故地、東州 2
瑶月の肩が震えていた。
声を上げることも、涙を流すこともない。
ただ、失われた家を前に立ち尽くし、ひとりで悲しみに耐えていた。
その姿を、劉晟をはじめとする一行は、少し離れた場所から見守っていた。
小雪が思わず駆け寄ろうとした時、青龍がそっとその腕を掴んだ。
小雪が振り返る。
青龍は何も言わず、首を横に振った。
その間に、劉晟が歩き出した。
足音を抑え、瑶月のもとへ近づいていく。
彼女の前で立ち止まると、劉晟は外套を広げた。
瑶月の姿を隠し、周囲の視線から守るために。
外套の内側にいる瑶月からは、劉晟の胸元しか見えない。
けれど、その向こうにいた人々の気配は、もう感じられなかった。
劉晟が、低く穏やかな声で告げる。
「誰も見ていない」
瑶月は顔を上げた。
「泣いてもいい」
その言葉を聞いた瞬間、堪えていた涙が一粒、頬を伝った。
それをきっかけに、瑶月の中で張り詰めていたものが崩れていく。
声を押し殺そうとしても、嗚咽が漏れた。
劉晟は何も言わず、外套を広げたまま彼女の前に立ち続ける。
誰にも見られないように。
誰にも邪魔されないように。
瑶月が、ひとりで抱えてきた悲しみを吐き出せるように。
その姿は、彼女を抱きしめる代わりに、世界から守る盾のようだった。
その夜。
空には、満月が浮かんでいた。
沈家の広間では、一同が身分など気にすることもなく、一枚の大きな円卓を囲んで食事をしていた。
「白虎、そんなに急いで食べなくても誰も取らないぞ」
「うまいんだから仕方ないだろ!」
白虎が勢いよく飯をかき込む。
それを面白がった朱雀が、白虎の器へ次々とおかずを乗せていく。
「ほら、これもどうです?」
「おう!」
「おい、朱雀。いい加減にしろ」
玄武が呆れたような目を向ける。
「こいつは放っておいたら永遠に食べるぞ」
「それが白虎ですよ」
「お前らな……」
その向かいでは、青龍が小雪の杯へ酒を注いでいた。
「ありがとうございます」
「いやいや。今日はめでたい日ですから」
そんなやり取りを眺めながら、瑶月は楽しそうに笑っていた。
四年前には考えられなかった光景だった。
沈家の屋敷で。
かつて兄たちの側近だった者たちと食卓を囲んでいる。
皆が笑っている。
食事をしている。
くだらない話をしている。
それだけのことが、今の瑶月には嬉しかった。
そして。
そんな瑶月を、少し離れた席から劉晟が静かに眺めていた。
「……あ」
ふと、朱雀が窓の外へ目を向けた。
「今日、満月じゃないですか」
開いた扉の向こう。
夜空には、白く大きな月が浮かんでいる。
青龍も空を見上げた。
「ああ。そうだな」
「せっかくだし、みんなでお月見でもしちゃう?」
白虎が楽しそうに言いながら、席を立とうとする。
すると、小雪がすぐに口を挟んだ。
「今宵は風が強うございます。お嬢様は私とお部屋の中にいましょう」
「そうね」
瑶月も外へ目を向ける。
夜風に揺れる木々。
冷たい空気。
「もう冬ね」
そう呟いた。
「じゃあ、俺たちだけでも行くか!」
「お前は月より団子だろ」
「両方だ!」
朱雀と白虎が笑いながら外へ出ていく。
青龍と玄武もその後を追った。
やがて庭から、彼らの楽しそうな声が聞こえてくる。
「白虎、食べ過ぎるなよ!」
「月見団子は別腹だ!」
「別腹って何だ!」
その声を聞きながら、瑶月は部屋の中から庭を眺めていた。
月明かりに照らされた庭。
その下で、朱雀、青龍、白虎が楽しそうに騒いでいる。
玄武は少し離れたところで呆れながらも、その様子を眺めていた。
瑶月は、そんな彼らを見つめながら、ふっと微笑む。
今夜だけは。
この場所にいる誰もが。
過去を忘れてもいいような気がした。
そして――
瑶月の視線の先には、静かに満月を見上げる劉晟の姿があった。




