雨禍 3
「お嬢!!」
医館へ、朱雀が駆け込んできた。
瑶月は変わらず、患者の治療を続けていた。
「どうしたの?」
「劉晟さんたちが戻ってきました!」
「……!」
瑶月が顔を上げる。
気づいた時には、傘も持たずに雪の中を走っていた。
白い雪道に、瑶月の足跡が一つ、また一つと刻まれていく。
「劉晟!」
城門へ辿り着いた瑶月の目に、一行の姿が映った。
馬上には劉晟がいる。
瑶月の声に気づき、劉晟が顔を上げた。
「瑶月――」
返事をしようとした、その瞬間。
身体から力が抜けた。
「劉晟!」
側にいた兵が、崩れ落ちそうになった身体を慌てて支える。
平陽から運ばれてきた薬材は、無事だった。
だが、一行の手足には凍傷ができていた。
劉晟を含む数人は、低体温症にも陥っている。
それほどまでに、道のりは過酷だったのだ。
「早く! 屋敷へ運んで!」
瑶月はすぐに指示を出した。
劉晟たちを安静に寝かせ、手足の状態を確認する。
足元には湯を張り、手先にも温めた布を当てる。
身体の状態を見ながら、少しずつ体温を戻していく。
やがて処置を終えた。
けれど――
「……」
劉晟は、目を覚まさなかった。
瑶月は彼の側から離れなかった。
夜が更けても、ずっとそこに座っている。
その時だった。
ギィ……。
扉が開いた。
瑶月が振り返る。
そこに立っていたのは、全身を黒で覆った男だった。
左手には、抜き身の剣。
男が一歩、近づく。
瑶月は咄嗟に立ち上がり、意識のない劉晟の前へ身体を滑り込ませた。
「……こっちに来るな」
男は止まらない。
瑶月は手元にあった椀を掴み、男へ投げつけた。
ガシャーン!
陶器が床に砕け散る。
それでも男は怯まない。
瑶月は懐から小さな瓶を取り出した。
「これ以上近づいたら――」
小瓶を握り締める。
「この毒を、あなたに向けて投げるわ」
男の足が止まった。
ほんの一瞬、躊躇が生まれる。
その時だった。
「瑶月!」
扉が勢いよく開いた。
長淵が飛び込んでくる。
男はすぐに剣を構えた。
長淵も刀を抜く。
刃と刃がぶつかり合い、鋭い金属音が響いた。
長淵が一歩踏み込む。
男は押される。
そして不利を悟ったのか、窓へ向かって跳んだ。
「待て!」
長淵が追おうとする。
だが、男はそのまま窓から外へ飛び出し、雪の闇へ消えていった。
長淵はすぐに瑶月へ駆け寄る。
「怪我はないか?」
「怪我はありません。ありがとうございます、長淵さま」
瑶月は小さく首を振った。
長淵は安堵し、そしてその視線を劉晟へ向けた。
眠り続ける劉晟。
その姿を見つめながら、長淵の胸にひとつの疑念が浮かんだ。
――さっきの男……馬浪か?
長淵には、襲ってきた男の見当がついていた。
父上が用意した「大雨」では、東州は潰れなかった。
ならば――
次は、弱っている劉滄燼を討つ。
そんな指示を、父上が出したのではないか。
考えれば考えるほど、辻褄が合ってしまう。
長淵は拳を握りしめた。
そして、横にいる瑶月を見る。
何も知らない顔で、ただ劉晟の無事を願っている。
――知られてはいけない。
この事実だけは。
もし瑶月が、すべてを知ったら。
父上が東州の民を苦しめたことも。
劉晟の命まで狙っていることも。
そして、自分がそれを知りながら黙っていることも。
知られてしまえば――
もう、友人ですらいられなくなる。
その恐怖が、長淵の胸の奥を締めつけた。
長淵は何も言わなかった。
ただ、劉晟を心配そうに見つめる瑶月を見据えていた。
そして――
胸の内に渦巻く恐怖を、誰にも悟られないよう押し殺した。
今はまだ。
誰にも、知られてはいけない。




