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雨上がりの影

朝の訪れを告げるように、小鳥の囁きが聞こえていた。


 劉晟は、ゆっくりと目を開けた。


 ――死んで、いないのか。


 ぼんやりと天井を見つめる。


 そして、ふと横へ目を向けた。


 そこには、椅子に座った瑶月がいた。


 寝床に頭を預け、静かに眠っている。


 ――一晩、ここにいたのか。


 その事実に、胸の奥が熱くなった。


 劉晟はそっと左手を伸ばす。


 瑶月の頬に触れようとして――


 やめた。


 起こしてしまう。


 そう思い、手を引く。


 劉晟は瑶月を起こさないよう、ゆっくりと寝床から起き上がった。


 そして、自分に掛けられていた布団を瑶月の肩へそっと掛ける。


 衣を身につけ、外へ出ようとした。


 その時。


「今日は、まだ動かないほうがいいわよ」


 背後から声がした。


 劉晟が振り返る。


「起きたのか」


「それは私の台詞よ」


 瑶月は目を擦りながら、呆れたように言った。


「今日はまだ休んでいたほうがいい理由が二つあるわ」


「二つ?」


「一つ目。体力がまだ完全には戻っていないから」


 劉晟は黙って聞いている。


「二つ目は――」


 瑶月の表情が、少しだけ険しくなった。


「昨晩、暗殺者が来たわよ」


 劉晟の顔色が変わった。


 先ほどまでの穏やかな朝の空気が、一瞬で消えた。


「暗殺者……?」


 劉晟は、低い声で聞き返した。


「そうよ。しかも――」


 瑶月は一呼吸置いた。


「左利きの」


 劉晟の瞳が、わずかに見開かれる。


 瑶月はそんな劉晟の表情を見ながら、ふっと口元を緩めた。


「今晩も、また来ると思う?」


「来ると思うな」


「私もそう思うの」


 瑶月は楽しそうに言った。


「だから、しばらく寝込んでいてよ」


「……寝込む?」


「ええ」


 瑶月は、にやりと笑う。


「あの劉滄燼がまだ起き上がれないと思わせるの」


 劉晟は瑶月を見つめた。


 その意図を察するまで、ほんの僅かな時間しかかからなかった。


「……釣るのか」


「そう」


 瑶月は頷いた。


「協力してくれるでしょう?」



 そうと決まれば、話は早かった。


 瑶月は劉晟の衣を脱がせると、そのまま寝床へ押し込んだ。


「今日の劉滄燼は、昏睡状態よ」


 なぜか上機嫌で言う瑶月。


「……ああ」


 劉晟も素直に頷いた。


 それからしばらくすると、次々と人が部屋を訪れた。


「滄燼さまは、お目覚めになりましたか?」


 そう尋ねられるたび、瑶月は悲しそうに首を振る。


「……まだ、お目覚めになっていません」


 時には、


「どうしましょう……」


 と、わざと慌てた様子まで見せる。


 それを寝床の中で聞いていた劉晟は――


 笑いを堪えるのに必死だった。


 やがて、夜が訪れた。


 部屋の灯りが落とされ、静寂が広がる。


 その時。


 ギィ――。


 扉が、ゆっくりと開いた。


 黒衣の男が姿を現す。


 左手には、抜き身の剣。


 男は音を立てぬよう、ゆっくりと寝床へ近づいていく。


 そして――


 剣を振り上げた。


 突き刺そうとした、その瞬間。


 ガキンッ!


 枕の下に隠していた短剣が閃いた。


 劉晟が身を起こし、男の剣を弾き飛ばす。


「……!」


 男が目を見開く。


 自分が嵌められたことに、ようやく気づいた。


 すぐさま窓へ向かう。


 だが――


 窓は、固く閉ざされている。

 

 瑶月が外から窓を閉じていたのだ。


「……!」


 男が振り返る。


 逃げ場はない。


 室内で、劉晟と男の刃がぶつかり合った。


 劉晟は短剣一本で応戦する。


 まだ凍傷の癒えていない手。


 それでも、男の剣を巧みに受け流していく。


 そして――


 ザンッ!


 男の左腕を大きく斬りつけた。


「ぐっ……!」


 男がよろめく。


 だが、その瞬間だった。


 凍傷の残る劉晟の手から、短剣が弾き飛ばされた。


「……っ」


 劉晟はすぐに室内へ目を走らせる。


 壁に飾られていた矛。


 手を伸ばし、それを掴む。


 だが――


 男はすでに窓から外へ逃げていた。


「待て!」


 劉晟は矛を手に、その後を追う。






その頃――


 長淵は、卓上にずっと置かれていた小箱を開けていた。


 中には、金継ぎを施された白玉の簪が入っている。


 長淵はそっと指先で、金色に継がれたひびをなぞった。


 ――ガタン。


 突然、部屋の外で物音がした。


 長淵は咄嗟に小箱を閉じ、窓から外の様子を窺う。


 そこにいたのは――


 左腕を押さえた馬浪だった。


 その腕からは、血が滲んでいる。


 長淵は瞬時に悟った。


 昨夜、劉晟を襲った暗殺者。


 それが馬浪だったのだ。


 長淵は急いで扉を開け、馬浪を部屋の中へ招き入れた。


 今、馬浪が劉滄燼を暗殺しようとしていたことが明るみに出れば、景国との停戦条約が破棄される。


 そして――


 父上の企みまで、明るみに出るかもしれない。


 長淵は奥歯を噛み締めた。


 今は、誰にも知られてはならない。


 長淵は剣を手に取ると、馬浪を部屋へ残し、外へ出た。


 廊下を進んでいく。


 すると――


 通路の先から、矛を背負った劉晟が走ってきた。


 二人の視線が交わる。


 長淵は静かに口を開いた。


「男なら、北の方へ行きました」


 一呼吸置いて、続ける。


「私も追っています」


 劉晟は長淵を一瞥した。


 何かを探るような視線だった。


 だが、何も尋ねない。


「……ああ」


 短く答える。


 そして二人は、並んで北へ向かった。



翌朝。


 瑶月は劉晟の横に座り、少し残念そうに呟いていた。


「いい作戦だと思ったんだけどなぁ……」


 昨夜の暗殺者を捕らえることができなかったことが、どうにも悔しいらしい。


「油断してしまった」


 劉晟が淡々と言う。


「病み上がりなんだから、仕方ないわよ」


 瑶月はそう言って、劉晟の顔を覗き込んだ。


 その二人を前にして、長淵はただ目を伏せるしかなかった。


 その時。


「お嬢!」


 朱雀が勢いよく部屋へ入ってきた。


「お嬢が作った薬、効果抜群ですよ〜!」


 続いて玄武も入ってくる。


「風土病の収拾も、つきそうです」


「それはよかったわ」


 瑶月の表情が明るくなる。


 そして、隣にいる劉晟の腕を肘で軽く突いた。


「大活躍でしたね」


 いたずらっぽく笑う。


 劉晟は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 長淵は、その笑顔を見つめていた。


 瑶月が見せた、あの無邪気な笑顔。


 それが、遠い記憶の中にある少女と重なった。


 満月の下で出会った、あの少女。


 同じ瞳。


 同じ笑顔。


 同じ人間のはずなのに――


 どうして、こんなにも違って見えるのだろう。


 あの日、月明かりの下で見た少女は、ただ静かに自分の心を奪っていった。


 けれど今、目の前にいる瑶月は。


 自分の知っているあの少女ではない気がした。


 そして、敵将の隣で笑っている。


 長淵は、瑶月から目を逸らした。


 ――同じ人なのに。


 まるで、別人だ。


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