金衣の皇太子
晟王府へ足を踏み入れると、すでに大勢の使用人たちが一行を出迎えていた。
「お帰りなさいませ、殿下」
揃った声が響く。
瑶月は思わず周囲を見渡した。
あまりにも整えられた屋敷に、どこか落ち着かない様子。
そんな瑶月を、隣に立つ劉晟が静かに眺めていた。
その時だった。
「晟!」
明るい声が、庭に響いた。
瑶月が声のした方へ振り返る。
そこには、一人の男が扇子を持って立っていた。
米色の上質な衣に細やかな金糸の刺繍が施されている。
頭上には淡い翡翠の冠。
長い髪が肩から背へと流れ、整った顔立ちには、どこか華やかな雰囲気があった。
その姿を一目見ただけで分かる。
――皇族だ。
瑶月がそう感じた瞬間。
劉晟の目が、ほんの少し細くなった。
「……承琰」
男は笑顔のまま、劉晟のもとへ歩いてくる。
その間、瑶月には一度も視線を向けなかった。
そして劉晟の目の前まで来ると、嬉しそうに両手を広げる。
「やっと帰ってきてくれたよ〜!」
明るい声。
柔らかな笑顔。
けれど――
その笑顔の奥には、何か別のものが隠されているようにも見えた。
劉晟はわずかに眉を上げる。
「相変わらず、情報が早いな」
「そりゃそうだよ」
承琰は楽しそうに笑った。
「叔父さんが帰ってくるんだから」
その言葉に、瑶月の目が僅かに見開かれる。
叔父さん?
目の前の男は、劉晟と歳が変わらないように見えるが劉晟の甥にあたる人物なのか。
承琰はそこで初めて、瑶月へ視線を向けた。
頭の先から足元まで、じっくりと瑶月を眺める。
「……この子が、例の?」
劉晟は短く答えた。
「ああ」
承琰の口元に、再び笑みが浮かぶ。
けれどその瞳には――
瑶月には読み取れない、何かがあった。
劉晟は、隣に立つ男へ視線を向け、瑶月へ紹介する。
「瑶月。この方が、景国の皇太子――」
一呼吸置いて。
「劉承琰だ」
承琰は、にっこりと笑った。
「よろしくね、月ちゃん」
いきなり「月ちゃん」と呼ばれ、瑶月は僅かに眉を動かした。
初対面の、それも皇太子からあまりにも馴れ馴れしく呼ばれることに、少々の抵抗がある。
それでも礼を失するわけにはいかない。
瑶月は姿勢を正し、丁寧に一礼した。
「皇太子殿下、お初にお目にかかります。沈瑶月です」
「うわぁ、堅苦しいな〜」
承琰は笑いながら、一歩、瑶月へ近づいた。
「承琰と呼んで?」
そう言って、瑶月へ手を伸ばしかけた――
その瞬間。
ぐっ。
伸ばされた承琰の腕を、劉晟が掴んだ。
「……」
「……」
承琰の目が、わずかに見開かれる。
劉晟は何も言わない。
ただ、承琰の腕を掴んだまま、静かに見つめている。
数秒の沈黙。
やがて承琰は、ふっと笑った。
「大切にされてるね〜」
そう言いながら、素直に一歩引く。
その顔には、面白いものを見つけたような笑みが浮かんでいた。
劉晟は何も答えない。
承琰はそんな叔父を見て、ますます楽しそうに笑う。
そして、くるりと踵を返した。
「じゃあさ」
振り返りながら、二人へ告げる。
「酔仙楼でご飯食べようじゃないか〜」
「今から?」
劉晟が呆れたように尋ねる。
「もちろん」
承琰は満面の笑みで答えた。
「せっかく叔父さんが景都に帰ってきたんだからさ」
ご機嫌な様子で歩き出す承琰に、劉晟と瑶月も続いていく。
承琰は、自分が乗ってきた馬車を通り過ぎ、そのまま城下へ向かって歩き始めた。
「承琰、馬車に乗らないのか?」
劉晟が尋ねる。
承琰は振り返り、楽しそうに笑った。
「晟、しばらく景都に来てないだろ?」
一呼吸置いて。
「せっかくだから、一緒に歩こうよ」
そして、瑶月を見る。
「月ちゃんも一緒にね」
瑶月は静かに頷いた。
けれど――
内心では、少し不安だった。
一国の皇太子と皇族が、護衛を連れているとはいえ、城下を歩いている。
目立たないはずがない。
そう思った矢先だった。
「承琰さまーー!」
「素敵ですわ!」
「劉晟さまもいらっしゃいますわ〜!」
通りのあちこちから、黄色い声が上がる。
「……やっぱり」
瑶月は小さく呟いた。
案の定、街はあっという間に騒がしくなっていた。
承琰はそんな声を気にする様子もなく、上機嫌で歩いている。
劉晟も、いつもの無表情のままだ。
瑶月は二人の後ろを歩きながら、周囲へ視線を向けた。
その時だった。
「……あの屠城将軍、よく戻れたな」
不意に、そんな声が耳に入った。
「……」
瑶月の足が、ほんの一瞬だけ止まる。
思わず声のした方へ目を向けた。
けれど、そこにいた民たちは、すぐに別の話へ移っていた。
瑶月は、ゆっくりと劉晟へ視線を戻す。
――そうか。
劉晟は景国の民からも、そう呼ばれているのだ。
東州を屠城した男。
沈家を滅ぼした将軍。
その汚名を背負ったまま、この国の都を歩いている。
瑶月の胸に、なんとも言えない感情が湧いた。
何も知らない人々から、これほどの憎しみを向けられている。
けれど――
自分は知っている。
この男がどんな人間なのか。
少なくとも、瑶月が見てきた劉晟は、民を見捨てるような男ではなかった。
東州の民のために、吹雪の中を平陽まで薬を取りに行き、そして今も、東州の復興に心を砕いている。
それなのに――
その姿を知るものは少ない。
「……」
瑶月は何も言わなかった。
ただ、劉晟の背中を静かに見つめた。
景都には、見てみたい露店も、覗いてみたい店もたくさんあった。
けれど今は――
両殿下の後ろを、黙々と歩いていく。
そんな彼女へ、別の視線が向けられていることに瑶月は気づかなかった。
「……あの娘、誰?」
「劉晟さまと一緒にいるわ」
「承琰さままで……」
景都の令嬢たちが、瑶月へ向けている視線。
そこに浮かんでいたのは――
好意ではなく、明らかな羨望と僻みだった。




