停戦の歩み
その頃――朔国。
国王・玄江の執務室には、重苦しい空気が漂っていた。
机の前に、一人の男が立っている。
王太子――蕭長淵。
「父上」
長淵は静かに頭を下げた。
「此度の戦、戦果を上げられず、申し訳ございません」
玄江は答えない。
ただ手元の書簡へ視線を落としたまま、黙々と目を通している。
長淵は続けた。
「あのまま戦を続けていれば、軍全体が崩壊しかねませんでした」
一呼吸。
「私の力不足です」
それでも玄江は顔を上げなかった。
しばらくして、書簡から目を離さぬまま口を開く。
「……それで?」
長淵は姿勢を正した。
「景国への停戦の条件として、賠償金の用意と――」
一瞬だけ言葉を切る。
「東州の放棄を提言します」
玄江の指が止まった。
「……続けろ」
低く、冷たい声だった。
「代わりに、景国へ我が国の捕虜の解放を求めるべきかと」
「それにより、我が国が民を顧みているという印象を強めることができます」
長淵は淡々と続けた。
「賠償金の捻出については、先日、北部で新たな鉱山が発見されたとの報告がありました。採掘した鉱石を利用すれば、ある程度は賄えるかと」
その瞬間。
玄江が顔を上げた。
「我が国は東州を奪われた上に、相手へ金まで払わねばならぬというのか!」
怒声が響く。
玄江は手にしていた書簡を、長淵へ向かって投げつけた。
紙が長淵の足元へ落ちる。
「申し訳ございません」
長淵は動じなかった。
ただ、静かに頭を下げる。
「ですが、今は戦を続けるべきではありません」
「今、無理に戦を続ければ、失うのは東州だけでは済みません」
長淵は一言ずつ、噛みしめるように続けた。
「軍そのものが崩れれば、東州の背後にある領地まで危うくなります」
そして――
「今は、英気を蓄える時間が朔国には必要なのです」
執務室に沈黙が落ちた。
やがて長淵が、静かに口を開く。
「それと――」
玄江が顔を上げる。
「すでに停戦の願いは、景国の劉滄燼へ送っております」
「……何?」
「ですから、あとは正式な条件を提示するだけです」
長淵は淡々と続けた。
「私が直接、劉滄瀾へ届けましょう」
玄江は眉を寄せた。
「お前が?」
「はい」
「王太子自ら、敵将のもとへ赴くというのか」
「王太子だからこそ、です」
長淵の声に迷いはなかった。
「私が直接赴けば、我が国が停戦を望んでいることを、より明確に示せます」
玄江はしばらく長淵を見つめていた。
やがて――
「……好きにしろ」
「ありがとうございます」
長淵は深く頭を下げた。
そして静かに踵を返す。
その胸中に何を抱えているのか。
玄江には、知る由もなかった。




