変化する日常
あの手すりの一件以来、瑶月は春雨楼へ足を運びづらくなっていた。
あまりにも目立ってしまった。
そのため最近は、春雨楼の代わりに、庶民たちがよく集まる茶楼へ足を運ぶようになっていた。
そこには、様々な人間がいる。
お茶を嗜みながら楽しそうに談笑する婦人たち。
もうすっかり冷めかけた茶を手に、盤上の囲碁に夢中になっている老人。
仕事の合間に立ち寄った商人。
近所の出来事を語り合う者たち。
貴族向けの春雨楼とは違い、ここには飾らない平陽の人々の日常があった。
そして最近では――
瑶月も、その日常の中に混じるようになっていた。
今日も一つの卓を囲んでいるのは、瑶月、小雪、青龍、そして白虎。
当初は監視役である二人を警戒していた瑶月だったが、数日も共に過ごしていれば、少しずつ距離も縮まっていく。
白虎は今日も、目の前に並べられた菓子を次々と口へ運んでいた。
「白虎、食べすぎ」
青龍が呆れたように言う。
「いいじゃないですか! 美味しいんですから!」
白虎はそう答えながら、また一つ菓子を手に取った。
「さっきも食べていたでしょう」
「別腹ですよ、別腹!」
そのやり取りを眺めていた瑶月は、思わず小さく笑った。
その隣で、小雪もほっとしたように目を細める。
ここ数年。
瑶月がこんなふうに笑う姿を見ることは、ほとんどなかった。
家族を失ってからというもの、瑶月はどこか心を閉ざしていた。
けれど今は。
ほんの少しだけ、以前の瑶月に戻りつつあるように見える。
瑶月自身も、この四人で行動することに、いつの間にか慣れていた。
青龍と白虎は、幼い頃から劉晟に仕えているらしい。
二人がまだ幼かった頃。
暮らしていた村が山賊に襲われた。
その時、二人を助けたのが劉晟だったという。
それ以来、二人は劉晟と共に戦場を渡り歩いてきた。
そんな話を聞いてから、瑶月は一つ気になっていることがあった。
――兄たちのことだ。
ある日、瑶月はそれとなく尋ねた。
「……滄瀾兄様たちのこと、何か知っている?」
青龍と白虎は、一瞬だけ顔を見合わせた。
そして青龍が、申し訳なさそうに答えた。
「滄燼さまから、口止めされています」
「……そう」
それ以上、瑶月は聞かなかった。
けれど、その言葉だけで十分だった。
――口止めされている。
つまり。
劉晟と兄たちの間には、確かに何かがあった。
それは間違いない。
屠城が起きる以前。
沈軍と黒曜軍は、決して敵対していたわけではなかった。
東州の辺境では、両軍が協力して山賊を討伐することもあったと聞いている。
だから、軍同士に交流があったこと自体は知っていた。
けれど――
まさか。
主将同士にも、これほど深い関わりがあったなんて。
瑶月は、まだその事実を受け入れられずにいた。
兄たちと劉晟。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
けれど。
目の前で菓子を頬張る白虎と、それを呆れながら眺める青龍を見ていると――
少なくとも、この二人が悪人ではないことだけは分かる。
ここ数日、共に過ごしてきた時間が、それを瑶月に伝えていた。
瑶月は白虎の手元にある菓子へ目を向けた。
「……それ、美味しいの?」
「ええ! 美味しいですよ!」
白虎は満面の笑みで答えた。
「そう……」
瑶月は少し考えるように菓子を見つめる。
「じゃあ、一つもらってもいい?」
「もちろん!」
白虎が嬉しそうに菓子を差し出す。
瑶月はそれを受け取り、小さく口にした。
「……美味しい」
「でしょう?」
白虎が得意げに胸を張る。
その様子を見て、青龍が呆れたようにため息をついた。
「いい加減にしろ。食べすぎだ」
「まだ大丈夫ですよ」
「そのうち太って、双剣を振れなくなるぞ」
「大丈夫ですって!」
白虎は笑いながら、また菓子へ手を伸ばした。
「ほら、まだこんなに食べられますから!」
「そういう問題ではない」
青龍の冷静な突っ込みに、瑶月はまた小さく笑った。
その笑顔を見て、小雪もそっと微笑む。
平陽に来てから。
少しずつ――
瑶月の日常に、笑い声が戻り始めていた。
そしてその日常の中で。
瑶月の中にある「劉晟」という男の姿もまた、少しずつ変わり始めていた。




