花海堂の咲く頃
東州の花海棠が咲き始めた頃。
劉晟と瑶月たち一行は、景都へ向けて旅立った。
軍を率いる劉晟だが、景都へ入る際には軍を伴うことはできない。東州の守りを任せ、主だった兵は辺境へ残してきた。
今回、同行するのは護衛を務める側近たちと、三十名ほどの兵のみだった。
東州から景都までは、馬車で二十日。
決して短くない旅路である。
馬車の周囲では、青龍、白虎、朱雀、玄武がそれぞれ馬に跨がり、警護にあたっていた。
「おい、朱雀。やめろ」
長弓を背負った青龍の背中に――
ころん。
小石が当たった。
「……」
青龍が振り返る。
そこには、何食わぬ顔で馬を進める朱雀がいた。
「何のことです?」
「お前だろ」
「知りませんねぇ」
その隣では、白虎が馬上で饅頭を頬張っている。
「……お前ら、少しは警護をしろ」
「してますよ〜」
朱雀が笑う。
そのさらに後ろでは、玄武が黙々と暗器の数を確認していた。
「短刀……三本」
「袖箭……二つ」
いつも通りの四人だった。
そんな彼らを乗せた一行が、東州の城門をゆっくりと離れていく。
馬車の窓から、瑶月は遠ざかっていく東州を見つめていた。
見慣れた城門。
春の光に包まれた城下。
その景色が、少しずつ小さくなっていく。
次に東州を訪れるのは――いつになるのだろう。
そんな寂しさが、胸の奥に残った。
瑶月はしばらくその景色を眺めていたが、やがて静かに視線を馬車の中へ戻した。
向かいには、劉晟がいる。
目を閉じ、静かに座っていた。
瑶月は、何となくその顔を見つめる。
じっと。
しばらく見ているうちに――
ふと、思った。
改めて見ると。
劉晟は、かなり顔立ちが整っている。
長い睫毛。
すっと通った鼻筋。
艶のある黒髪。
いつも黒い衣ばかり身につけているが、きっと他の色も似合うのだろう。
瑶月は、そんなことをぼんやりと考えていた。
けれど――
「……」
ふと我に返る。
何を考えているのだろう。
瑶月は小さく首を傾げ、窓の外へ視線を戻した。
その向かいでは。
目を閉じたままの劉晟が、ほんの僅かに口元を緩めていた。
東州を離れて、数日が経った。
その夜、一行は人影もまばらな宿場町の宿に身を寄せていた。
空には、夜を照らすような満月が浮かんでいる。
瑶月は不慣れな旅路の疲れから、すでに自分の部屋で眠っていた。
その部屋の外。
小雪と朱雀、玄武が、声を潜めて立っていた。
「小雪さん……」
朱雀が、どこか不安そうに口を開く。
「いつまでも隠しておけるものではないと思いますが」
小雪は朱雀を一瞥した。
玄武も続ける。
「瑶月様は、ご自身の髪が――」
「お嬢様は、ご存じありません」
小雪が静かに遮った。
「……そうですか」
朱雀は小さく息を吐く。
「では、劉晟さんは?」
「お伝えしていません」
「……」
玄武が黙り込む。
しばらくして、ぽつりと呟いた。
「どうしたものか……」
三人は、閉ざされた瑶月の部屋の扉を見つめた。
窓から差し込む満月の光が、静かに部屋の中へ伸び、夜が更けた頃。
宿の中に、かすかな焦げ臭さが漂い始めた。
劉晟は異変を感じ、すぐに立ち上がった。
「……火事か?」
廊下へ出る。
焦げた匂いは、瑶月の部屋の方から漂っているようだった。
劉晟は迷わず扉を開ける。
「瑶月! 火事――」
その声が、途中で止まった。
窓が開いている。
そこから満月の光が差し込み、部屋の中を淡く照らしていた。
そして――
瑶月が、窓辺に立っていた。
外の様子を確かめるように、身を乗り出している。
全身に、満月の光を浴びながら。
瑶月は劉晟の声に気づき、振り返った。
「劉晟。外でちょっとしたボヤ騒ぎみたい」
いつもと変わらない声だった。
そう言って、瑶月は再び窓の外へ目を向ける。
けれど。
劉晟は、動けなかった。
満月の光を浴びた瑶月の髪が――
淡い光を含んでいる。
月明かりを受け、その髪は昼間とは明らかに違う色を帯びていた。
そして、その瞳にも。
不思議な輝きが宿っている。
「……」
劉晟の呼吸が、わずかに止まった。
美しい。
そう思った。
けれど、それだけではない。
明らかに、普通ではない。
その時だった。
「お嬢様!」
小雪が慌てて駆けつけてきた。
部屋の入口に立った小雪は、劉晟の表情で悟った。
知られてしまった。
小雪の顔から、わずかに血の気が引く。
劉晟はようやく我に返った。
ゆっくりと瑶月へ近づいていく。
「瑶月」
「なに?」
瑶月が振り返る。
劉晟は、その髪を見つめた。
「……その髪」
問いかけようとした、その瞬間。
「劉晟さま」
背後から、小雪の声がした。
劉晟が振り返る。
小雪は何も言わず、ただ静かに首を横へ振っていた。
その目が、訴えている。
――お嬢様は、何も知りません。
――どうか、今は何も聞かないでください。
劉晟は小雪を見つめた。
しばらくの沈黙。
やがて、劉晟は小さく頷く。
瑶月は、そんな二人の様子を不思議そうに見つめていた。
「……どうしたの?」
小さく首を傾げる。
「二人とも、なんだか変よ」
劉晟は瑶月へ向き直る。
「何でもない」
「そう?」
そう言い瑶月は何も知らず、再び窓の外を眺めていた。
満月の光が、その横顔を静かに照らしている。
劉晟は、その姿を見つめながら胸の奥にひとつの疑問を抱いた。
――瑶月。
お前は、一体――何者なんだ。




