罪滅ぼし
あの一件以来。
瑶月は、なんとなく劉晟に会うのが気まずくなっていた。
屋敷の中で顔を合わせそうになると、自然と道を変える。
食事の時間が重なりそうになれば、少し時間をずらす。
別に、何かを言われたわけではない。
ただ――
あの隠し部屋で見たもの。
そして、それを問い詰めたこと。
それが、どうにも気まずかった。
だから瑶月は、できるだけ劉晟と顔を合わせないようにしていた。
そんなある日のことだった。
瑶月は、屋敷の使用人たちの薬の世話を始めた。
自分の中にある罪滅ぼしなのか。
それとも、ただの気まぐれなのか。
瑶月自身にも、よく分からなかった。
ただ、目の前で痛みを訴えている人間がいる。
そして、自分にはその痛みを和らげる知識がある。
それなら、助ければいい。
それだけだった。
医官に診てもらい、薬を処方してもらう。
それは決して安いことではない。
特に一般の庶民にとって、医者にかかることは簡単なことではなかった。
だから瑶月は、屋敷にいる者なら誰であろうと診ることにした。
「腰が痛くて……」
「少し見せてください」
「昨日からお腹が痛いんです」
「食事は何を?」
「最近、頭が重くて……」
「熱はありますか?」
最初は一人、二人だった。
けれど、噂はすぐに屋敷中へ広がった。
――瑶月様は医術の心得がおありらしい。
――薬も見てくださるそうだ。
いつしか、瑶月の部屋を訪れる使用人は少しずつ増えていった。
侍女も。
下女も。
庭師も。
料理人も。
皆、恐る恐る瑶月のもとを訪れる。
瑶月は一人一人の話を聞き、身体の状態を確かめる。
必要であれば、薬の処方箋も書いた。
「これは食後に飲んでください」
「はい……ありがとうございます」
「無理をしないで。痛みが続くようなら、すぐにまた来てくださいね」
「はい!」
礼を言って部屋を出ていく使用人を見送り、瑶月は次の患者へ目を向ける。
気づけば。
瑶月の周囲には、少しずつ人が集まるようになっていた。
そして――
ある日のことだった。
「瑶月様!」
青龍が慌てた様子で部屋へ駆け込んできた。
その腕には、一匹の犬が抱えられている。
全身が泥にまみれ、毛には赤黒い血が付着していた。
「この子を……助けられますか?」
「……!」
瑶月は目を見開いた。
これまで診てきたのは、人間ばかりだった。
犬を診るのは初めてだ。
けれど、戸惑っている暇はない。
「そこへ寝かせて!」
「はい!」
青龍がすぐに犬を床へ横たえる。
「この子、軍犬なんです。外で馬車に轢かれて……」
「分かったわ。まず傷を見せて」
瑶月は犬の身体を慎重に調べた。
幸い、致命的な傷はない。
太腿に大きな裂傷があるだけだった。
「太腿の傷を縫います」
瑶月は必要な道具を用意する。
「青龍、この子をしっかり押さえていてくれる?」
「はい!」
青龍が犬の身体を押さえる。
犬は怯えたように身体を震わせた。
「大丈夫よ」
瑶月は優しく声をかける。
「すぐに終わるからね」
そして、針を傷口へ入れた。
一針。
また一針。
丁寧に傷口を合わせていく。
犬が苦しそうに身じろぎするたび、青龍がしっかりと身体を支えた。
やがて――
少しずつ出血が収まっていく。
荒かった呼吸も、次第に落ち着いてきた。
「……よかった」
瑶月は小さく息を吐いた。
「これで大丈夫よ」
そう言って、犬の頭を優しく撫でる。
犬は弱々しく瑶月の手に鼻先を寄せた。
「よかったな、茶太郎」
青龍が安堵したように笑う。
「茶太郎っていうのね」
「はい」
瑶月はもう一度、茶太郎の頭を撫でた。
「ここ数日は安静にしてあげて。傷口に水が入らないようにしてね」
「はい。ありがとうございます、瑶月様」
青龍は頭を下げた。
そして、ふと思い出したように言う。
「これで滄燼様も安心します」
瑶月の手が止まった。
「……劉晟の犬なの?」
「はい」
青龍は頷いた。
「滄燼様が軍営にいた時に、いつも可愛がっていたんです」
「……そう」
瑶月は茶太郎へ視線を落とした。
眠そうに目を閉じている茶太郎。
その頭を、もう一度そっと撫でる。
――あの人が。
この犬を可愛がっていた。
なぜか、その事実が妙に胸に残った。




