茶楼にある影芝居
景国城を出た瑶月と劉晟は、小雪や青龍たちと合流し、景都の茶館へ立ち寄った。
茶館の中央には、小さな舞台が設けられている。
どうやら、影芝居が行われるらしい。
舞台の前には多くの人が集まり、始まるのを今か今かと待っていた。
瑶月はそれを横目に眺めながら、静かに茶を口へ運ぶ。
やがて、灯りが落ちた。
舞台の向こうに、いくつもの影が浮かび上がる。
「さあ、本日の物語は――」
語り手の声が響いた。
「我らが景国皇帝、劉安陛下の物語でございます」
瑶月の手が止まった。
舞台には、若き日の劉安の影が映し出される。
まだ皇帝ではなかった頃。
劉安には、心から愛した女性がいた。
けれど、その女性はすでに先代皇帝の側室として迎え入れられていた。
それでも劉安は、彼女を諦めず
やがて――
彼は愛する女性を救うため、先代皇帝に対して謀叛を起こした。
そして、戦いの末に先代皇帝を倒す。
女性を自らのもとへ迎え入れ、その子を受け入れた。
さらには、自らの正妻を側室として迎えたという。
「愛する者のため、すべてを手に入れた皇帝――」
語り手の声が、どこか陶酔するように響く。
客席からは、感嘆の声が漏れた。
「なんと情熱的な恋なのだろう」
「これぞ真実の愛だ」
誰もが、この物語を美しい恋物語として受け止めている。
瑶月も、最初は黙って舞台を見つめていた。
けれど――
ふと、隣にいる劉晟へ視線を向ける。
何も言わず、ただ静かに影芝居を眺めている。
その横顔を見つめながら、瑶月は先ほどのことを思い出した。
――兄上。
劉晟が劉安をそう呼んだ。
そして、劉晟は「母」と呼びかけようとして、「皇后様」と言い直した。
そこへ、先ほどの物語が重なる。
――そういうことなのね。
瑶月は、ようやく理解した。
劉晟は――
先代皇帝と皇后の間に生まれた子。
父を殺したのは、劉晟の母を愛した男。
その男のもとへ、母は嫁いだ。
瑶月は、ゆっくりと劉晟から視線を外した。
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
景都の人々にとっては、愛の物語なのだろう。
愛する女性のために皇帝となった男。
それは、確かに美しい物語なのかもしれない。
けれど――
その物語の中で、劉晟はどこにいるのだろう。
父を失い。
母を、父を殺した男のもとへ奪わた。
そんな人生が、本人にとってどれほど残酷なものだったのか。
瑶月には想像することしかできない。
それでも。
今まで見てきた劉晟の姿を思い返すと、胸が痛んだ。
誰にも多くを語らず。
自分の感情を表に出すこともなく。
ただ、与えられた役目を果たし続けてきた男。
それは、もしかすると――
幼い頃から、自分の感情を押し殺して生きるしかなかったからなのかもしれない。
瑶月はもう一度、劉晟を見た。
劉晟は、変わらず茶を飲んでいる。
けれど瑶月には、もう先ほどまでと同じ人には見えなかった。
景都の人々が「愛の物語」として語るその物語の裏には――
一人の少年の、あまりにも残酷な人生が隠されていた。
「相変わらず、つまらない影芝居だな〜」
突然、背後から声がした。
瑶月が振り返る。
そこには、片手に扇子を持った承琰が、いつもの飄々とした笑みを浮かべて立っていた。
「そうは思わないかい? 月ちゃん」
「え……」
瑶月は、何と答えればいいのか分からず、言葉を探す。
すると、隣にいた劉晟が淡々と口を開いた。
「つまらなくても、事実だ」
「そうだけどさ〜」
承琰は扇子をぱたぱたと扇ぎながら、舞台へ目を向ける。
「その愛の物語って、当の本人たち以外は、みーんな大迷惑してるのにねぇ」
あまりにも飄々と言うものだから、瑶月は思わず承琰を見つめた。
先ほどから気になっていたことがある。
承琰は、劉晟のことを「叔父」と呼んでいた。
ということは――
もしかして。
瑶月がそこまで考えたところで。
承琰が、にっこりと笑った。
「ちなみに、私は現皇帝と白妃の子だよ」
「……!」
瑶月の目がわずかに見開かれる。
「なるほど……」
先ほどまでの疑問が、ようやく繋がった。
承琰は、劉安と側室である白妃との間に生まれた子。
「ちなみにね」
承琰は扇子を閉じ、楽しそうに続けた。
「私は晟より一つ年上なんだ」
「……え?」
瑶月が劉晟を見る。
劉晟は何も言わない。
そんな二人を見て、承琰は得意げに胸を張った。
「つまり私は――」
一拍置いて。
「年下のおじさんを持つ、貴重な人物ってことよ」
「…………」
瑶月は思わず黙り込んだ。
劉晟は、深いため息を吐く。
「……くだらない」
「そういうところが面白いんじゃないか〜」
承琰は楽しそうに笑った。
瑶月は二人を見比べながら、思った。
――景国の皇族って……思っていたより、ずっと複雑なのね。
「そんなことより!!!」
承琰が突然声を上げた。
ぱたぱたと仰いでいた扇子を、パチンと閉じる。
瑶月が思わず顔を上げた。
隣では、劉晟が変わらず茶杯へ目を落としている。
「月ちゃん、宴に参加するんでしょ?」
「はい」
「なら、新しい衣と装飾品を用意しないとね」
「え? 私にはもう――」
瑶月は、以前平陽で徐佳に見繕ってもらった衣があると伝えようとした。
けれど、その言葉を遮るように承琰が続ける。
「この宴には、おそらく朔国の王太子と北玄国の皇帝も来ると思うよ」
「……!」
瑶月が目を瞬かせる。
承琰は瑶月の頭から足元まで、流れるように視線を動かした。
「うーん……」
そして、にっこり笑う。
「もっと華美な衣の方がいいと思うけど?」
そう言って、承琰は劉晟へ一瞥を向けた。
劉晟は何も言わない。
承琰はそれを了承と受け取ったのか、楽しそうに扇子を開く。
「じゃあ、後日、晟王府に届かせるよ」
「え?」
「月ちゃんの衣と――」
一拍置いて。
「晟の衣もね」
瑶月が目を丸くする。
けれど承琰は、それ以上何も説明することなく、楽しそうにその場を去っていった。
「……」
取り残された瑶月は、困惑したまま隣の劉晟を見る。
「……いいのかな?」
「ほっとけ」
劉晟はそれだけ答え、再び茶杯へ目を落とした。
瑶月は去っていく承琰の背中を見つめた。
――本当に、自由な人ね。
けれど。
数日後に迫った宴のことを思うと、瑶月の胸には小さな緊張が生まれていた。
朔国の王太子。
そして、北玄国の皇帝。
東州では決して交わることのなかった三国の運命が――
この景都で、少しずつ交わり始めようとしていた。




