紅葉の下で
瑶月は、劉晟に呼び出されていた。
屋敷の庭。
紅葉に染まった木々の下で、劉晟は一人、瑶月を待っていた。
「話って、なに」
瑶月が近づく。
劉晟は答えず、ただ瑶月を見つめていた。
その手には――
一つの小さな箱がある。
瑶月の足が止まった。
「……?」
あの隠し部屋にあった箱。
劉晟は何も言わず、その箱を瑶月へ差し出した。
「……私に?」
「ああ」
瑶月は戸惑いながら箱を受け取る。
そして、ゆっくりと蓋を開けた。
「……!」
息が止まった。
中に入っていたのは――
簪だった。
見間違えるはずがない。
三兄・滄海が、瑶月のために作ってくれたもの。
あの日、兄が嬉しそうに渡してくれた簪。
けれど今は。
壊れ、汚れ、傷だらけになっていた。
もう使える状態ではない。
それだけで、あの日の惨劇を物語っていた。
「……なんで」
瑶月の指先が震える。
「どうして……」
箱の中の簪から、目を離せない。
家族と過ごした日々が、次々と蘇ってくる。
兄たちの笑い声。
滄海が得意げに簪を見せてきたこと。
母に髪を結ってもらったこと。
父と食卓を囲んだこと。
もう戻らない日々。
胸の奥に押し込めていた感情が、一気に溢れ出した。
「なんで……持っているのよ」
声が震える。
悲しみ。
疑い。
憎しみ。
そして――怒り。
「……なんか言ってよ!!!」
瑶月が顔を上げる。
劉晟は、ただ瑶月を見つめていた。
何も言わない。
「なにも言わないってことは……」
瑶月の呼吸が乱れる。
「あなたが犯人なんでしょ」
「……」
「そういうことでしょ!」
返事はない。
その沈黙が、今の瑶月には何よりも残酷だった。
十七歳の少女には、抱えきれない感情だった。
怒り。
悲しみ。
疑い。
悔しさ。
そして――
答えをくれない目の前の男。
「……っ」
瑶月の手が、髪へ伸びた。
指先が触れたのは、いつも身につけている歩揺。
劉晟から贈られたもの。
その簪を、瑶月は咄嗟に引き抜いた。
次の瞬間。
歩揺が、劉晟の右胸へ突き刺さった。
劉晟の身体が、わずかに揺れる。
けれど、顔色一つ変えなかった。
瑶月の手から力が抜ける。
自分が何をしたのか。
ようやく理解した。
一歩、後ずさる。
劉晟の胸から、赤い血が滲んでいく。
それは、いつも瑶月の髪で揺れていた真珠を赤く染めた。
劉晟は何も言わない。
ただ、左手を伸ばした。
歩揺を抜こうとした、その時だった。
袖口から――
左腕が覗いた。
「……!」
瑶月の目が、その腕に釘付けになる。
古い傷。
深く残った傷痕が、いくつも走っている。
瑶月は咄嗟に劉晟の左腕を掴んだ。
「見せて!」
劉晟がわずかに目を見開く。
瑶月は構わず袖をまくり上げた。
そこにあったのは――
想像していたよりも、遥かに酷い古傷だった。
瑶月は医術を学んできた。
だからこそ、傷痕を見れば分かる。
この傷が負った時期。
治癒の進み方。
残っている瘢痕。
瑶月は息を呑んだ。
――五年前。
この傷は、最低でも五年前についたものだ。
それが分かった瞬間。
頭の中で、何かが崩れ落ちた。
四年前。
東州。
あの日。
父の腕を切り落とした男は――
左手で剣を握っていた。
確かに見た。
間違えるはずがない。
けれど。
目の前の劉晟の左腕は、四年前にはすでにこの傷を負っていた。
この腕では――
あの日、剣を握ることなどできない。
「……じゃあ」
瑶月の声が震える。
「……あの日、あなたは……」
言葉が続かない。
自分が四年間、憎み続けてきた男。
その男が――
もし、あの日の犯人ではなかったのなら。
では。
あの日、左手に剣を握っていた「あの男」は――
一体、誰だったのか。
瑶月の胸に、これまでとは違う恐怖が広がっていった。
劉晟は、瑶月に掴まれていた左腕を静かに引いた。
「もう十分、見ただろ」
それだけ言うと、今度は自分の右胸へ手を伸ばした。
そこには、先ほど瑶月が突き刺した歩揺が残っている。
劉晟は何の躊躇いもなく、それを引き抜いた。
傷口から、再び血が滲む。
けれど劉晟は気にする様子もなく、手の中の歩揺へ目を落とした。
真珠の間に、赤い血が付着している。
劉晟は自分の袖で、それを丁寧に拭った。
一度。
二度。
血が残っていないか確かめるように、ゆっくりと。
やがて、歩揺は元の美しい姿を取り戻した。
劉晟はそれを瑶月へ差し出すのではなく――
そのまま瑶月の髪へ手を伸ばした。
「……」
瑶月は動かなかった。
劉晟の指が髪に触れる。
そして、歩揺を元の場所へ戻した。
真珠が、かすかに揺れる。
ちりん。
小さな音が、静かな庭に響いた。
劉晟は瑶月を見つめた。
その瞳には、怒りも責める色もなかった。
ただ、静かな眼差しだけがあった。
「……あの日」
一呼吸。
「俺は、東州にはいなかった」
それだけだった。
言い訳もない。
弁明もない。
誰が犯人だったのかも語らない。
ただ――
四年間、瑶月が憎み続けてきた男が。
自分自身の口で、あの日の事実を告げた。
瑶月は何も言わなかった。
ただ静かに。
その言葉を聞き届けていた。
秋風が吹く。
紅葉が一枚、また一枚と舞い落ちる。
秋風に舞う紅葉だけが――
二人の間を、静かに通り過ぎていった。




