遺されたもの
少しでも情報が欲しかった。
瑶月はそう考え、劉晟が朝の鍛錬へ出る時間を見計らって、彼の私室へ忍び込んだ。
扉を閉め、辺りを窺う。
劉晟の私室は、思っていたよりも物が少なかった。
装飾もほとんどない。
けれど、決して質素というわけではない。
置かれているものはどれも品がよく、無駄がない。
――いかにも、あの男らしい。
瑶月はそう思いながら、部屋の中を見回した。
机の上には、いくつかの書簡が置かれている。
その中には、朔国との停戦条件について記されたものもあった。
「……」
瑶月は書簡へ目を通す。
けれど、そこから得られる情報は多くなかった。
もっと何かないか。
瑶月は部屋の奥へ進んでいく。
衣を掛けるための棚には、何着かの衣が並んでいた。
その中に――
深い青色の衣が一着。
「……青?」
瑶月は少し意外に思った。
劉晟が普段身につけているのは、ほとんど黒だ。
こんな色の衣を持っているとは思わなかった。
けれど、それ以上気にすることなく、さらに奥へ進む。
書棚。
衣。
小物。
いくつかの箱。
瑶月は一つ一つを慎重に確かめていく。
そして――
手を伸ばした時だった。
指先が、何かに触れた。
カチッ。
「……?」
小さな音がした。
次の瞬間。
壁の一部が、ゆっくりと動いた。
「……!」
瑶月は息を呑んだ。
隠し部屋。
そこには、誰にも見せるつもりがないものが隠されている。
瑶月は緊張しながら、一歩だけ中へ入った。
ゆっくりと近づいていく。
「……嘘」
目の前の刀に、そっと手を添える。
知っている。
この刀を。
触れた瞬間、記憶が蘇る。
父の姿。
兄の姿。
笑い声。
食卓。
庭。
帰ってきた家族を迎えた、あの日々。
瑶月は隣の大刀へ手を伸ばした。
そして、矛へ。
双剣へ。
指先で触れるたびに、胸の奥に押し込めていたものが、堰を切ったように溢れ出してくる。
「……っ」
泣いてはいけない。
声を出してはいけない。
頭では分かっている。
ここは敵の屋敷。
しかも、劉晟の私室だ。
こんなところで、家族を思い出して泣くわけにはいかない。
けれど。
感情は、理屈では止められなかった。
懐かしい。
あまりにも懐かしい。
もう二度と触れられないと思っていたものが、目の前にある。
「……っ」
瑶月は咄嗟に、自分の腕を口元へ押し当てた。
声を漏らさないように、腕へ歯を立てる。
強く。
強く。
痛みで、溢れそうになる感情を押し殺す。
それでも震えは止まらなかった。
やがて、袖に赤い血が滲んだ。
「……っ」
瑶月の肩が震える。
涙が頬を伝っていく。
それでも、腕を口元から離さなかった。
声を出してしまえば。
一度でも声を上げてしまえば。
これまで必死に押し込めてきたものが、すべて溢れてしまいそうだった。
だから瑶月は、自分の腕を噛み続けた。
その時――
部屋の外に、人影が立っていた。
劉晟だった。
朝の鍛錬を終え、戻ってきたのだろう。
開いたままの扉。
そして、その奥にいる瑶月の姿。
劉晟は何も言わず、彼女を見つめていた。
声をかけようとした。
けれど――
できなかった。
今の瑶月に、何を言えばいいのか。
何を言っても、この涙を止めることなどできない。
劉晟はしばらく黙って立っていた。
そして――
何も言わず、静かに踵を返した。
そのまま部屋を離れていった。
瑶月は、それに気づかなかった。
ただ。
目の前にある四つの武器へ触れながら。
失った家族の面影を、必死に胸の奥へ抱きしめていた。
「劉晟……!」
鍛錬場へ、瑶月が駆け込んできた。
左腕の衣には、わずかに血痕が滲んでいる。
頬には、拭いきれなかった涙の跡が残っていた。
その姿を見た瞬間。
――やはり、来たか。
劉晟はそう思った。
手にしていた矛を止め、そのまま地面へ突き立てる。
「どうした?」
いつもと変わらない、落ち着いた声。
瑶月は劉晟を見つめた。
「なんで……」
声は、恐ろしいほど静かだった。
「なんで、父上と兄様の武器を持っているの?」
劉晟は答えない。
「答えて!」
瑶月の声が強くなる。
それでも、劉晟はしばらく黙っていた。
やがて――
「東州で拾った」
「……拾った?」
「ああ。そうだ」
「冗談、言わないでよ」
「事実だ」
淡々とした答え。
その態度が、瑶月の胸をさらに逆撫でした。
「……戦利品として?」
声が震える。
「戦利品として手に入れて、飾ってるの?」
言葉を吐き出した瞬間。
瑶月自身が、その言葉を後悔した。
――違う。
そんなはずがない。
もし本当に戦利品として飾っているのなら。
あの武器たちが、誰の目にも触れない場所に置かれているはずがない。
戦の勝利を誇示するためなら、屋敷の中でもっとも目立つ場所に置くだろう。
客人にも見せるだろう。
けれど――
あの武器があったのは、誰にも知られない隠し部屋だった。
丁寧に手入れされ、誰にも触れさせないようにしまわれていた。
瑶月は、それを知っている。
だからこそ。
今の言葉は、ただの憂さ晴らしだった。
劉晟が何かを答えることを期待していたわけでもない。
ただ、苦しかった。
家族の武器を目の前にして。
何も分からないままここにいることが。
瑶月は拳を握った。
劉晟は何も言わなかった。
否定もしない。
言い訳もしない。
ただ、静かに瑶月を見ている。
「……もういい」
瑶月はそれだけを呟いた。
そして、劉晟の返事を待つことなく、その場を去った。
残された劉晟は、立ち去っていく瑶月の背中を静かに見つめていた。
地面に突き立てられた矛だけが、二人の間に残されていた。




