整った横顔。
何を言われても動じない、冷静な瞳。
自分が舞っている間も、ただ一人の女だけを見つめていた男。
――劉晟。
明珠は、とうとう耐えられなくなった。
「私は!」
声が響いた。
長淵が振り返る。
劉安も。
承琰も。
そして、瑶月も。
大殿中の視線が、明珠へ集まった。
明珠自身も、自分が何を言おうとしているのか分からなかった。
ただ――
このままでは、何もかもが決まってしまう。
そう思った。
「私は……!」
頬が、僅かに赤くなる。
そして――
「劉滄燼殿下が、素敵だと思いますわ!」
その一言が、大殿に落ちた。
「…………」
一瞬。
誰も、何も言わなかった。
完全な静寂。
明珠自身も、言ってしまった言葉に気づき――
けれど、もう取り消すことはできなかった。
ぱたぱたと動いていた承琰の扇子が、ぴたりと止まった。
いつも浮かべている飄々とした笑みも、消えている。
冷たい目が、明珠へ向けられた。
――だから、馬鹿は嫌いなんだ。
承琰は心の中で、深く息を吐いた。
――あいつは、晟を殺す気か?
父上にとって、劉晟は弟である以前に――
先代皇帝の子。
謀叛によって皇帝となった劉安にとって、劉晟は自らの地位を脅かす可能性を持つ、最も危険な存在の一人だった。
そんな男へ――
一国の姫が「嫁ぎたい」と言う。
それが、どんな意味を持つのか。
明珠は分かっているのか。
もし劉晟が謀叛を起こせば。
朔国は――
劉晟につく。
そう明言しているのと、ほとんど変わらない。
承琰は、ゆっくりと劉晟へ目を向けた。
さすがの劉晟も、盃を持つ手が止まっている。
そして――
承琰は父を見る。
劉安の顔から、先ほどまでの笑みは消えていた。
大殿の空気が、明らかに変わっている。
「其方は――」
劉安が明珠へ目を向けた。
「それが、どういう意味を成すのか分かって言っているのか?」
低い声だった。
穏やかさなど、どこにもない。
ただ、圧だけがあった。
「え……?」
明珠の顔から、さっと血の気が引く。
自分が何か間違えたのか。
その意味すら分かっていない顔だった。
――まずい。
承琰は即座に立ち上がった。
「いやぁ〜」
いつもの飄々とした声を作る。
「明珠姫は、少々お酒を飲みすぎたようですね」
「外へ涼みに行きましょうか?」
「え、でも――」
「ほら、行きましょう」
承琰は笑顔のまま、明珠の腕を掴んだ。
そして、半ば強引に立ち上がらせる。
「ちょっと、承琰殿下――」
「大丈夫、大丈夫」
明珠の抗議など聞く様子もなく、そのまま大殿の外へ連れ出していく。
扉が閉まった。
再び、大殿に静寂が落ちる。
承琰が去った後も――
誰も、先ほどの言葉を忘れることはできなかった。
「離して!」
怒りを含んだ声とともに、明珠は承琰の腕を振り払った。
二人は大殿の外へ出ていた。
春の夜特有の、まだ冷たさの残る風が吹き抜ける。
承琰は振り返った――
息を呑んだ。
そこにいたのは、先ほどまで大殿で扇子をぱたぱたと仰ぎながら、飄々としていた皇太子ではなかった。
笑みはない。
いつもの軽い雰囲気もない。
ただ――
凍りつくような冷たい視線が、まっすぐ明珠へ向けられていた。
「……」
明珠の喉が、かすかに動く。
言葉が出てこない。
目の前にいる男が、本当に先ほどまで笑っていた承琰なのか。
そう思うほどだった。
承琰は、明珠を見つめたまま、静かに口を開く。
「消えろ」
「……!」
短い言葉だった。
けれど――
明珠にとっては、今まで一度も向けられたことのない言葉だった。
誰かに拒絶されることなどなかった。
ましてや、こんなにも冷たく突き放されたことなど。
胸の奥を、鋭い刃で切り裂かれたような屈辱が込み上げる。
明珠は唇を強く噛んだ。
何か言い返そうとした。
けれど、声にならない。
やがて明珠は踵を返した。
そして――
その場から逃げるように走り去った。
承琰は、そんな明珠の背中を追わなかった。
ただ静かに見送る。
そして一人になったところで、先ほどまでの冷たい表情を消した。
いつもの飄々とした顔へ戻る。
扇子を開く。
ぱたん。
小さな音が、静かな廊下に響いた。
まるで――
先ほどの出来事など、何もなかったかのように。




