間話 青い衣
東州を制圧してから劉晟は沈家で暮らしていた。
劉晟は、毎朝欠かさず沈家の墓を訪れていた。
誰かに命じられたわけではない。
人目を避けることもなかった。
ただ黙々と、墓の周りを掃除する。
晴れの日も。
雨の日も。
一日たりとも欠かさなかった。
最初のうち、東州の民は遠巻きにそれを眺めているだけだった。
あの日、東州を血の海に変えた黒い軍。
その軍を率いていた男が、なぜ沈家の墓を毎朝訪れるのか。
誰も理解できなかった。
けれど――
日が経つにつれて、少しずつ変化が起き始めた。
劉晟が東州へ入ってから、街の復興は目に見えて進んでいた。
崩れた家が建て直される。
食料が届く。
商人たちが、少しずつ店を開き始める。
道が整えられ、人々の暮らしが戻っていく。
そして何より。
毎朝、沈家の墓を掃除する男の姿が、民の目に焼きついていった。
――本当に、あの日の黒い軍を率いていたのは、この男なのだろうか。
疑問が、少しずつ生まれ始めていた。
憎しみが消えたわけではない。
それでも。
劉晟の姿を見つめる民の目には、以前とは違う色が混じり始めていた。
ある朝。
沈家の門前に、一人の少女が立っていた。
両腕には、深い青色の衣を抱えている。
「劉晟さまに、会いたいです」
幼い少女が、使用人へ告げた。
「少々お待ちください」
使用人が屋敷の中へ入っていく。
ほどなくして――
劉晟が姿を現した。
少女の前まで小走りに近づくと、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「どうした?」
優しい声だった。
少女は、抱えていた衣を差し出した。
「これ」
劉晟が受け取る。
「滄瀾さまが、うちにお願いしてたもの」
その言葉に、劉晟の手が止まった。
「……滄瀾が?」
「うん」
少女は頷いた。
「お嬢様に助けてもらったから、そのお礼にって、お母さんが言ってた」
「……そうか」
劉晟は衣へ視線を落とした。
深い青。
丁寧に仕立てられた、上質な衣だった。
「お嬢さんの家は、衣屋なのか?」
「うん」
「お母さんは?」
「家にいるよ」
少女はそう言うと、劉晟の手を取った。
「こっち!」
そのまま、劉晟を連れて歩き始める。
青龍と白虎が顔を見合わせる。
「……将軍」
「ついていくしかないだろう」
劉晟は苦笑しながら、少女の後を追った。
辿り着いたのは、城下の片隅にある素朴な家だった。
少女は門前で劉晟の手を離すと、家の中へ駆け込んでいく。
「おかあさーん!」
そして、元気な声を響かせた。
「劉晟さん、連れてきたよー!」
家の奥から、驚いた声が返ってくる。
「えっ……?」
劉晟は一礼した。
「失礼する」
中へ入ると、そこには粗末な寝床に横たわる女性がいた。
女性は慌てて起き上がろうとする。
「無理をしなくていい」
劉晟がすぐに制した。
「ありがとうございます……」
女性はそのまま頭を下げた。
劉晟は手にしていた青い衣へ視線を落とす。
「これは……?」
女性は、衣を見つめながら静かに口を開いた。
「以前は、東州城下で衣屋を営んでおりました」
そして、少しだけ遠くを見るような目をした。
「沈家にも、長くご贔屓にしていただいて……」
劉晟は何も言わず、女性の言葉を聞いていた。
「こちらの衣は、滄瀾さまからご注文いただいたものです」
女性の声が、少しだけ柔らかくなる。
「ご友人への贈り物だと仰っていました」
劉晟の指が、衣を握る。
「黒い衣しか着ない友人だから、と」
その瞬間。
劉晟の瞳が、わずかに揺れた。
女性は続けた。
「街であなた様をお見かけした時……もしやと思ったのです」
そして、申し訳なさそうに目を伏せる。
「出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」
「……構わない」
劉晟は静かに答えた。
女性は小さく頷く。
「実は――」
しばらく迷うように黙った後、続けた。
「あの日の朝。
私は、この衣を沈家へ届ける途中だったのです」
劉晟の表情が変わる。
「けれど、東州が襲われて……」
女性の声が震える。
「私は、何もできませんでした」
視線が落ちる。
「衣を抱えながら逃げることしかできなくて……」
劉晟は黙って聞いていた。
「最後に……私を助けてくださったのが、瑶月様でした」
その名を聞いた瞬間。
劉晟の胸の奥が、静かに揺れた。
「この衣も、もうお届けできないと思っていました」
女性は微笑んだ。
「でも……あなた様が、滄瀾さまのご友人なら」
青い衣へ視線を落とす。
「どうか、お持ちください」
劉晟はしばらく、その衣を見つめていた。
滄瀾が、自分のために選んだ衣。
あの日
滄瀾は、この衣が完成する日を知らずに死んだ。
そして今。
この衣が自分の手元にある。
劉晟はゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとう」
それだけを、静かに告げた。
腕の中にある青い衣が――
ひどく温かく感じられた。




